第16話 ニブルヘイム
「————ぁ」
プツリと何か切れたような断裂音が響く。
反射的に掠れた声が喉元より漏れると何事かと驚きながら己の心部に手を当てる。泥を鷲掴みしたような柔らかい感触を覚えると、ボクは咄嗟に自らの掌を顔の前まで持ってきた。
「血?なんで、一体どこから」
口走った直後、自立していた平衡感覚はバランスを失い、藍沢ユイの意識はその時点で消失した。
「ユイ!!」
力失くして倒れたユイの体をクレアが庇い、腕で持ち上げる。
「ふざけないでよ!!こんなところで、こんなっ!」
ぐったりと脱力した体を揺さぶると、クレアは全力で自信の体内に巡る全ての魔力を治癒魔法に注ぎ込んだ。出血した血は体内に戻り、傷口は少しずつ塞がっていく。だが少しずつ鼓動が高鳴りを失い、今にもその動きを停止しようとしていた。
目の前の現実を受け入れられず、全面的に弱音を吐き続けるクレアの横に転がる槍を拾い上げると堀北は嫌な予感を頭に過らせた。
「この槍、八神の野郎が使ってたやつだ。間違いねぇよ」
強い既視感を覚えるとそう時間はかからずその正体を突き止めた。数多の生徒が見ている中、自分に耐えがたい雪辱の敗北を与えた張本人の武器を忘れるはずがない。
「あの野郎の仕業かよッ!クソが、隠れてないで出てきやがれ!」
奥歯を噛み締めて、ありったけの殺気を周囲に撒き散らすと見えざる敵に向かって怒りをぶつける。当然そんなことで暗殺者がおめおめと姿を現すわけないと思っていたのだが、予想は大きく裏切られ地に舞う木の葉を踏み潰しながら現れた人影が二人の前に姿を現した。
「そう吠えなくたってお望みの通り出てきてやるよ。既に目的は達してるんでね」
血染めの現場に現れたのは見上げるほどに大柄な巨人でもなければ、八神斗真当人でもなく、何も持たない手ぶらの青年だった。青白い髪と純白の肌は日本人の特徴とは合致せず、どちらかというとロシア系に近い風貌をしている。
「テメェは、誰だよ」
間違いなく八神の一件に関する刺客。そんな基本的な情報ではなく、目の前にいる謎の男の素性を明かすべく堀北は問いかけた。
「オーディン。この国じゃ割と有名人だと思うんだけどな」
その名を聞いた瞬間、発動していた治癒魔法を解いたのは他でもないクレアだった。
「オーディン?それって英雄の名前じゃ」
昔話に出てくる勇者オーディンの物語。かつて他を引き寄せない圧倒的な魔力量を持ち、絶大な威力を誇ったという雷魔法の使い手で知られている。
勇者アスティに並ぶ英雄として数えられる歴史上の人物の名を耳にして、クレアの心情が穏やかでいられるはずがなかった。
「勇者アスティが生まれるより前に実在していたっていう勇者だよな。確か魔王ハデスに殺されて死んだはずだろ」
クレアの動揺に続くように、堀北も己の知っている事実を口にすると教科書に載っている絵と目の前にいるその男を記憶の中で見比べる。
「いや、だとしてもおかしいだろ。なんでそんな昔の人間がここに———————」
「話は終わりでいいよな。オイ」
気がつくと、オーディンはいつのまにか不機嫌そうな顔を浮かべて二人を睨みつけていた。
「アスティの話はどうでもいいだろ。あの野郎の賞賛話は耳にタコができるかってくらい聞かされた。もううんざりなんだあの野郎の話はよ」
額に青筋を浮かべ、片手で槍の名らしき名前を呼ぶと堀北が手にしていた槍がまるで意思を持った生き物なように震え始め、オーディンの手元へ移動した。
「別に雑談をしに来たってわけじゃねぇんだ。そこに転がってる坊主の首さえ持ち帰ればお前らに用はない」
血に染まった槍の先端をユイの首元に当てると、傍で庇うクレアにオーディンは忠告する。
「そこを退きな嬢ちゃん。一緒に首を刎ねられたくはねぇだろ?」
「‥‥絶対に、退かないッ」
「そうかい。じゃあ、死ね」
一度槍を振るいあげると、勢いをつけて二人の体を斬り刻まんと凶刃が襲いかかる。堀北がオーディンの立っている足場を崩すべく魔法を発動しかけたその時、下ろされるはずの槍がクレアの頭部に当たる直前で停止した。
「あ?」
想定していなかった事態に、オーディンは小さな声を発した。貫くと思っていた自らの槍は柔らかい肉片を斬り裂くどころか、岩石にぶつけたような衝撃を持ってして攻撃が防がれたことに気付かされる。
「おい人間、嘘だろ。なんで生きてる」
ギチギチと音を立てて震える槍先に居たのは、先ほど自分が致命傷を与えた人間、藍沢ユイの姿だった。
行き場を失った槍はユイの腕によって払い飛ばされると、オーディンは一度距離を取るべく後退した。
「クレア大丈夫?」
「そ、それはこっちの台詞だよ。ユイの方こそどうなの?」
「全然平気。クレアの治癒魔法のおかげでここまで復活できたよ」
嘘だ。
多分あの時、自分の心臓は間違いなくその役目を終えて動きを止めていた。背後の地面に流れている尋常じゃない血の量がそれを証明している。
これだけの致死量を噴き出してしまえば、生物がおいそれと無事でいられるはずがない。実際どうして無事なのか説明を求めたいのはボクの方だ。そんな己が生きていることを証明しようと思考を巡らせているうちに、目の前で呆けていた敵さんはいつのまにか冷静を取り戻してこちらの様子をじっと見つめていた。
「合点がいった。ここまで疑心暗鬼だったがどうやら本当にウチの大将はお前さんに負けたらしいな」
「大将?」
「斗真を倒しただろ。一応アレでも昨日までは俺の雇い主だったんだぜ?」
あのイケメン君がこの人を使役していた?八神君のことは何度も見てるし魔力総量も把握してる。そのことも踏まえて言わせて貰えば、目の前にいるコイツの方が魔術師としての格は数段上だ。練られた魔力の質そのものが違う。勝るとも劣らないその魔力は全盛期のアスティに匹敵する。
「これでも筋は通す質でな。大将がやられたってんなら仇を討つのが従者の務めだ。奇跡的な生還を迎えたところ悪いがここで死んでくれ」
オーディンが放つ研ぎ澄まされた闘気に全身の産毛を逆立てられると、無意識にボクは防御の構えを取った。大きく振り上げられた槍は紫電を帯び始め、雷鳴の如く轟音が辺り一帯に響き渡る。
冷たい夜風は竜巻の如く荒れ狂い、周辺に生えた木々の葉は全て剥ぎ取られた。
「この世界に召喚されてから始めてだぜ!この技を繰り出すのはな!」
かつて勇者オーディンが魔王ハデスに追い詰められた際、死ぬ間際に放った必殺の一撃が存在した。使用者の魔力量によって左右される永久追尾の攻撃、命中したら最後全身を焼き尽くし魂の核そのものを消失させる。
蘇生魔法、輪廻、生き霊や呪いとなって顕現することも許されない完全消滅の奥義、その名を。
「ニブルヘイム」
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