残夏 -ざんげ-

ルリア

残夏 -ざんげ-

夏が終わる────その予感だけを残したまま、いまだにうだるような暑さが続いている。


風は涼しくなった。空もあれほどまで高くなった。季節柄、いや、天体的なこの世界の理に則って大きく浮かぶ月明かりに負けないよう夜空にはオリオン座が瞬く。

季節はどこまでも秋に近づこうとしている。これまで人間たちがこぞって体感して、定義してきたはずの暦には限りなく近づいているのに、ほんとうに欲している"秋"そのものにはまったく手が届かない。


これほどまで強く残る夏の気配は、もしかすると、だれかが意図的に引き起こしているものだろうか。


しかし、確実に「秋に向かっている」という事象は次から次へと発生する。


今年も金木犀が咲いた。


季節の花に疎いまま過ごしているひとたちでさえ、その香りがその身体の鼻腔を刺激すると「秋」を体感する。

その香りがしている間だけは、気温を忘れ、夏の気配を忘れ、「秋だなあ」なんて思ったりする。


金木犀の木が花を咲かせ、その香りを振りまく以外の季節や時間にどのような姿で過ごしているのかさえ知らないひとびとがこの世の中には多い──と思う。

あれほどまでに見事で小さな花をこれでもかというほど鮮やかなオレンジ色を纏って咲くその花のかたちや色、葉の形状、ましてや香りはするけれどどこで咲いているのかさえ知らない、わからないと平然と言ってのけたりする──香りがしなくなったからといっても、まだ花はそこで咲いているのに。


それにしても暑い。ありえないほど暑かった夏のことを考えれば、これでもかなり涼しくなった方だとは思うけれど、まだここには夏がまちがいなく残っている。


だれかが夏に忘れものをしているのだろうか。

その忘れものを気づいて欲しくて、持ち主に迎えに来て欲しくて、これほどまで秋が近づいてきているというのに季節の椅子にいつまで経っても居心地が悪そうに夏が座っている。

椅子取りゲームだとしても、ほぼ八割は秋が占めているというのに。


それとも、夏は、だれかを待っているのだろうか。

かならず会いに行く、と言っただれかの言葉を信じて、ずっと待ち続けている──その約束をそれが忘れるわけがない、という一種の依存のような、執着のような、なにをどうやったってあきらめきれない残滓をずっと捨てられずに、ただ待つことしかできずにその椅子を譲れずにいる夏は、とっても哀れだと思う。

暦にも、秋との椅子取りゲームにも、断じて負けることはゆるされないという、強い意思のような、思念のような、そういった負のイメージだけが、ずっとただよっている。


だから、秋がこれほどまで目前に迫ってきているのに、いつまでも夏だけがその「なにか」をあきらめられず、しりぞけず、居座っているその負のイメージに、気がつかないうちに影響を受けてしまっている人間たちが総じて体調を崩している。


そのうち、抗いようもなく、どうしようもなく無残に椅子から蹴り落とされてしまうことだって、夏はじゅうぶんに承知しているはずなのに、夏はずっとだれかを、なにかを待っている。


もしだれかが、なにかが、あなたの心にぽっと浮かんだ夏に忘れてきてしまった、置いてきてしまった"それ"に心当たりがあるとするならば、いますぐにでもあの椅子から転がり落ちそうな夏に向かうべきだ。


だいじょうぶ、だれもあなたを責めたりはしない。

なぜならだれしもがあの椅子を秋が占めることを望んでいるのだから。


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