自分はなんて我儘なのだろう、と思う。
寝不足でご機嫌斜めの朝に話しかけられると、たちまち拳が震えを刻む。かと言って夕刻になっても声を掛けられないと、「え?俺もしかして腫れ物?」と焦り出す。他人には常に中庸を求めるくせ、翌日朝から予定があるのにスマホの誘惑に耐えられない。ちょうどいい時間に眠れない。愚かで怠惰で溜息が出る。
同じように、明るい場所は恥ずかしいけど、真っ暗だと寂しい。ていうか怖い。
そんな時、月は優しかった。薄い光で、闇を和ませてくれた。孤独が蝕む心を、暖かく照らしてくれた。夜の静けさに不安がっていると、「一人じゃないよ」と微笑んでくれた。
そんな月にさえ、私たちは、くだらない人間の価値観を押し付けていた。物事のある一部分を抽出して、あたかもそれが全てかのように語る。インスタのストーリーを見て、楽しそうな他人の生活と、空虚な自分の生活を比較して、僻む、妬む、萎える。インスタなんて、その日過ごした中で最もきらめいていた一瞬を切り取って載せているだけなのに。
『満月だけが、月じゃない。』
この言葉は、まさに自分のような愚か者にグサリと刺さる。
新月も三日月も半月も、月であることに変わりはない。目視できる滑らかな月面が全てじゃない。インスタで見る楽しげな一瞬が日常じゃない。
それに気付いた時、靴の中に、じわ、と冷たい水が染み込むのが分かった。