第4話 悪夢(※危険。過激な描写あり)

「入信しに来たか?」

 ロマネスク調の建物の中。

 静かな広場。いや、吹き抜けか? 天井がなく、二階部分は円形の廊下になっている。降り注ぐ霧雨に濡れるがままになっているエリア。

 そんな場所で、僕の前を歩きながら、阪村が告げる。

「お前は宗教とは無縁の存在だと思っていたが……」

「いや」

 僕は冷静に返した。

「父親は浄土真宗でね。僕の葬式は多分そっちになる。それ以外にも、太極拳をやっているから道教にも通じているな」

「ああ」

 阪村は退屈そうに応じた。

「お前はそういうのが好きだったな」

「君はあんなところで何をやっていたんだ?」

 僕は静かに訊ねる。この宗教を興した人間なら、教団内でもトップに君臨する存在だろう。それが、ほぼ門番みたいな、入り口の上にあるちょっとした個室にいたことになる。阪村の行動が気になった。

「あんなところ……門の上の部屋か?」

 さすが、かつての相棒だけあって僕の言いたいことをすぐに捉える。


 一瞬、視界が歪む。


 ふと、頭を振る。何だ、今の。

 奴は続けた。

「フェルムについて報告を受けていてな」

「フェルム?」

 僕は返した。

「何だそれ」

 単語の音が不吉に聞こえたからか、僕の背筋が一瞬強張る。

 しかし阪村は静かに告げた。

「フェルム、はフランス語で『農場』だ」

 強張りは一転、悪寒へと変わった。農場。脳裏に浮かぶ。

 ――人間農場。

 しかしあいつはそんな僕には構わず、ゆらりと唐突に進路を変えた。

「せっかくだ。見ていけよ」

「見ていくって何を?」

「ついてこい」

 それから吹き抜けの下、暗い場所へとあいつは入っていった。

 どれくらい歩いたか分からない。

 闇に包まれた廊下をあいつに導かれるままに歩いた。やがてあいつは……多分百メートル近く歩いた頃だろう、あるドアの前に立った。それは暗がりの奥の奥、人目を憚るような場所にあった。

「驚くなよ」

 あいつは念を押してきた。

「まぁ、お前の性格なら問題ないだろうがな」

 それからあいつは静かにドアを開けた。

 遠い、地の底から。

 悲鳴が、聞こえてくる。

 どれも女性。女の声。

 絶叫。

 暗がりの中、あいつが笑う。

「お前の小説、趣味悪いもんな」

 阪村の声。僕に向けられた声。

「こういうの、そそられるんじゃないか」

 あいつに導かれるまま階段を下りる。辺りは暗い。だが明かりは要らない。何だか、そう、遠い昔に潜り込んだ、おばあちゃんちの炬燵の中みたいな明るさがある。

 オレンジ色の光の中。階段はやがて広場に通ずる。その広場は一本の廊下に繋がっている。

 そこには牢屋が……檻が廊下の左右に、続いている。

 頭痛がした。続いて甲高い耳鳴り。耳鳴りと頭痛が共鳴して、頭の中で音叉を叩いたような苦痛が僕の鼻の奥を支配した。

「阪村、阪村……」

 助けを求める。だがあいつは、僕に構わず前に進む。

 阪村のゆっくりした歩調。それについて行くと、見える。

 牢屋の中。見えたのは……肉だった。

 肉。肉。肉。肉壁である。肉が天井を、壁を、床を覆っている。それは、そう、内視鏡で喉の奥を覗いた時に見えるような、うねうねと動く……。

 ――何だこれ?

 僕は声を上げる。上げようとする。

 ――何だこれ? 

 だが、出てこない。

 僕の困惑の声は頭の中に響くばかりである。

 ふと目線を壁にやる。

 肉壁には、突起と穴とがあった。

 突起。アメリカンドッグ大の、マルっとした、見ようによっては男性器のような。いや、女性の脚のようにしなやかな流線型を描くものもあった。

 穴。縦割れと横割れとがあった。一定のリズムでくぱくぱと、動いている。ふうっ、と空気が抜ける音。そしてずずっ、と汁の啜られる音。

 ――ごえぇっ、おええぇっ。

 天上から伸びた突起が、壁にある穴の中に、頭を一定のリズムで突っ込んでいる。突起が穴を突く度に音がする。ごえぇっ、おええぇっ。

 頭痛がした。何だこれ……何だこれ……。

「お前は宵っ張りだったな」

 阪村の声。頭上からする。気づけば僕は……うずくまっていた。

「寝ない子は誰だ?」

「お前何言ってるんだ?」

 ようやくそれだけのことを返す。だが阪村は、ゆっくり、つかつかと足音を鳴らしながら前へ行く。僕はやっとのことでついていく。怖かったから……こんな場所に取り残されるのは、ひどく怖かったから。

 ――あっ、あっ。

 次の牢屋。床の肉の一部が隆起している。まるでそう、臀部を突き出した女性のような見た目で……そして、その肉の塊に。

 頭が縦にかち割られた、犬のような四つん這いの獣が懸命に腰を打ち付けている。床の、女性の尻のような肉塊からは微かな音。人の声。あっ、あっ。

 ぼとん……べちゃ……何か音がする。暗闇の中、目を凝らす。天井から垂れた肉壁の突起。脚型のやつだ。それが二本。天井からぶら下がっている。その間、ちょうど股に当たるところから。ドロッとした、血の固まり、レバーの肉片のようなものが、ぼと、ぼと、と落ちている。

「きええええ」

 レバーの肉片が叫んだ。まるで毛の剥がれた蝙蝠のような……醜悪な生き物だった。

 床に、花があった。あの肉穴の中に、不躾に、下品に、菊の花が活けられている。

 僕はふらふらする頭を何とか首の上に据えて、荒い息のまま前へ前へとただ進む。阪村の背が遠い。遠い……遠い! 追いつかなくては……追いつかなくては! 

 懸命に足を動かす。が、次の瞬間、いつの間に背後に回っていたのだろう、阪村が後ろから僕の腕をつかむ。

「よく見ろ」

 そう、別の牢屋の前へと僕を引きずっていく。

 肉の壁。そこに白い何かがあった。それが女の肌だと気づくのに時間は要らなかった。ぼやけた目をこすると、その全貌が見えてきた。

 まるでミロのヴィーナスのように。

 両手と両足が肉壁の中に埋もれた女がいた。肉は女の頭の半分ほどをもんでいて、醜悪な色をした肉と、女の艶やかな唇とのギャップが何だか滑稽だった。

 女性の、乳房。

 二つ綺麗に並んだそれに、肉壁から伸びた突起が、噛みついている。

 汁を啜る音。汁を啜る音。

 僕はぶるりと、体を震わせた。

 阪村の笑う声がした。

「イードリは、母乳によく溶けるんだ」

 イードリ。聞き覚えのない言葉だった。

「気に入ったか」

 気づけば僕は勃起していた。



 はっ、と目を覚ます。

 いつの間にか僕は、またあの広い吹き抜けのエリアにいた。霧雨が降り注いでいる。円形の吹き抜け。風はかなり冷たい。そのチリチリとした風が僕に現実を運んでくる。

 僕は辺りを見渡す。それから告げる。

「お、お前……」

 阪村の背中が正面にあった。僕は腰を抜かすようにして倒れ込んだ。尻餅をつく。

「何だ……何だ今の……」

 と、目の前にいた阪村の背中が歪んだ。ぐにゃり。

 あいつが振り返る……いや、振り返ったように見えた。

「ほら、しっかり立て」

 助け起こされる。だが僕は足元がおぼつかない。

「ほら」

 ずるずると引きずられていく。

 正面には何か、ドアらしきもの。阪村がそれを押し開ける。

 その向こうに僕は、投げ出された。



 暗い中。

 押し入れの中みたいな。

 ほんのり足元だけが明るい。

 臼を挽いている時のような、物がこすれる音。ずりずり鼓膜を引っかく音。

 それに続く、乾いた音。

 ごっ――、あがっ――

 悲鳴……悲鳴だろうか? 

 と、まるで爆竹が爆ぜたような音が響き渡る。

 何事か、とぼやけた目を凝らす。そこにあったのは。

 大きな臼。いや、歯車? その周りに、男がいる。男……男? 筋骨は隆々である。だが、男? どちらかというとそれは筋肉の塊だった。人型をした、筋肉の塊。

 ばちん。鞭の音。歯車から少し離れたところ、そこにお祭りなんかで売っているキャラクターのお面を被った男がいて、三つ又に分かれた鞭を振るっている。

 鞭の音。悲鳴。筋肉の塊が足を動かして走る。それらは歯車の周りを馬鹿みたいに走らされる。歯車が回る。何か音がする。うぃいん。うぃいん。

「発電さ」

 いつの間にか僕の後ろにいた阪村が笑う。

「滑稽だろ?」

「あ……あ……」

 僕はへたりこむ。すると阪村が僕の襟首をつかむ。

「ほら、まだあるぞ」

 ずるずると引きずられていく。

 ほとんどゴミ袋みたいに投げ捨てられた先ではさらに恐ろしい光景が広がっていた。

 がらがらと滑車が回転する音……それに合わせて、一定のリズムで。

 ラップで何重にもくるまれたような、人型の何かが上下する。ラップの塊、その首のようにくびれたところにはロープが巻き付けてあり、そのロープは滑車に繋がり、その滑車に繋がったもう一方のロープを、あの、筋骨隆々の「男のような」筋肉が、何度も、何度も、引っ張り、引っ張る。

 そうして上に引っ張り上げられたラップの塊は、モーターの回転する音と共にゆっくりと落ちていく。

 ラップ。

 ラップの塊。

 よく見てみる。それはくねくね蠢いている。うねうね。くねくね。まるで、そう、四肢を拘束された人間のように。首の部分に巻かれたロープは苦しそうで、ラップのミイラは吊り上げられるたびに苦しそうにもがいていた。

 これがずっと、手前から向こうの壁まで。

 十列はあるだろう。十人の筋肉が十個のラップを上下させていた。ラップからは、声が聞こえる……気がした。微かに、だが。あれは……人なのか? 

「う、くそっ」

 僕は立ち上がろうとする。だが駄目だ。腰に、足に、力が入らない。

「ほら次だ」

 再び襟首をつかまれずるずる引きずられる。

 どさり。別の部屋に投げ捨てられた。

 僕は首を振る。そうして見えた、光景は。

 ロッカーを一回り大きくしたくらいの箱の中に、裸の男が入れられている。頭には何重にも、紙袋。

 体格はがっしりしていた。胸筋なんて生ハムの原木みたいじゃないか。腹筋は板チョコレートのようで、太腿の筋肉もまるで丸太のよう……だが。

 二本の丸太、その間に間抜けに伸びているペニスに、電極が食いついている。

 と、男が体を揺らす。揺らしてしまう。直立不動なんて無理なのだ。そうしてロッカーの内側に、体が触れてしまう。

 途端にばちん! という音がして男が感電する。箱に電気が流れているのだ……男の体が箱に触れると、箱の内側から性器まで、通電するのだ。紙袋を被せられた男は呻くことしかできない。

 何故だろう。男のペニスはみるみる勃起する。



 目を覚ます。僕は膝ぐらいの高さのテーブルに突っ伏していた。涎まで垂らしている。僕は頭を上げる。阪村の声がする。

「Eat me, Drink me だ。略してイードリ」

 気づけば正面に阪村がいた。両手を組んで楽しそうに笑っている。

「我が教団が生み出した麻薬だ。安心しろ。依存性は低い。だが幻覚を見る。特に性や暴力、より根源の衝動に近いものに関連したやつをな」

 僕は何とか顔を上げる。しかし口が閉まらない。涎が垂れるままになっている。

 啜る。口元を腕で拭う。だが垂れ続ける。だらだら。だらだら。

 ふと、テーブルを見る。

 ティーカップ。そしてその横に、ミルクポット。

 僕は霞む目で阪村を見る。奴は笑う。

「イードリは、母乳によく溶けるんだ」

 ミルクポット。その中に、半分くらいの白い液体……いや、黄ばんだような色の、白。

 くらりとした。視界が回る。

 そのまま僕は倒れ込んだ。意識が徐々に、薄れていった。

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