第壱話「初めまして」

 十二歳から三年。

 その期間はとある要人の護衛役をしていたので中学時代というものはない。

 三年間の貴重な青春を捧げた成果はそこそこの恩賞と莫大な退職金。

 個人的にはもう一生働く必要はないと思っていたが両親から『せめて高校だけは通ってくれ』と懇願されたので了承。

 高校卒業後は自動的に実家を継がされるのでこの三年は自由でいたいと思ったのと避難所が欲しかったので学園近くに道場&庭付きの二階建ての家を購入して早いもので一年が経った。

 今日もいつも通りに午前四時に起きて朝稽古をしていたが気分が乗らない。

 瞼を閉じれば脳裏に浮かぶのは昨日の光景。

 真っ直ぐな瞳。

 圧倒的な実力差を感じながらも折れない心。  

「これが一目惚れというやつか……」

 自分以外誰もいない道場内で呟く。

 彼女の愛らしくも美しい容姿ではなく、武人としての姿に魅了された。

 どうやら周りから"剣術バカ"と言われていたのは伊達ではなかったようだ。

 いくら元主に返却を断られた愛刀の椿を振っても。 心を落ち着かせるために瞑想しても意味はない。

 まぁ、そのお陰で普段鳴ることのないスマホの着信に気づけたがディスプレイに表示された『お袋』の文字を見て一瞬躊躇う。

 去年の盆も今年の正月も帰省しなかった放蕩息子に対しての開口一番に覚悟を決めてから電話に出た。

『よう、バカ息子。お母様に何か言うことがあるんじゃないか?』

「お袋さ。今日が何の日で今何時だと思ってんだ?」

『国の祝日で午前五時。普通なら"お前の嫌味はこっちの質問に答えてからだ"というところを慈悲深く先に答えやったんだ。それ相応の態度を取ることをおすすめしよう』

「一年間、帰省せずにすいませんでした」

『ったく、たまには千聖ちとせ千歳ちさとぐらいの可愛げを見せたらどうだ?』

「それは今年十七歳になる息子と今年小学生になる双子の妹たちを比べるのが間違いだ」

『こちとら毎回宥めすかせるのに苦労してんだ。嫌味の一つも言いたくもなる』

「それは悪かった。今年はマメに帰るようにする」

 電話の向こうで妹たちの『お母さん! 今の録音した?!』という声が聞こえてくる。

 女という字が三つ集まると姦しいとはまさにこのことだな。

『なら、早速実行してもらおうか。今日の午前十時に客人が来る。ただあいつが不在なんだ』

 あいつというのは現風見家当主である俺の親父のこと。

 当主として家の外で仕事をこなすことは珍しくはない……が。

「親父にしては珍しくブッキングしたんだな」

 来客のある日に家を空けるのは珍しい。

『何せ、突発的なことでな』

「断らなかったのか?」

『あいつが『次期当主として隼人に経験を積ませるのもいいかもしれないね』とか言い出したんだよ』

 これは本格的に卒業後に対しての覚悟を決めたほうがよさそうだな。

「要件はわかった」

 俺が来るとわかると先程より騒がしくなる。

 お袋が落ち着かせるのに苦労しそうだな。

「あーあと千聖たちには今日早めに行くから許してくれと言っておいてくれ」

『許さーん』『許しません』

 お袋よ。

 妹たちに電話を変わるなら『変わる』と言ってからにしてくれ。



 ここから風見家本家のある山の麓は歩いて二十分弱。 

 朝稽古を早めに切り上げて妹たちが好きなケーキ屋に寄ってから約束の時間の一時間前に到着した。

 ケーキを買ってきたのは別にご機嫌取りのためではない。

 こうしないと着くまでに面倒なことが起きるのだ。

「さすがに大丈夫そうだな」 

 山に入った途端に感じた数多の視線は退散しているが残った視線は二つ。

 その視線は主に俺が持つケーキが入った箱に釘付けだ。

 そうこうしている内に本家がある正門前に到着。

「お兄ちゃーん」「兄さん」

 背後から突撃してくる二つの影。

「早速着たか」

 視線を向けるとそこにいたのは先程まで稽古をしていたのか袴姿の妹たち。

 天真爛漫な姉の千聖は俺の腰辺りを。

 冷静沈着な妹の千歳はケーキ箱を。

 俺は意地が悪いので中身を崩さないようにケーキ箱を真上に投げる。

「キャっ」「不覚」

 先に飛び込んできた千聖を回転して勢いを殺して受け止めてからケーキ箱狙いだった千歳が足を止めたところを抱きとめる。

 久々の再会に喜ぶ妹たち。

 千聖の頭を撫でながらケーキ箱をキャッチして千歳の頭の上に置いた。

「お前ら朝から元気すぎだろ」

「だって久しぶりにお兄ちゃんに会ったんだもん」

 片やケーキを持ってこなければ山の入り口で突撃してこようした姉。

「千聖の言う通り」

 片やケーキを持ってこなければ門下生たちをけしかけようとした妹。

 正反対の考えを持ちながら目的は一致している妹たちは今日も元気だ。

「てか、お前ら稽古の途中じゃないのか?」

「そんなのお兄ちゃんが来るって聞いたから速攻で終わらせたよ」

「余裕」

「余裕……ねえ」

 兄妹の再会を遠くから見守る門下生たちの顔が若干引きつっている。

 さすがはお袋の娘たちであり、俺の妹たちというとこか。

「てか、そろそろお兄ちゃんの家の場所を教えてよ」

「何故かお母さんたちも教えてくれない」

「まーそのうちな」

 実は一人で居たい俺の気持ちを汲んでくれていたのか。

 これからはマメに帰るようにしよう。

「しかも、あんな」

「千聖ダメ」

「おっといけない」

「なんだ? 兄ちゃんに隠し事か?」

「それはー」

「内緒」

「ふーん」

 撫でる手を止めて千歳にケーキを渡す。

「「……」」

「なんだ?」

「お兄ちゃんが変」

「うん」

「どこが?」

「いつもなら吐かせるために撫でくり回したり」

「ケーキ箱も渡してこない」

「……そんなこと――」

「「ある」」

 まぁ、確かに。

「この一年で大人になったってことだよ」

「「ジー」」

「まぁ、確かに少し変わったようだな」

「「お母さん!」」

 家の奥からお袋が顔を出すと遠くにいた門下生たちが両側に整列して膝をつく。

 堂々とした佇まい。

 妹たちに向ける母の視線を上回る武人としての圧倒的覇気。

 風見かざみ美琴みこと

 代々大和の武官を務める家系である風見家に嫁いだ風見流の現師範代。

 豪快さとカリスマ性で風見家の門下生たちから絶大的な支持を集める俺の母親。

「じゃあ、お兄ちゃん」

「また後で」

 妹たちはケーキが傷むのが心配なようで奥へ引っ込んで行った。

「ただいまおふく――」

 いきなりの正拳突き。

 反応して攻撃の軸をずらして最小限の動きが捌く。

「手荒い歓迎だな?」

「放蕩息子の帰省だ。これぐらいはいいだ……ろ!」

 続けざまに放たれた右足の蹴りを左腕で防御したが威力を殺せずに数メートル後退した。

「ふむ……及第点ちょい下だな」

「虐待で訴えてやろうかな」

「この程度で虐待と言っているようじゃ風見家の当主は継げんぞ?」

「親父に同じ事をしたら死ぬたろうが」

「愛する夫に拳を向けるバカがどこにいる?」

 武官の家系に生まれながら武芸者でない現当主の親父を武で支えている良妻でもある。

「はぁ……息子に惚気るのはやめてくれ」

 今は刀を持っていない。

 単なる格闘戦では分が悪いので反撃せずに服についた汚れを払う。

「意気地がないな。この一年で牙を抜かれたか?」

「大人になったんだよ」

「大人ねえ〜」

 何か言いたそうなお袋の横を通って家の中に入る。

「場所は応接室だ。千聖たちと遊ぶのはいいが約束の時間は忘れるなよ」

「わかってるよ」

 妹たちが一時間で満足してくれるといいが……。

 ケーキ効果に期待するとしよう。



 数十分後。

 約束の時間まで後五分前でもう客人が到着しているらしい。

「あれ? 若がいる」

「あ、本当だ。珍しいですね」

「少し野暮用でな」

「また稽古つけてください」

「時間があればな」

 久しぶりに会う門下生たちには悪いが応接室へ急ぐ。

 応接室の前に着くと楽しそうに話すお袋とどこかで聞いたような少女の声が聞こえてくる。

「すみません。お待たせしまし…………た……」

 視界に入ったのは美しい銀色の髪と青い瞳。

 昨日の戦闘用の衣装とは違ったカジュアルな格好のせいかだいぶ印象が異なる。

「顔を合わせるのは初めてですね。改めて自己紹介を」

 俺の来訪で律儀に立ち上がった少女は深々と頭を下げる。

「アリシアと申します。幾久しくよろしくお願いします」

 もう一度会いたいと思っていた無も知らぬ少女。

 アリシアの美しい所作にほんの少しの間だけ見惚れてしまった。

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