太陽が眩し過ぎたせいで、人を殺した

柳ノ雉

第1話

 恐らくあの光が、私にはあまりにも眩しかったせいで




 眩しい光だ。路地をすり抜けると、1億5千万km離れたところから訪れた光が、真直ぐに私の瞳に映る。


 高層ビルのガラスに反射され、都会の隅々を照らす、炎天を飾る光。街中を歩く人々は各々が持つ電子端末を大事そうに手で握って、海辺の波のように風行く方向へ向かっている。


 人混み溢れる都会の正午らしく、人たちの服は皆個性的で、パーマした若い男たちは軽いTシャツ恰好で群れを作り、制服を着ているガキ共はこそこそ意味の分からない話を言いながら盛り上がっている。


 人たちの中には白や水色のワイシャツを着ている連中が何人かいて、その大半はハンカチなどで額に流れる汗を拭きながら生きているのか死んでいるのか区別つかない顔をしている。何人かは自信溢れる生意気な顔で堂々と横断歩道を渡っていたが、脇を濡らす汗はどれだけ堂々としていても止まらない。


 盛り場の所々には酔っ払いが吐き出した昨日の夜食が散らかっていて、住民たちが集めたゴミ袋の周りには、ゴミ箱を見つけられなかった観光客たちが放り投げたコーヒーチェーン店の使い捨てコップが転がっている。


 アタシは日差しが届かない路地の奥で、タバコを吸ってる不良青少年たちを背景にしてぼんやり空を眺めている。地球を燃やすように輝く太陽が置かれたあの空は、似合わない程青くて綺麗だった。摩天楼の下で、路地の影を踏み、桃色レースが付いている古い日傘を持って日差しを避ける。


 日陰に隠れこっそり空を仰ぐと、太陽光の熱が眼球を蒸してしまいそうだった。目を顰める。サングラスを買わなかったのを後悔するが、今日出掛ける時金を持って来なかったから仕方ない。我慢する。目を逸らし、清くて青い空から汚い地面の方へ目線を映す。


 「ね、お兄さん?あれ頂戴?」


 不良のガキを見てこう言うと、一人は呆れたように失笑するが、群れの中の一人だけは面白がりながら迷わず隣に座っている者からタバコ一つを奪い、それをアタシに投げる。


 「ありがとう」


 宙に浮かんだタバコ一本を掴み、それを口に咥える。


 「お礼として面白いもの見せよう」


 アタシはそう言いながら日陰の外へ手を伸ばし、指を日差しに当てる。影から逃れたアタシの白くて短い人差し指は、日差しに当たる途端、火が付き、燃えてしまう。


 「うわっ!」


 「何それ?」


 驚いた不良のガキ共が一斉こっちを見てる。アタシは4人の男子高校生の視線を楽しみつつ、何気ない顔で指を包んだ炎をタバコに移す。発がん性の煙が目の前で漂いながらアタシの呼吸器を汚そうとする。日差しに当たった人差し指はもう半分くらい灰となってしまったが、日差しを避けて影の中に隠すと指を燃やしている炎は消え、いつの間にか焦げた指は元通りに治っていた。


 「魔法だよ」


 好奇心たっぷりのガキらしき目でこっちを見ている連中にこう言い返した。


 「すっこ!それどうやった?」


 「何千年生きてたら自然と身に付く」


 適当に彼らの質問に答える。タバコも吸ったしもう用も済んだ。まだ灰にならなかった部分を大事に咥えながら不良たちを後にして暗くて汚い路地を辿る。路地の中でも日傘を使うのを忘れず、足元のゲロに気を付ける。歩くのに邪魔なゴミ箱を蹴ったら、もっと邪魔になりそうな形で倒れた。追って来るコバエを手で振り放つ。


 タバコのサイズが元の半分になったらもう口で噛んでいるのも飽きてしまった。残りの部分をそのまま食べようかと思ったが、今はその気に乗らなかったので、フィルターを唾と一緒に吐く。陽光を直接浴びたわけでもないし、たった30分程度歩いただけなのに、8月の日本のクソみたいな暑さのせいでうなじと脇の辺に汗が溜まった。小学校高学年が着そうな、やや大きいサイズの黒いTシャツは、流れた汗でジメジメとなっていた。


 疲れた。スリッパを引く音が路地に響く。けど段々その間隔が長くなる。もう一歩も動きたくない。このまま道に倒れ寝転がりたい。暑いから汗出るし、歩いたら疲れる。疲れたらイライラするし、イライラしたら疲れるんだ。そこは普通の人たちとあまり変わらないんだ。


 路地のゴミ袋を枕代わりにすることだけは防ぎたかったので、頑張って足を運び、やっとマンションの前に着いた。建物の中に入って日傘を折り、被ってたキャップを外す。口うるさそうな爺さんの後ろに並んでエレベーターが1階に降りるのを待つ。


 アタシは誰がどう見ても平凡な少女だ。魔法を使おうが、タバコを吸おうがここの老いぼれた奴はアタシのことを化け物だと思わない。ま、ニート小娘だとは思うかも知れないが。爺さんが降りた後にもアタシはエレベーターに残る。エレベーターはまだ昇る。


 アタシはエレベーターが6階に止まったらそこで降りる。巣に向かう途中に6階に住むある青年とすれ違う。このマンションに住み始めてから時々見かける太った青年だった。アタシは彼のことを気にしたくなかった。エレベーターを降りたら左の壁面にくっついて陽光から逃げながら部屋へ向かう。マンションの廊下は外廊下形跡だったが、幾つかのマンションに囲まれているおかげで、日差しが届くのは廊下の右半分までだった。


 玄関の前で立ち止まった。普段鍵をかけることはなかったから、ただドアノブを握って回すだけで入ることができたが、何も言わずアタシの後ろに立っているデブのニート野郎が気に障り過ぎて仕方ない。あまり関わりたくなかったのに、堂々とこっちを見下している野郎の顔は、よそ目で見るだけでも腹が立つ。


 視線を右上の方へ、彼がいるところへ向ける。


 「何?家庭訪問でもするつもりか?」


 すると表情が歪んだ。眉を顰め、目を丸くしてこっちを睨んで来る。子どもに舐められてガチで切れるとは、相当可哀想なやつだ。男は意地で胸を張って、強がりながらアタシに近づくが、一生誰かの前で堂々と振る舞ったことない、情けないガキが精一杯顔を顰めてみても、ただの間抜けにしか見えない。


 玄関を開いて家の中に入ると、あの青年もアタシに付いて家の中に入る。背は小さく、肩幅は狭い。腹には脂肪がたっぷり付いていて、緊張か興奮、若しくはただ普段の習慣のせいか、呼吸は酷く乱れている。彼は力を入れてドアを引っ張り、家の中に無理やり入り込もうとする。


 履いていたスリッパを脱いでゆっくりと彼が入って来るのを見つめていると、見てるだけのこっちがやけに疲れる。


 「ちょっと暗いよね?火点けようか?」


 もう今日は最悪だった。何もかも退屈で、イライラするばかりだ。やっと家に入って来たチビのデブが息切れた状態で靴を履いたまま部屋に足を踏み込もうとする時、電気スイッチを押してアタシは家を明るくする。元々日当たりが悪い部屋だったし、殆ど毎日カーテンを閉めているおかげ、火を点けないと部屋中に何が散らかっているのかも見えないんだ。


 だけど火を点けると、なんと?


 頭を失った人の屍が三つも血一滴残さず部屋のあっちこっちに転がっていて、テーブルの上のお皿にはどの生物のものか一目ではよく分からない程粉々になった骨の欠片が置かれている風景がはっきりと見えるようになるでしょう?


 背中に入れ墨を入れたガタイのいい二つの屍は、腹の脂肪と中の臓器が全て噛みちぎられていて、手足も付いていない。今更思うが、背中と頸、胸の一部だけが残された姿が心肺蘇生訓練に使われる人形に似ていた。類似心配蘇生訓練人形たちよりは身体の小さい、もう一つの男の屍は、か弱そうな細い上半身は骨だけ、それに相応しい下半身は足一本だけが残っていた。


 「なにこれ……」


 人の屍を見たのは初めてなのかな?最近の若者たちはいいな。青年は小さく呟く以外全く動かない。凍った魚みたいにその場で固まって部屋の風景から目を逸らせない。数十秒が経ち、やがて彼の行動が思考に追い付くことができるようになった時、彼はアタシに背中を向けて、ドアノブを握り急いで家から出ようとしたが……


 生憎ドアは開けない。


 「な、お兄さん?」


 ドアは微動だにしない。ドアノブは若干動くが、肝心なドアは不思議な程動かない。


 「助けて!」


 男が悲鳴を上げるが、その悲鳴は外へ届かず、外の音も中では聞こえない。


 「兄さん今日暇でしょ?だからこそこそガキ付いて来たよね?」


 一歩近づくと男は膨らんだ腹の中に入った空気を全て吐き出し、玄関のドアへ身体を押し寄せる。


 金魚みたいに口をパクパクと動いてはいるが、別に喋っているわけではない。音を出せず、ただ目の前にいるアタシを見つめている。だが、その目を見れば言葉はなくても彼が言おうとすること、疑問に思うことが何なのか分かる。


 『一体何者なんだ?』


 恐らくこれでしょ。


 黒に染まった世界で、息を吸う者は猛獣と獲物だけ。部屋を照らす電気も、キチンのテーブルや部屋の家具も見えない。ここは影の世界だった。


 再び一歩を踏み出すと目の前に獲物がいる。


 「ただの魔法使いだよ」


 長くなった牙のせいで言葉を話すことも大変だ。手を差し出すと、指先にはまるで短剣のように鋭く伸びた爪があって、爪先にはいつの間にか青年の血が付いていた。


 「アンタ、運が悪かったな」


 アタシはただの人間だった。日差しに当たると勝手に燃え始める身体であったが、かつてはアタシも人間だった。


 「ごめんな?今日はアタシも機嫌が悪いんだ」


 今は太陽の下を歩くことはできないが、遥か昔はそうじゃなかった。


 今は人の肉しか食えない身になってしまったけど、昔はそうじゃなかった気がする。


 今はオオカミのような牙と血に染まった赤い目を持っているが、昔は恐らくこんなものなかったと思う。


 殆ど忘れて、大体覚えてないけど、何となくそんな気がした。

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