第漆話「油断大敵」

 『学園ってこんな感じだったか?』と疑問に思うほどに体力的にも精神的にも疲れて帰宅。

 食堂に寄ったのでそれなりに時間を潰してきたと思ったがアリシアはまだ帰ってきていない。

 念の為携帯ショップに予約の電話をしてから部屋に戻り私服に着替える。

 リビングへ降りた時に玄関の扉が開いた。

「おかえり」

「お…………ただいま戻りました」

 住んでようやく一日経っただけ。

 まだここが自分の家という認識は薄いだろう。

「すぐに着替えてきます」

「予約の時間まで余裕があるからゆっくりでいい」

「わかりました」

 今朝の様子に比べると少し元気がないように見える。

 初登校で気疲れしているようだ。

「確か……あったあった」

 お湯を沸かしながら鏡夜から引っ越し祝いに貰った高そうな紅茶の茶葉を見つける。

 気の使い方は知らないし、過度に気を使う間柄でもない。

 これぐらいがいいラインだろう。

「いい香りですね」

「飲むか?」

「ぜひ」

 鏡夜からイヤイヤ紅茶の淹れ方は教わっていたので自信を持ってアリシアに出せた。

「美味しいです」

「さすが鏡夜が選んだ茶葉なだけはある」

「紅茶は茶葉よりも淹れ方だそうですよ?」

「料理が不得手な分こっちに才能があったのかもな」

「どちらかというと気遣いのほうの才能では?」

「…………」

 気づかせないようにしたことに気づかれる。

 これほど恥ずかしいことはない。

「気づかれている時点で才能はないだろ」

「皆気づいていても言わないものですから。気遣いの才能は相手に気負わせないことだと思います」

「そういうものか」

「そういうものです。それに会って間もない私の些細な心境の違いに気づくものも才能ですよ」

 アリシアは自虐的に肩を竦める。

「過大評価だ」

「そうは思いません。現に『私に何かあった』と確信しているのに私に話す気がないとわかっているから続きを催促してこない」

「買いかぶりすぎだ。っと、少しゆっくりし過ぎたな。そろそろ出掛けようか」

「はい」

 本当に人をよく見ている娘だ。

 俺に対しては本音を語るほうが好感が持てるとわかっていての言動をしながら『踏み込んでほしくない』とさり気なく防波堤を築いている。

 そうすれば俺はこれ以上踏み込んでこないとわかっていてるのだ。 

「そういえば、そのまま一緒に出かけてもよろしいのですか?」

「移住してきた親戚を案内する分には問題ないだろ」

 学園で関係があるのはバレたのだ。

 隠すほうがやましく見える。

「せっかく外に出るんだ。夕食も外で済ませよう」

「そこまで気遣っていただかなくても大丈夫ですよ?」

「予約していてもスマホを買うのは時間がかかるんだ。帰る頃には遅くなる」

「なるほど。では、お言葉に甘えるとしましょう」

 全く頼らないわけではない。

 何かを抱えても気丈に振る舞うことはない。

 こちらに合わせて付き合いやすい形を取ってくれる。

 そんな彼女がどうして俺の婚約者に名乗り出たのか知れば知るほどわからない。


 携帯ショップに滞在して約一時間。

 もしかして? と思っていたがこれまでスマホを持ったことがなかったらしい。

「それでよかったのか?」

「はい」

 彼女が選んだのは俺と同じ機種の最新型。

 『何か困ったときに聞けますから』らしい。

「さてと。何が食べたい?」

 時刻は午後七時過ぎ。

 平日なのでどのお店もそこまで混んではいないだろう。

「特にこれというのは。隼人さんは何が食べたいですか?」

「俺?」

 聞かれて最初に思い浮かんだのは昨日食べたアリシアの料理。

 思いのほか胃袋をガッツリ掴まれていた。

「箸を使うところでも構いませんよ?」

 悩んでいると別の方向で勘違いしたようだ。

「あれ? 風見くんじゃん」

 携帯ショップは大通りにあるので同級生と出会っても不思議ではないが声をかけてきたのは制服姿の竜胆だった。

「よう竜胆。今帰りか?」

「そんとこ――あれあれ〜?」

 後ろにいたアリシアに気づくとニマニマし始める。

「はじめましてアリシアさん。私、竜胆花恋。お兄さんのクラスメイトなんだ」

 さすがはコミュ力の塊。

 気さくな感じでアリシアに話しかける。

「はじめまして竜胆先輩」

 それに対して礼儀正しくお辞儀をするアリシア。

 対照的だが両者ともに社交性が高い。

「近くで見るとホント可愛いね」

「いえ、そんなことは」

「風見くんも言ってたよ? 自慢の妹だって」

「本当ですか? 嬉しいです」

 何故だろう。

 和やかに見えるのに探り合うような感じがする。

「二人はこんなところで何してるの?」

「さっきまでアリシアのスマホを見ていたんだ」

「あーそっか。国が違うと通信料が凄くかかるもんね」

「そうそう。で、帰って作るのも面倒だし。夕食でも食べて帰るかって話になってな」

 下手なことは言わない。

 これぞ人間関係を円滑にする術だ。

「…………なるほどね。よかったらうちに来る?」

 竜胆の家は小料理屋をやっていてここ一年で何度かお世話になっている。

 大和の郷土料理でおすすめの店を聞かれたら真っ先に思いつくほどに美味い。

「いや迷惑だろ?」

「平日の夜はそんなにお客様もいないし。個室も空いてるはずだよ」

 決めあぐねていたのは確かだしお言葉に甘えるか。

「アリシア構わないか?」

「……はい」

「それじゃあ私は先に行って席確保しておくからゆっくり来てね」

 素早い動きで人波をかき分けて去っていった。

「微妙な反応してどうした?」

「侮れない方ですね」 

「格闘家としては超が付くほどの実力者だからな。刀無しだと俺でも負ける」

「いえ……そういうことではなく。ちなみにあの方には私達の関係はどう伝えていますか?」

「確かに友達と呼べるほど親しいが他の奴と一緒だ」

「そうですか」

 何故かアリシアはため息を吐く。

「案内をお願いします」

「ん? ああ」

 どうせ聞き返しても教えてはくれないだろう。

 せっかく人気店の席を確保してもらって待たせるのは忍びないので気にせず向かうことにした。



「まぁ、食べなよ」

 到着して店の制服に着替えていた竜胆に個室へ案内されて出されたのはカツ丼。

 ちなみにアリシアにはちゃんと注文を聞いていた。

「俺、今日のオススメの湯葉御膳の方が……」

「これを食べたら注文を聞いてあげる」

 普段とは違いにこやかに押し売り営業をかけてくる看板娘の考えがわからない。

 アリシアの方を見ると予想通りと言わんばかりに静かにお茶を飲んでいた。

「まるで取り調べだな」

「まるで。じゃなくて取り調べだよ?」

「取り調べかよ。そう言われても隠し事はないぞ?」

「なら質問。二人の関係は?」

「言っただろ遠縁の親戚だ」

「それは建前でしょ?」

 そういや稽古中も疑っていたな。

「酷いな〜。これでも仲いいつもりだったのに」

 その時とは違い確信を持っている様子。

 食堂では話したのはお互いの感想戦ぐらいでアリシアの話題は出ていないので先程の会話の中にある。

「私のために隼人さんの友人関係に溝を作ることはありません。おそらくこの方なら言いふらすこともないでしょうし」

「ワオ。初対面なのに思いのほかアリシアさんの評価が高くてびっくり」

「これでも人を見る目には自信がありますから」

 今度は明確に二人の間に火花が見える。

「今後の参考に聞いておきたい。どこを疑問に思ったんだ?」

「まず初めに風見家の親戚が他国にいたことかな。大和内の流派は無数にあるけどその根本は風見家だし。門外不出の固定概念の大元が他国と結婚したら誰でも知っていると思う」 

 身内のことすぎて盲点だった。

『言われてみれば確かに』と思うことに気づく人間は少ない。

「それに普段の風見くんなら私がふっかけてもどこ吹く風で相手にしないのにすんなり乗ってきた」

「たまたまそういう気分だったんだよ」

「そんなに私とデートしたかったの?」

「それは違う」

「否定が早いよ!」

 仮にも婚約者の手前だ。

 他の異性とデートするために試合したとは口が裂けても言えない。

「で、さっき話していたときに『お兄ちゃん』『妹』って単語に反応しなかった。まるで訂正するよりも違うことを警戒するように」

 たまに思うが竜胆は読心術の使い手じゃないだろうか?

「極めつけは二人が一緒に住んでいるところかな」

 思わず顔に出てしまう。

 そんなこと一言も――。

「『帰って作るのも面倒だし。夕食でも食べて帰るかって話になってな』隼人くんが本家じゃなくて一人暮らしをしていることを知ってる人間からすれば『何故?』と思う」

 気をつけていたつもりが思いっきり墓穴掘っていた。

「遠縁の親戚が本当だったとしても本家じゃなくて隼人くんの家に住んでいるのはおかしいと思うし。何か理由があるんだろうなって」

 アリシアが侮れないって言っていたのはこういうことか。

「そこまで推察できるなら聞かない選択肢もあっただろう」

「面倒事は大きくなる前に身近に知っている人間がいるほうが便利だと思うからね」

「一理ありますね」

 こちらに害がないことがわかっていたから竜胆の評価が高いのか。

 女性間の牽制は理解できない。

「竜胆先輩」

「花恋でいいよ」

「では、花恋先輩。私たちは親戚でないのは確かです」

「できたら、もっとわかりやすいほうがいいかな?」

「これ以上情報量を増やすと隼人さんがパンクしてせっかくの料理を楽しめなさそうなので」

「料理を出している側からすればそう言われると痛いな」

「関係については追々話すとして。私にはあなたが事実を聞いて協力してくれるメリットがわかりません」

 利害関係の一致。

 それが俺とアリシアを繋ぎ止めるもの。

 だからこそ俺たちはお互いを信頼している。

「隼人くんが友達で。アリシアさんもいい娘だからかな」

「つまり友達の友達は友達理論か?」

「そんなところ」

 竜胆らしいといえばらしい理論だ。

「では、私が支払うべきものは何でしょうか?」

「支払いって。そんなことしなくても他言はしないよ」

 アリシアは真面目だが生真面目ではない。

 必ずしも俺と同じような利害の一致を求めないと思っていた。

「安心できない?」

「そういうわけでは……」

 なんだかんだ言ってはいるが竜胆は根が優しい。

 相手をよく見るアリシアもそれは感じ取っている。

「じゃあ、気が向いたら私の稽古相手をしてくれる?」

「それは…………私に務まるでしょうか?」

「親善試合の代表選手が謙遜しない。それに試合を見てなくても相当強いことはわかるよ」

「…………わかりました。お引き受けします」

 静かに燃える武人の瞳。

 同じ武人として信頼に値したようだ。

「話も纏まったようだし。いただきま――」

 食べようとしたカツ丼が姿を消したと思ったらお盆ごと竜胆に没収された。

「何をするんだ」

「まだ風見くんとの交換条件が終わってないよ?」

 アリシアは干渉しないらしく届いた湯葉御膳を食べ始める。

 さすがお忍びで他国の有名人が来る店だ。

 箸ではなくフォークが付いていた。

「友情によるプライスレスでは?」

「私とのデートに興味があるように見せておいてこんな可愛い子を傍において。隅に置けないとはこのことだよ」

「何で浮気してるみたいになってるんだ?」

「私という最良の稽古相手がいながら。アリシアさんとも激しい稽古ことしてるんでしょ!」

 個室じゃなかったらまた誤解を生むような発言にゲンナリする。

「わかった。特別カリキュラム中はちゃんと相手をする」

「本当に?」

「ああ」

「なら食べてよし!」

 カツ丼が返却されてようやく夕食にありつける。

「なんだアリシア?」

「私の前にも餌付けされていたのだと思いまして」

「どこに対抗心を燃やしてんだ」

 一応本人目の前にして『餌付け』はやめてくれない?

 事実だから否定できないんだ。

「風見くんはうちのお母さんの料理大好きだからね」

「煽るなよ、竜胆」

 これ以上は胃袋を掴まれるどころか潰される。

「あ、そうだ。スマホを買ったなら連絡先交換しておこうか」

「そうですね」

 学園内で頼もしい協力者を得られた。

 これも結果オーライと言っていいのだろうか?

「気軽に連絡してね。話題が尽きたら風見くんのオモシロエピソード色々あるから」

「おい」

「それは話が尽きなさそうですね」 

「ないからな?」

 訂正。

 アリシアの協力者であって俺に対しては単なる友人だった。 

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