第4話「空を飛ぶことを選んだ魔法使い」
「ちょっ、
掃除をするための専門の箒は柄が短くて、とても飛行には向いていない。
でも、空を飛ぶ魔法でパフォーマンスをする人たちは、掃除道具くらいの柄の長さの箒で演技をすることもあるのを私は知っている。
「
「っ、待っ……」
新鮮な空気を取り込むために開けられている窓から、飛び降りる。
窓の向こうに待っているのは夏の重苦しい空気のはずなのに、地面から足が浮かび上がる瞬間、爽やかな風が魔法使いを包み込む。
「箒の上に、立つ……と」
箒に跨るほどの長さは、掃除道具にない。
空を飛ぶためのバランスを取るにはちょうどいい長さかもしれないけど、短い柄の箒を利用して浮遊魔法を使うのはとても難しい。
「そんな簡単に再現しないでよ」
「簡単じゃないですよ! こう見えて、必死です!」
夏独特の、生温かい風が気持ち悪い。
それなのに、体中を心地よいって感情が駆け抜けていくのはどうしてなのか。
「かっこいいよ、
かっこいいという五文字の魔法の言葉。
この言葉を結翔くんは何度も何十回も、何百回も浴びてきている。
「私、古き良き魔女しか演じたことがなかったので、こんな無茶な飛び方、初めてです」
今は、私はどんな表情をしているのか。
どんなに空が澄んだ蒼を魅せても、私の表情までは映してくれない。
でも、それがいいなって。
それでいいなって思う。
「え、空飛んでんの、結翔くんじゃない……」
「うちの学校、魔法使いが2人もいるってすごくない?」
ひっそりと飛ぶつもりだったけど、私の飛行は一瞬にして注目を集めた。
空を飛ぶって、こういうこと。
魔法使いにはできて、人にはできないことがある。
現実を知った瞬間、息が詰まりそうになった。
「先生に怒られるから、早く戻ってきなさい」
でも、真夏の風を、初めて美味しいと感じられた気がする。
気持ち悪さを感じるほどの熱風なのに、心が穏やかになっていくのを感じる。
「ほら、手」
動画で撮影される前に、私は校舎に避難するために浮遊する。
「ありがとうございます」
差し伸べられた手。
初めて触れた手。
結翔くんの熱を、忘れたくない。
「結翔くん」
「んー?」
箒の上に足を乗せるっていう大胆さを振り返ると、顔に溜まり始めた熱をなんとかしなきゃと焦り出す。
「今年もちゃんと、飛べました」
でも、それもそれでいいのかなって。
顔に熱が溜まったままだとしても、それは誰に迷惑をかけるわけでもないって。
結翔くんの優しい笑みを通して、生まれた恥ずかしさは心地よさへと変わっていく。
「
「メイル部門は仕事量多いですよ? 毎年、結翔くんのパフォーマンスを見たくても、残業地獄なんですよ?」
手が離れる。
二度と繋がれることのない手。
でも、私は、今日この日に起きた奇跡をずっとずっと覚えていたい。
「その……
「どうかしました?」
結翔くんから視線を外されて、結翔くんは廊下をランニングしている陸上部に目を向けながら言葉をくれる。
「なんでずっと名前呼びだったんだろうって思ってたんだけど……」
「名前呼び……?」
向かい合っていなくても、たとえ目が合っていなくても、お互いを信頼して言葉を交わしているような自惚れがいけなかったのかもしれない。
「もしかして、あの……俺が出てる試合……毎年、毎年、見てくれてた……?」
たいして仲良くないクラスメイトだったら、苗字呼びをするのが普通かもしれない。でも、その普通が取り払われてしまっていたことに、私はようやく気づいた。
「え、あ、え、私……」
自分では古畑くんと呼んでいたつもりだったけど、その予定と実際に口にしていた呼び方は違っていたらしい。
「そっか、あ、うん、ありがとう……」
「すみません! ごめんなさい! 馴れ馴れしすぎ……」
「んなわけない」
右手で頭を押さえるように、自身の瞳を隠してしまった結翔くん。
でも、何度か深く呼吸を繰り返すと、結翔くんの瞳は私へと戻ってきた。
「頼ってもいい?
今年の夏は初めてが、起こる。
憧れの人から初めて呼ばれた名前が、熱を帯び始める。
「俺も穂乃みたいに、綺麗に飛びたい」
世界中からの注目を集める古畑結翔くんと、同じ感情を、同じ気持ちを、同じ景色を体験する夏の始まり。
「私も、結翔くんと一緒に空を飛んでみたいです」
もっともっと魔法のことを好きになる。
もっともっと、彼のことを好きになる。
そんな予感が走る夏の始まりを、こんなにもいとおしく思えたのは初めてのことだった。
恋、焦がれる空と魔法使い 海坂依里 @erimisaka_re
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