リシャルト 第一話

リィンは地下に続く冷たい廊下に腰を下ろした。王玉を護る小さく静かな地下に続く道。地上に上がってきてしまったリィンが易々と出入りできる場所ではなかった。だが、十年も真っ暗で冷たい世界で生きていると、不自由なはずが、何故か心地好く感じてしまうようになったのだ。勿論、王玉に近づく気はない。でも、その傍で、今は気持ちを落ち着けたかった。

「リィル、君は偉いね。僕、約束の場所なんて伝えたっけ」

声に振り向く必要もない、彼女は今日の昼に会った親族の神、アルカナだ。そして瞬時に警戒した。どうしてこの洞窟を知っている。王玉の存在でさえ限られた人間にしか知らされていないのに。今すぐにでも彼女の首を落としてやれる。そんな風に構えをしたが、リィンの首には冷たい手が当てられた。彼女の手刀だ。ガーディアンのこの俺が、背後を、しかもこの暗闇で許すなんて。リィンは恐ろしく冷静に、実力差を感じ、両手をあげた。完敗です、と伝えるように。真っ暗闇で、普通の人には階段さえ見えもしない世界。一般人相手にはそれが意味をなさないことは知っていたが、この振る舞いからアルカナには意味があると判った。

「警戒しないでよ。僕を誰だと思ってるの」

「親族の末裔、まあ、神様、ってとこ、ですか」

アルテアの召使いであることは昼間に知られている。彼女の顔に泥を塗ることはしてはいけないと思った。付け足すように丁寧語を述べると、アルカナは気を害した様子もなくリィンの首から手を離した。

「君が護ってきたもの、そのご主人様だよ。少しは仲良くしようとしてよ」

リィンが眉を顰めると、アルカナがふっと口角を歪めたのが判った。

「王玉が何であるかくらいは判って護っていたんだよね。あれは、全ての宝石を操ることのできる、最も厄介な石さ」

リィンの一段上にアルカナは腰をかけた。全くこちらを警戒しないらしい。というより、実力差は先程見せつけただろう、というつもりだろうか。

「全ての人間は、心臓を持つ、そして宝石を持つ。それを契約の道具にして人間共は戦争なんかしてたわけだけどさ」

ぼう、と光が浮かぶ。正八面体のダイヤモンドの形になった。光がないこの空間でも、反射する光までもがダイヤモンドとおなじで、彼女の魔力は恐ろしいとリィンは声も出なかった。

「僕らは何で神と崇められていたと思う?人間でないから?少し違うんだ。全ての人間に宝石を与え、宝石に呼吸をさせ、結果として全ての人間を生かしているからだよ」

無学なリィンでもこれは知っている。この世界は孤独な神と氷の天使の物語から始まると。


氷の天使は触れたもの全てを凍らせてしまい、人間なんぞに触れてしまえばその生命を奪ってしまった。天使も、孤独だったのだ。孤独な天使の傍に、孤独な神がやってきた。神は人間では無いから凍らなかった。天使は神の手を握る。やっと出逢えたほかの生命の鼓動、温かさ。ふたりの魔法はあるものを生み出した。神の作り出す無定形な『美』。氷の天使はそれを凍らすことができた。そうして生まれた『宝石』はふたりの魔力により鼓動を鳴らし、全ての地にばら撒かれることになる。それが育ち、現在の人間となったのだ。


「王玉、と名前を出したな」

「ほら、また僕を警戒している。もっと仲良くして欲しいのになあ」

「王玉は存在は愚か、場所など殆どの者が知らない。例え宝石を生み出したのが貴方であれ、王玉を知る理由にはならない」

「力には、それを超える力がなくてはならないんだよ。人間は愚かだ。いつかは僕らが与えたそれを有り難がりもせずに自らのものという顔をして、更には他人を迫害するんだ。その抑止力が、王玉さ」

アルカナが空に浮かべたダイヤモンドを掴んでみる。それはリィンの手に触れた瞬間壊れてしまった。光になり、空気へ分散し、いつの間にかその欠片さえ見ることができなくなった。

王玉を護る『ガーディアン』を選ぶ試験を受けたのは、リィンが強いからだった。生きるためだった。食っていくためだった。自分が他者より魔力が強いことなど十をすぎる頃には知っていた。王玉が暴れだしたら多くの者が亡くなることも知っていた。それを護れるのは自分だという承認欲求や顕示欲が無かったとは言わない。でも、正義の気持ちからガーディアンを務めると決めたのだ。

しかし、護ってきたものに対してあまりに無知であったことをリィンは悔い、恥じた。そんなリィンを見透かしたように、アルカナはリィンの頭を撫でた。

「やめてくれ」

「いいじゃないか、僕は雇い主だよ」

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氷雨に猩猩緋 千崎 叶野 @Euey_aio

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