第14話 出発の時

 翌日午後6時半、ボクはクレアの言われた通り最低限の荷物だけをまとめて出発の時を待った。厳しくも楽しい学園生活が待っていると思っていたところ、不意打ち的に始まった亡命大作戦。異世界から帰還したとはいえ流石にこの急展開についていけるほどの図太い神経を持っていない。


「どうしようかなほんと」


 2人用のソファに腰掛け、不安しかない未来に思考を巡らせていると血の繋がった妹が神妙な面持ちでキッチンより顔を出した。両手には湯気の立ったコップを乗せたお盆を持っており、ボクの隣に座るとコーヒーの匂いを嗅ぐわせて目の前のテーブルに置いた。


「そんなに緊張する必要ないよ。クレア姉がいるなら私も安心してお兄様を送り出せるから」


 先ほどまで”行かないでください”と泣きじゃくっていた弱気な姿とは一変し、そこにあったのは逞しく弾ける笑顔を見せた自慢の妹、咲希の姿だった。

 

 世界は変わっても人は変わらないのは唯一の救いだな。クレアも咲希も魔法を使ったり、剣を振り回したりと頭を悩ませたことはあったけど性格そのものは召喚以前と変わらない。


「ほんとごめん。父さんも出張で家にいないし明日から一人になっちゃうけど」

「ぜ、全然大丈夫だよ。これでもずっと料理も洗濯も任されてきたんだからなんとかなるって!」


 ‥‥前言撤回。やっぱり不安でいっぱいなんだろうな。

 それもそのはずだ。ボクも咲希も小学生に進学する前から母に家を出ていかれ、唯一の肉親である父親も仕事上の都合で各地に出稼ぎに出てしまっている。そしていよいよボクがここを出たらこの家には若干15歳の少女が取り残されることになるのだから。

 

「もし何か困ったことがあったらすぐにクレアに助けを求めてね。ボクを見送ったらアイツはここに戻ってくるから」

「うん。わかってるよお兄ちゃん」


 本当なら妹も連れて行きたい。けれどこの先ボクを待っているのは生きていく生活も保障されているかわからない未知の土地だ。旧青森の土地だったとはいえ名称そのものが変わってしまった領地などアテにしていいはずがない。もし万が一血生臭いことになろうなら、ボクはきっと異世界で生きていたように殺しが常に付き纏う茨の道を進むことになるだろう。そんな修羅道に可愛い妹を付き合わせるわけにはいかない。


「そろそろ時間か」


 気がつくと家の前にて待機しているよう言われていた出発の時刻になっていた。キャリーバッグなんて持っていたらクレアに張り倒されそうな気がしたから、取り敢えず中学時代に遠足で使っていたリュックサックを持ち出すことにした。


「それじゃあ、行ってくるね」


 動きたくないと主張している重い腰を無理矢理起こし、視線をあからさまに下げている妹の前を歩く。テーブルとソファの間を突っ切ろうとした時、暖かく柔らかいものに自身の左手が包まれる。

 それはホッカイロや手袋なんてものではなく、優しい人の手の温もりだった。


「エーデルガルトに行くならお土産買ってきて。お味噌のラーメンが有名らしいの。それと体調には気をつけてね。お兄ちゃんいつもお腹壊すんだから。それと、それと————————」


 目を合わさずともわかる彼女の想い。きっと不安で押し潰されそうな感情を必死に押し殺しながら伝えたいことを言葉にしているのだろう。小刻みに震えながら握る咲希の両手がそれを証明している。


「それと?」


 詰まりかけた言葉に続くその先を聞き返すと、少女は瞳に浮かぶ雫を散らしながら目の前の少年に向けて叫んだ。


「必ず、帰ってきてね。お兄ちゃん!」


 いつだって変わらない守りたい笑顔。それは友であれ、家族であれ、奪ってはいけない大切なもの。ボクはこの世界に守るべきものがまだあったのだと改めて再認識すると、ありったけの明るい笑顔で彼女に応える。


「行ってきます!」




 ◇◆◇


 季節はまだ夏だというのに外に出てみると気温は恐ろしく低かった。リビングでテレビを見ていた時に知ったのだが、今日の夜の最低気温は5度を下回るという。12月様もお手上げな異常気象だ。

 両手を口元に添えて息を吐くと、真冬のように白い霧が辺りに広がる。


「気候も異世界加工が入ってるってわけね」


 それが的外れなだと気づくのは今から1時間後。当然、今その理由に気づけるわけもなくユイは安直にそんな推理を立てた。


「時間通りね。それじゃあ行きましょうか」


 お馴染みの少女の声が背後より耳に届くと反射的に振り向く。助っ人を呼ぶとか言っていたがその存在も確かめつつクレアに話しかけた。


「荷物も準備バッチリだよ。それで助っ人ってのは」


 その後に続くであろう”誰?”という言葉。ユイが尋ねる間もなくその答えは隣にいる男の存在によって明かされた。


「ほ、堀北君?どうして」


 そこにいたのはクレアと並んでユイと親しみの深い幼馴染、堀北翔だった。思い込みでなければ確か彼は自分のことを嫌悪していると認識していたのだが、にしても意外すぎる助っ人だ。


「別にお前のことを助けてやるとかそんなんじゃねぇよ」


 夏の季節に場違いなダウンジャケットを着こなし、ポケットに手を突っ込みながらボクとの対話を始める堀北。ただの冷やかしに来ただけなのかと察しようとしたその時、クレアの右手がいつかのボクに気合を入れたように彼の背中を撃ち抜いた。


「痛ってぇなおい!なにすんだよ!」

「男がツンデレムーブかましてんじゃないわよ。早く本題切り出して頂戴。こっちには時間がないの」


 殺気に近い視線を飛ばすと、堀北は舌を打ちながら再びボクの方に向き直る。


「八神の野郎を焚き付けたのはオレのせいだ。それにお前がアイツをぶちのめしてくれたのは少しだけ、本当に少しだけな!」


 自分でもキャラに合っていない台詞を吐いていることに今更ながら照れ臭くなったのか、それ以上言葉を交わすことなく真横を通り過ぎながらボクの耳元でとある一言を呟くといつも通りの殺意を振り撒く平常運転の彼へと戻った。


「う、うん。どういたしまして」

「うるせぇな!テメェは何も言うんじゃねぇよ!」

「えぇ!?」


 何も言わないのが正解だったのかと、ほんの少しだけ悔いていると、ゆっくりとクレアが近づいてきた。


「素直になれない子なのよ昔からね。それとさ、私も八神との試合見てスカッとしたよ」


 リンゴのように赤くなった頬をマフラーで隠しながら、ユイの横を過ぎ去ると改めて目的地の名を夜の街に響くような声量で告げた。


「行こう。ダンジョンに!」


 





 そんな壮大な冒険の幕開けを予感させる瞬間に立ち会っていたのは当の本人たちだけではない。


 歴史を捻じ曲げるイレギュラーたちにもその声は耳に届いていた。


「アレ全部、殺していいんでしょ嬢ちゃん———————はいよ。そんじゃあ一仕事と行きますか」


 住宅街に似合わない、ケルト風の容姿を持った一人の戦士が一軒家の屋根より彼らの旅出を見届けていた。


「運が悪かったな坊主。ま、オレ様に見つかっちまった自分を恨んでくれや」

 


 

 

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