魔女と黒猫と氷漬けのワーム①

「ワームに食べられたいんです」と初対面の魔女は言った。

「ええ!?」僕とフィズとセイラの誰かが言った。僕ら全員が驚いた。


 魔女はマリーナと名乗った。そもそも彼女は自分で「魔女」と自称した。

 マリーナはダンジョン探索の依頼人だ。年がら年中氷を売っている店の上階に住んでいた。一部屋しかなく、天蓋付きベッドと黒い覆いのかかった箪笥と傘立ての余ったスペースにテーブルと全員分の椅子がひしめいた。傘立てには虹よりも多種類の傘があった。鼠色のカーテンが脇にまとめられた縦長の窓枠のところに灰皿とガラスのオブジェが置かれていた。


 魔女と言うには若かった。部屋の中なのにつばの広い帽子をかぶり、二の腕まで長手袋で覆っていて、肩がむきだしの服装をしていた。赤い口紅をつけていて、白を基調とした服の中で蠱惑的に目立つ。彼女が身をかがめると顔が隠れ、深い胸の谷間が露になった。彼女の足元にいる黒猫が僕をじっと見ていた。「ヴェルン」とマリーナは黒猫を呼んでいた。

 小ぶりな造りのテーブルに苺タルトが置かれるとそれで一杯だった。フィズが手に取ろうとするのをマリーナはとどめて、ケーキナイフで切り分けた。


 自己紹介をお互いに済ませ、依頼内容を聞こうとした矢先の発言だった。

「どういう意味ですか?」と僕が訊くと、

「すみません。はっきり言って、順序を間違えました」とマリーナは答えた。

 順を追えば理解できる発言とも思えなかった。


「マリーナは昔からこうなのだ」と声がした。

 誰の声か一瞬わからなかったが、マリーナが「こら、ヴェルン」と言ったので、黒猫が言ったのだとわかった。黒猫はマリーナの膝に乗った。

「自分で納得して、話の途中を飛ばしてしまう」


「あなた、喋るのね」とセイラが言った。

「喋る猫は初めてかな?」ヴェルンの声は低音だ。

「けっこう見たことはあるけど、猫って喋るのも喋らないのもいるよね」

 フィズは言葉の合間に苺タルトをほおばる。

「見分け方は、瞳が丸いか否かだ。猫目は喋らん」そう話す黒猫の瞳は縦長だった。

 ヴェルンはマリーナに持ち上げられ、膝からおろされる。

「膝には乗らないで」

「ああ、つい……我にとってはちょうどよい段差なのだよ……ぴょい、と跳ねたくなるのだ……」そう言いながらヴェルンは窓の方へ向かっていき、窓枠に跳んで乗り、青空を眺めはじめた。


 気を取り直したマリーナが話しだす。

「ダンジョンの生態系を知っていますか?」

「生態系……? いえ、考えたこともないです」と僕は答える。

「ダンジョンはご存じ?」マリーナは腕を組んだ。垂れ下がったつばの間から翡翠色の瞳が覗いた。

「はい、もちろん」

 ダンジョン。町のはずれにある構造物。入り口はただの洞穴だがその内部は一定期間ごとに形を変える。奇異な生物たちの蠢く迷宮。

 そこの生物は「魔物」として区別されている。魔物の特徴は心臓がある種の宝石でできていること。「魔石」と呼ばれるそれには高い価値があった。信用のない冒険者たちはほとんど採掘者同然に魔物を掻っ捌いて魔石をかき集める。


「魔物の死体がどうなるかは?」

「ワームが食べるんでしょ?」

 ワームは巨大なミミズであり、巨大なイモムシにも見える魔物だ。屍肉を食う。ダンジョンの掃除屋と言ってよかった。


「わたしの依頼はまさにそういうことです」

「どういうことですか?」

 マリーナの言葉についていけない。


「ええ、つまり……ワームの数が減っている、もしくはその活動が弱くなっているようなのです。深層において、小鬼ゴブリン豚頭オークなどの死体がそのまま残っている、と。その原因をつきとめたいと思いまして」

「なるほど……」

「……ワームが好きなのです」

 ワームを好む人に初めて会った。赤みがかった体で地面をのたうち、消化液を丸い口から垂らすその姿は、僕からすると近寄りがたい。ワームは襲ってこないので、近づく理由もない。


 詳細を聞いていくと、依頼は抽象的なものだった。原因がわかっていないので、実際に深層を探索する以上のことは何も決まりようがなかった。


 そうした話し合いをしていると、足音がして、扉が叩かれた。

 僕らはマリーナを見た。

「ああ、多分、氷漬けのワームです」

「氷漬けのワーム?」

「頼んでおいたのです」


 マリーナは立ち上がって、歩いていき、扉を開けた。肩ぐらいの黒髪の子どもが立っていた。マリーナは身をかがめてその子となにごとかを話した。その後、顔をこちらに向けた。

「一緒に来て下さいませんか?」

「どこに? そして、なぜ?」とセイラが言った。

「ここのすぐ下です。少し運んで……いえ、お見せしたいものがありますので」


 どうする、と言いたげにセイラが僕とフィズを見た。断る理由も特になかった。僕は頷いた。僕らは腰を上げた。何を運ばされようが見せられようが構わない。

「下ってアイスとか作ってるのかと思った」

 フィズが腕を伸ばしながら言う。

「アイスもありますよ」マリーナが少し微笑んだような気がする。

「え、ほんと?」

 

 ヴェルンがいつの間にかマリーナの足元にやってきていた。黒髪の子を先頭に僕らは部屋から出た。


「氷漬けのワームをどうするんですか?」と僕は訊いた。

「一緒に寝ます。部屋のベッドで」

「寝る?」

「言葉通りの意味です。横たえて、わたしもその横で眠る。……変だと思ったでしょう?」

 確かに変だった。

「結局、ワームに食べられたいっていうのは……?」

 マリーナはわずかに声を出して笑った。

「わたしは、ワームを支配したいのです」

 言っている意味がわからなかった。

 僕らは階段を降りていった。

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朔望の狂狼~S級からの降格? そして三つの依頼~ 佐田ほとと @sadahototo

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