第参話「黒猫の喫茶店」
変更した目的地は大通りから少し外れた場所。
華やかさの欠片もない薄暗い裏通り。
「ここだ」
黒猫の看板が目印の店――シャノワール。
ドアを開けると鈴の音が来店を知らせる。
「いらっしゃ――なんだ隼人かよ」
閑古鳥が鳴きそうなぐらい客はおらず。
いたのはバーカウンターでグラスを拭くグラサンをかけた怪しげなバーテンダー。
「なんだとはなんだ。一応客だぞ?」
「すまんすまん。お前がここに来るときはロクなことを頼まれないからな……っと、いらっしゃいませ」
男性店員は後ろにいるアリシアを見て態度を変えるとアリシアはお辞儀で応える。
「奥の個室を借りる」
「それは別に構わないがせめて注文ぐらいしてくれ」
「ランチ二人分。内容はおまかせで」
「あいよ」
「行こうかアリシア」
「わかりました」
男性店員からは好奇心は感じられない。
追究がなかったということはもう情報が回っているということ。
となると家的には婚約の話は本当にしたいということか?
シャノワールにはいくつかの事情で個室が作られている。
その一つが"密会"であるため防音や盗聴の対策はしっかりしていた。
「ここへは頻繁に来るのですか?」
「まー、そうだな」
男性店員の素性や関係性について説明してもいいがここに来た本題からは外れるので今は省く。
「さっきいた場所でもよかったんだが。アンタに一つ言っておこうと思ってな」
「……何でしょうか?」
敢えて名前呼びをしなかった真意は伝わったようだ。
「俺は別にアンタの事情を聞こうとは思わない。
今さっき婚約した友好国の要人と思われる少女に対して殺気を放つ。
「だが、もしアンタがこの国に対して危害を加えるというなら話は別だ」
無礼は承知の上。
結局俺はこうすることでしか他人を信用できない。
「その時は躊躇することなくアンタの首を刎ねる」
返ってきた反応は嫌悪でも疑問でもない。
「ふふふ」
上品に口元に手を当てて可笑しそうに笑っていた。
「すみません。少し羨ましく思いまして」
「羨ましい? 何が?」
「あなたに想われている紅葉姫がです」
「さっきの言葉を聞いて何故そういう結論になるんだよ……」
「そうですねー。私はこれでも人を見る目がある。という言葉で納得をしていただませんか?」
「いや、昨日の今日会っただけの間柄の相手だぞ?」
もしかして、お上品に見えてヤバい系の娘か?
まぁ、紅葉が気にかけているから可能性はあるか。
「昨日、剣を交わしてわかったのはあなたから親善試合の選手という大義は感じられませんでした」
……当たり。
「おそらくですが、"国のため"というものに興味はないのでしょう」
…………それも当たり。
「そんな隼人さんが友好国のお客様である私に躊躇なく殺気を放つ……理由は一つと思いますが?」
「こう見えて俺は酔狂な人間として有名でな。単にアンタを信用していないってだけだ」
「紅葉姫に聞いていた通り。捻くれた回答をするのですね」
今度あのバカに会ったら『俺のことを他人にバラすな』と説教しないとな。
「性格の悪い女だな」
「『変なところで勘のいい奴だから嘘偽りで接しようとすると拒否られる』と忠告を受けていますので」
「だからといって数時間で化けの皮を剥ぐか?」
「どういう形であれ婚約者に好かれておいて損はないと思います。それともこういう女性はお嫌いですか?」
可愛らしく首を傾げながらこちらに好感があるとわかったような笑み。
美人は何をしても様になるとわかってはいるが腹は立つ。
「……いい性格してるとは思う」
「気に入っていただけて何よりです」
紅葉の命令じゃなければ関わりたくない相手だ。
――コンコンコン
タイミングよく扉がノックされるので席を立ち扉を開ける。
「取り込み中だったか?」
「問題ねえよ」
料理の乗ったトレイを受け取る。
「一応紹介しておく今日から婚約者になったアリシアだ」
「アリシアと申します」
「これはこれはご丁寧に」
胡散臭くお辞儀をする。
思わずため息を吐いてしまった。
「で、こっちはこの店のオーナーの
「まぁ、隼人さんの御親戚でしたか」
鏡夜の存在を知らないということは俺の家系については詳しく聞いていないようだな。
「よろしくな」
「よろしくな、じゃねえよ。お前知ってたろ」
「お前らが来る数分前にお前のお袋さんから『多分そっちに行く』って連絡が来た時に聞いてな。しかし……」
「何、ニヤニヤしてんだ」
「ようやくお前にも春が来たと思ってな」
「余計なお世話だ。さっさとカウンターに戻れクソ従兄」
扉を閉めて再びため息を吐いた。
「あぁ見えて腕っぷしはかなり強いから。何かあれば頼るといい」
微妙な空気を吹き飛ばすのにはちょうどいいが余計なことを言うところはやめてほしいものだ。
「わかりました」
「それじゃあ、料理も届いたことだし食事にしよう」
食事と聞いてアリシアは肩に力が入るがすぐに抜けて顔が華やぐ。
どうやら予想は当たっていたようだ。
「その様子だとここに来てから大和の料理しか食べてなかったようだな」
国が違えば当然食文化が違う。
大和とアトリシア公国の場合は料理以前に使う食器が違う。
「料理は美味しいのですが、
ナイフとフォークでの食事しかしてこなかったアリシアからすれば箸の扱いは不得手。
ストレスが溜まっていたに違いない。
「恥ずかしがることはない。世界広しと言えど棒二本で飯を食べるのは大和国民ぐらいなもんだ」
「お気遣い感謝します」
「これぐらいは気遣いに入らねえよ」
まぁ、ここの他にナイフとフォークを使った料理を食べれる店を知らなかったとはいえ、こんな寂れた喫茶店に連れてきて良いものかと思っていたが。
「美味しいです」
「お口にあって何よりだ」
結果オーライだが今後のために後で何軒か調べておくか。
「聞いていいですか?」
「何だ?」
たぶん鏡夜のことだからアトリシア公国の料理と思うが料理名わからない。
けど、美味いな。
「婚約を申し出ておいて今更ですが……今、お付き合いしている女性はいませんよね?」
「本当に今更だな。今どころか生まれてこの方ないぞ」
「なら、よかったです。泥沼展開は面倒くさいですから」
「てか、そっちのほうどうなんだ? アリシアレベルなら引く手数多だろ?」
容姿は完璧。
性格はいい方。
高嶺の花だが親しみやすさがあり、普通の男なら放っておかない。
「生まれてこの方誰ともお付き合いしたことはありませんし、男性経験もありません」
「……最後の一言は必要だったか?」
「ええ必要です」
おそらく俺がアリシアのことを"友好国の要人"と思っていることを踏まえての発言。
つまりは『手を出さないほうがいいですよ?』ということか。
「肝に銘じておこう」
『期間限定の婚約者を襲うほど飢えてはいない』とは言い切れないほどに男の理性は脆い。
そんなことを考えていると着信音が鳴る。
「っと、私ですね。すみません。少し席を外します」
アリシアが退室したので少し情報を整理しておこう。
まず、アリシアの素性はかなり高い地位。
他国の人間でありながら紅葉と以前から面識があるのでまず間違いない。
ただ地位とかに興味がない俺の両親が受け入れているのが少し引っかかるが。
それより引っかかるのは紅葉が俺を紹介した理由。
生憎俺には剣術以外の才能はない。
紅葉から最も評価されているのは護衛として。
試しに大通りを歩いていたが聞いていた通り、命を狙われているわけじゃない。
期待されているのは別の何か。
そして紅葉の性格を考えると求めているのは俺が自ら解決することではない。
あくまで解決の糸口となることだろう。
ワガママな元主のことは多少なりとも理解しているつもりだったが今回ばかりはお手上げ。
流れに身を任せるしかない。
「すみません」
「いや、構わねえよ」
アリシアが戻ってきたので食事を再開する。
「どうやら住む家が決まったようです」
「住む家?」
「ええ。昨日までは親善試合が終われば帰国する予定でしたので」
確かに長期滞在するなら宿じゃないほうが経済的だろう。
「なるほどな。なら、街の案内はまたにして日用品が買えるところを紹介するか」
「助かります。できれば家に近いところがいいですね。えっと……住所はここのようです」
「どれど……れ……」
アリシアが見せてくれたスマホの画面を見て固まる。
「なぁ、アリシア」
「何でしょうか?」
「さっきの電話の相手は誰だ?」
「隼人さんのお義母様です」
「そうか……」
アリシアの画面に映し出されていたのはお袋とのメッセージアプリの画面。
お袋からのメッセージは彼女が今後住む家の住所。
問題なのはその住所が俺が今一人暮らししている家の住所と同じということだった。
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