第7話
あの人が試合を見に行きたいと言ったのも、父親はすごかったのに僕は弱いと知っていて、興味本位で言っているのだろう。
もしかしたら、まだ白帯だし、試合を動画に撮ってネットにアップしたりして、面白がるかもしれない。
「いや、そんなことはないと思うよ。勝手に決めつけない方が良いって」
先輩はそう言った。
その翌々日、練習が始まる前に、その先輩からまた声をかけられた。
「この間のあの娘、聞いてみたらお前の父さんのこと、知らなかったぜ」
「ええっ」
僕は驚いた。
次の日、その女の人を探して謝った。
腹を立てた理由を聞かれ説明すると、その人は言った。
「ごめんなさい。君がそんなに辛い思いをしてきたなんて、思ってもみなく・・・」
「うん」
「だけど、あの・・・」
話が終わったからそろそろ帰ろうと思っていたそのとき、彼女が何か言おうとした。
「やっぱり、試合は見に行って良い?昔から柔道してる人に憧れてたけん」
「うん、来てくれると嬉しいよ」
その人は試合を見に来てくれた。
それで、むしろいつも以上の力を出したつもりだったけど、結局は勝てなかった。
だけど、それからその人と一緒にカフェによく行くようになった。
僕たちが練習している所には、中学生や高校生も来る。
彼らと試合形式の練習をすることもよくある。
昔は有効もポイントとして存在していたがこの頃には廃止され、現在では技ありと一本だけがポイントとして認められている。
積極的に技をかけていくと、こちらが技ありを取って途中までは優勢に進むことも少なくないが、なぜかいつも最後には一本を取られてしまうのだ。
それがどうしてか考えても、何も思い浮かばないままだった。
先輩たちに相談してみたら、意外なことを言われた。
「お父さんのことを聞いてたから、無理やりやらされてきたことに反発して、わざと負けていると思っていたよ。だけど、何か理由があるんだろうと思って、こっちからは触れないようにしていたんだ」
「これは負け癖かもな。でも、自分は柔道とか苦手だということをあまり意識しない方が絶対、良いって」
そう言われ、これまで負けてきたことを意識しないようにしてみたが、そのあとも勝てないままだった。
長く柔道をやっていて、練習にいつも来てくれる人にも聞いてみた。
「柔道は技だけじゃなくて、人間性も大事だからね」
その言葉を聞いて、僕は恐くなった。
だけど、その人は穏やかな顔をして言った。
「別に難しいことをやる必要はないよ。周りの人が少しでも気持ち良くなるにはどうしたら良いか、少しだけでもできることをやってみたら、何か変わるんじゃないかな」
時間があるときに早めに道場に行って、掃除をするようにした。
マネージャーの人が来られないときには、代わりにお茶を用意したりもした。
そうすると、先輩や練習に来る人が、感心してくれた。
練習に来ている中学生には学校の柔道部にも所属している子もいて、先生が見に来た。
練習していると、僕に近付いてきて言った。
「君は大学から柔道を始めたの?」
「えっ、いえ・・・」
「一つ一つの練習をするときに、それぞれがどんな意味があるか、考えてやるようにした方が良いと思うよ」
「はい。ありがとうございます」
それから練習をするときに、どうすればもっと相手を投げられるかを考えるようにした。
その成果かは分からないけど、昇段試験で少しずつ勝ちを積み重ね、ついに黒帯を締めることができた。
だけど、公式戦では勝てないままだった。
大学になると、前から柔道をやっていて、しかもその中でもうまかった人が多く、勝つことは高校までよりもさらに難しかった。
畳の上の深い轍 鴨坂科楽 @kamosaka
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