第弐話「旧懐」

 動揺を隠しながら席に着くとお袋はそそくさと部屋を出ていった。

「ジー」

「えっと、僕の顔に何か付いてますか?」

「失礼しました。何分昨日の雰囲気と全く違ったもので」

 紅葉の計らいで仮面の剣客の正体が俺だとは公になっていない。

 お袋が口を滑らせた可能性は……否定しきれないが低い。

「昨日、といいますと何処かでお会いしましたか? 人の顔を覚えるのは苦手ですがさすがにアリシアさんのような美人を忘れはしないと思うのですが」

 ならばすっとぼけるのが吉だ。

「あら。生粋の武人かと思いましたが意外に人を誑かすのが上手いのですね」

 上品に笑っているが明らかに目が笑っていない。

 相手は風見家の客人。

 これ以上心象を悪くすることは出来ない。

「面倒事を避けたかったんだ。悪く思わないでくれ」

 俺には親父のような聖人君主の才能はなかった。

 口調も態度もいつも通りに戻す。

「ある程度のことは紅葉姫に聞いておりましたので気分を悪くはしていませんよ」

 紅葉姫。

 俺の元主であり代々大和を治める御門家の姫君。

 他国の人間でその名前を知っているということはアリシアの地位は相当高いということだ。

「やはり喋ったのはあいつかよ」

「そもそも最強の剣士をお願いした時点で貴方様の顔は知っておりました。私が疑っていたのは武舞台の方とあなたが同一人物かどうかという点のみです」

「なるほどな」

 何が親父の代理だよ。

 この娘の目的は俺じゃねえか。

「それで俺に何かようか?」

 緊張して損をした。

 喉を潤すためにお茶を飲む。

「今日来たのはあなたと婚約を結ぶためです」

 アリシアの言葉が飲み込めないか代わりにお茶を飲み込む。

 定番的な吹き出すことは回避できたが聞き捨てならない言葉に首を傾げる。

「婚約?」

「はい」

「誰が?」

「風見隼人様が」

「誰と?」

「私、アリシアとです」

「アトリシア式ジョーク?」

「風見様から見て私は冗談を言うように見えますか?」

 今までの人生で培ってきた俺の洞察力が「この娘は冗談を言っていない」と言っている。

「見えないが……実感は出来ないな」

 大和の男が結婚できるのは十八歳。

 生まれてこの方恋人がいたことがない俺からすれば二年後に他人と共同生活をしていることを想像できない。

「先に風見様のご両親からは許可をいただいています」

 一番想像できないのは俺の両親が承諾していること。

 道理でお袋が何も言わずに退席したわけだ。

「逆にあんたはそれでいいのか?」

 所作や紅葉と面識がある時点で家柄はたぶんかなり高い。

 お世辞抜きで容姿だけで引く手数多。

 俺が相手というだけで断る理由はいくらでもある。

「風見様は勘違いされているようですがこの婚約を申し出たのはこちらです」

「……は?」

 ますます話が見えない。

「一応聞くが昨日が初対面だよな?」

「はい」

 過去に会っていました系を回避。

 顔も仮面を付けていたので容姿でもない。

 かといって力に屈するような娘ではない。

「デリカシーがなくて悪いが俺からすれば婚約者に選ばれる理由がわからない。結婚詐欺師か美人局を疑ったほうがまだ現実味がある」

「紅葉姫からあなたが納得しないようであればこれを渡すようにと」

 そう言ってアリシアが取り出したのはよく知った赤い便箋。

「婚約の件は了解した」

「それは有り難いですが……中身を確認しなくてもよろしいのですか?」

 知らない人間からすれば異様な光景だろうな。

「必要ない」

 お茶菓子の饅頭を口の中に放り込んでお茶を流し込む。

「親善試合で来日したんだよな?」

「はい。昨日の朝に着きました」

「なら、観光はまだだろう。国を案内するから少し待っててくれ」

「わかりました」

 退室して廊下を歩く。

 お袋を探してもはぐらかされるのは目に見えている。

 ならば聞く相手は一人。

 時刻は十一時前。

 ポケットからスマホ取り出して一年ぶりに電話をかける。

『あと十分で公務に戻るんだけど?』

 案の定休憩時間のため数コールで電話に出た相手は元主の御門紅葉。

 家臣たちには絶対に見せない不機嫌さ。

 近くには誰もいないようだ。

「説明しろ」

『その様子じゃ中身見てないね。せめて確認してからにしてよ』

「他人にアレを渡す時点で詳しいことは書かないだろうが」

『何その『俺はお前のことを理解してます』アピール。気持ち悪いんだけど?』

「テメェこの野郎」

『それに言葉遣いは改めたほうがいいよ。もう前とは違うんだから』

 なら、赤い便箋を使うなよな。

「これはこれは次期城主様。失礼いたしました」

『やっぱ気持ち悪いから今まで通りでいいや』

 元主は今日もワガママだ。

『説明ねえ。アリシアは何て?』

「まさか、お前が名前呼びするほどの相手なのか? 三年間護衛役をしていたが一度も見かけたことがねえぞ」

『彼女と知り合ったのはここ一年だからね。逆に知っていたら怖いよ。で、向こうはなんて?』

「聞く前に赤い便箋を出されてな。つまりはこれ以上聞くなということだろう」

 おそらくそう指示したのは紅葉で間違いない。

 だから、こうして直接聞くことにした。

『一応言っておくと命を狙われているわけじゃない』

 つまりはそれほどの要人というわけか。

「婚約云々は?」

『それはアリシアが言い出したこと。一目惚れじゃない?』

「……顔を隠してたんだぞ?」

『別に相手を好きになる理由は容姿だけじゃない。って言わなくてもわかってるか』

 さっき間で俺がアリシアに興味があることを確信させてしまった。

 やりづらくてしかたない。

『手紙にも書いたけど、しばらくの間一緒にいてあげて』

「しばらくって?」

『向こうが満足するまで』

「つまり都合の良い男になれと?」

『そういう役割は得意でしょ?』

「その評価は失礼すぎるだろ……」

 相変わらずの横暴っぷり。

 次期君主が暴君とか。

 国外逃亡を考えるべきか?



 今日は祝日。

 街へ繰り出せば知り合いに出くわすので服装だけでなく、髪をセットしてメガネをかける。

「悪い待たせた。ん? どうかしたか?」

「普段の風見様がどれかわからなくなると思いまして」

 初対面は狐の仮面。

 二回目は客人用。

 そして今はバレないように変装。

 混乱しても仕方ない。

「まー、おいおいわかるようになる。行こうか」

「はい」

 一時的とはいえ元主の命で名前しか知らない少女と婚約した。

 我ながら呆れるがそれが俺だからしたかない。

 それよりも何も言わずに傍にいろ……か。

 何とも懐かしい響きだな。 


 

「いい国ですね」

 俺は横に歩いている少女がとびきりの美人と自覚した。

 すれ違う人全員が振り返っている。

 変装したのは正解だが週明けの学園で噂が飛び交いそうだ。

「アトリシア公国のほうがいい国だろ」

 魔法で栄えた大陸で一二を争う大国。

 国力・武力・財政・農作物。

 どれをとっても一級品で友好国でなければこうしてアリシアが隣を歩いてはいなかっただろう。

「大和一の剣士である風見様にそう言ってもらえて光栄です」

「最初の時にも言おうと思っていたが様付けはやめてくれ」

「ですが私のほうが一つ歳下ですよ?」

「歳上と目上は違うし。隣を歩く相手が堅苦しいのは好かないんだ」

「では、風見さ――いえ、隼人さんと」

 あえて名前を選択したのはこちらに家名を知られたくないからだろうな。

「うちに出入りするならそのほうがいいだろうな」

 紅葉の言う通り好意的な視線はあるものの敵意や殺意といったものは感じられない。

 聞き出すなとは言われているが探るなとは言われていない。

 アリシアの正体は時間をかけてじっくり見定めるとしよう。

「ところでどちらに向かっているんですか?」

「もうすぐ昼食時だからな。軽く食事でもと思ってな」

「そ、そうですか」

「……あー悪い。道を間違えた。こっちだ」

「へ? ま、待ってください!」

 動向を探っていたせいか変な洞察力が発揮されて進路変更。

 合ってなくてもあそこを紹介しておくのは無駄ではないだろう。

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