第19話 手記
ボクはそれ以上なにも言わずクレアが指差す方向に向けて駆け出した。静寂が支配するダンジョン内では、無常にもボクの靴音のみが響き渡り、並走する頼りになる仲間の存在もそこにはない。
向かう道中、どれほど二人の存在が自分にとっての支えだったか。孤独となった今なら分かる喪失感に押し潰されそうになる。
今すぐに引き返せばもしかしたら彼女を倒すことができるかもしれない。そんな微かな可能性に縋って来た道を戻ればこの溢れる自己嫌悪の感情も少しは収まるだろうか。
いや、そんなクレアの決死の覚悟を無碍にするような真似をしたら、その時こそ本当にボクは自分のことを嫌いになる。結局、この世界に帰還してもボクはボクだった。いつまでもクレアに助けられる弱い藍沢ユイのままだったんだ。
そうして、堀北から聞いていた転移の魔法陣がある秘密の部屋へと通じる最後の道に差し掛かると、荘厳な赤い扉の前に近づくにつれて走る速度を緩める。探し求めたその扉の前でボクは静かに息を呑むと、ドアノブに手をかけて回転させた。
「ご苦労様です藍沢君。随分とお早い到着ですね」
◇◆◇
「八神君との一戦から気になっていましたが、やはり貴方は身体能力が飛び抜けて高いのですね。二人と別れて5分も経たずにここへ辿り着くとは驚きました」
「嘘でしょ‥‥なんでここにいるの?」
違和感なく親しげに話しかける少女、サナは可憐な笑顔をふりまくと、動揺するボクに向けて小さく手を叩いた。
「驚くのもわかりますよ。クレアさんに足止めを喰らっているのではという疑問が生じるのは仕方のないことです」
「‥‥‥」
「安心してください。流石に私といえど友人を手にかけることは躊躇します。ですので彼女たちの持つ天命に全てを委ねることにしました」
「‥‥天命?」
喉を絞り出すように声を発したボクに、彼女は再び笑顔を向ける。
「生きるも死ぬも彼ら次第ということですよ。貴方が案じる必要はありません」
「ふざけるなよ。人の命を何だと思ってる」
ここに来て始めて大きな声を上げるボクを見て、サナは啜り笑うような声を出すと、
「勇者アスティより大切な存在だと、そう仰るのですか」
これまで感じてきた怒りや後悔、全ての感情を奪い去る一言を彼女が口にした。
「どういう、意味?」
少女の存在を見上げると、急激に口内が渇き始めた。なぜ、どうして?あらゆる思考が交錯する中、サナは構わず話を続ける。
「勇者一行の末裔の家系は冒険譚が綴られた手記を代々に渡って守り受け継いでいます。内容はメンバーによってそれぞれ異なりますが、我々ミシェル・シューベルの手記には冒険譚の他にとある伝言が記されているのです」
ミシェルの手記。そういえば旅の一日の終わりにいつも日記をつけていたな。けど、それがどうしたんだ?
「内容はミシェルの力を正統に受け継いだ女性にしかそれを知ることを許されておらず、当然男性の現当主である叔父様も存じておりません」
話の全貌が見えないまま、彼女は一方的に喋り続ける。それはまるでボクの意思など必要ないと禍々しい何かを押し付けるようにして話を結論へと向かわせた。
「気になるその内容。それは”数千年先の未来に、勇者の末裔を圧倒する青年が現れる。必ず見つけ出しシューベルとの間に血縁をもたらせ”といったものです」
……は? え、なんて言った今。
文字通り停止する思考の中、そんな言葉が頭の中に浮び出した。
血縁って、結婚しろってことだよね。え、なんで?というかどうしてミシェルは自分の子孫とボクが引き合うような奇跡的な偶然を知ってるの?
疲弊し切った体に追い打ちをかけるようにして、疑問の渦が頭の中を回り出す。体も動かなければ、頭も動かない。一種の廃人状態にユイは陥っていた。
「信じていなかったわけではありません。けれど勇者の末裔候補を倒す存在など私たち同種の人間以外にあり得ないと思っていました。けれど先日その概念を覆す出来事が起きてしまった」
八神をボクが倒した一件。でもあれは模擬練習中に起きた偶発的な事故で決して起きると決まっていたわけじゃ……
「——————ぁ」
その刹那、ずっとボクの中で突っかかっていたモノが剃り落ちるような感覚に陥る。
あの日、あの時、急激に湧き出た殺意と目的を達成しなくてはいけないと焦燥させられた使命感。自分の意思とは真逆に働くその破滅的な行動に対して、ボクはずっと飲み込むことができていなかった。
けれどもしアスティの仕掛けたボクへの呪いが単純な彼の気まぐれによって引き起こされるものではなく。何かに従って発動するものなのだとしたら、それはきっと目の前にいる彼女が有している手記の伝言が原動力になっているのかもしれない。
アスティは、彼らは何かを成そうとしている。既に自身が死んでいる数千年後の未来のこの世界で。少なくともミシェルは確実に異世界での未練を末裔に託してきている。
やっぱり引きずってたんだミシェル。ボクが彼女の告白を振ったこと。
「素敵だと思いませんか。彼女が残した幾千年後のラブレター。もし本当に彼女が記したことが起きようものなら私は彼女の伝言に従おうと常に考えていました」
「いやでも、もしそれが正しかったとしても。彼女の意思と君の意思は違うでしょ。そんな全く同じ人を好きになるなんてそんなこと……」
「そうですよねわかってます。奇跡ですよね私も同じ考えです」
えぇっと、そういうわけで言ったはずじゃないんだけどな。
「話が遠回りになり大変申し訳ありません。私が貴方は伝えたいことは以上です」
ではどうぞ気をつけて行ってください。
などと言ってくれる雰囲気ではなかった。周囲に漂う嫌な気配は少しずつ冷気として漏れ始め、いつのまにか部屋全体を霜で覆いつつあった。
「ここで転移されるとせっかく出会えた運命の殿方がどこぞの馬の骨とも知らない女に取られてしまう可能性があります。ですので少し痛いですがクレアさんみたく暫くの間氷漬けになってもらいましょうか」
彼女の足元から放たれた魔法が地面に氷柱を走らせながらボクに襲いかかると、体全身を氷の冷気が支配した。
※たくさんのお声やアドバイスを受けて物語の題名を本編の内容がわかりやすくなるように変更致しました。これからも拙作を楽しんでいただけるよう精進していきますのでよろしくお願いします。
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