第8話 決着、舞い降りる天使

 炸裂した瓦礫やガラス片がジョンの背中に傷を刻む。

 爆風に吹き飛ばされたジョンの身体は、次第に地面との距離を短くしていく。

 ジョンは空中で身を捻らせ、背中から地面に激突。


 「グアァッ!!!」


 背中を中心にして、鈍い痛みが身体全体に広がった。内臓を傷つけたのか、喉から血が込み上げる。


 「まあ、まだ……マシな方、か」


 本来であれば、4階から落ちればこの程度の損傷では済まない。なぜここまで軽くできたかというと、ジョンの着ている黒いロングコートのおかげだろう。防弾、防刃機能のほかに緩衝材の役割も持っている。


 「つくづくこいつには助けられるな……がはっ!」


 激しく吐血。

 少しでも動こうとすると、肉や骨が軋み上げるかのような痛み。


 「…………」


 そのときのジョンの思考にあったのは、ルミナのことだった。

 このままこの状態で他の構成員に見つかれば、ジョンは殺されるだろう。


 (そうなると、アイツルミナとの約束を破っちまうことになる)


 誰かが靴を鳴らして、こっちに近づいてくる気配がした。

 ジョンは静かに目を閉じて、死を覚悟した。




 大気を震わす爆音がスラムに響いた。


 「…………ジョン!」


 グレイブのアジトの最上階から、その爆発は起きたようだ。ルミナは茂みの中からジョンが向かったであろう4階のブランぺの部屋にずっと視線を向けていた。

 それがいきなり爆発と共に跡形もなく消えたのだ。

 よく目を凝らしていたルミナだからわかった。爆発の直前、窓ガラスを割って飛び出てきたジョンの姿が。

 ルミナは茂みから飛び出し、ジョンが飛んでいった方向を目指す。

 おぼつかない足取りで、何度ももつれ転びながらも走る。


 ジョンは私に夢を持つことを許してくれた。そしてこんな夢を叶えてやると言った。いままで、ルミナにこんなあたたかい言葉をかけてくれた人はいなかった。

 空っぽになっていた心があたたかいなにかに満たされていく心地よさ。ジョンはそんなあたたかいものをくれた。

 こんな薄汚れたルミナの世界で、ジョンはルミナに希望という名の光を差してくれた。


 (なら私もジョンに返さなくちゃ……!)


 足が棒のようになりながも進む。そして街灯の明かりが照らすなか、視界の先にボロボロになったジョンが倒れていた。




 身体全体があたたかいものに包まれる。

 綿のなかに沈み込みながら、波に揺られるような心地よい感覚。

 ゆっくりと瞼を上げると、そばにルミナがいた。

 両手の平をジョンにかざし、なにかをしている。

 手の平の前には、黄緑色の燐光を放った魔法陣。そこから放たれた光が、ジョンの全身を包み込んでいるようだ。

 

 「…………ルミナ?」


 「大丈夫だよ。ぜったい治すから」


 ルミナが使用している魔法は、第三階位魔法ハイヒル。細胞を活性化させ、自己修復能力を促進させる魔法。

 背中の裂傷や全身の鈍痛が回復され、ジョンは上半身を起こした。


 「もう大丈夫だ。ありがとうルミナ」


 ルミナは魔法陣を消すと、ゼエゼエと息切れを起こした。

 ジョンはロングコートの内ポケットをまさぐり、手の平程の小さなケースを取り出した。そして、そのケースの蓋を開け、一錠のカプセルを取り出す。


 「ルミナ、これを飲め。一時的な魔素欠乏を防いでくれる」


 ルミナの小さな口にカプセルを入れる。それをルミナはゴクリと飲み下した。

 

 「よし」


 ルミナが飲んだのを確認し、立ち上がる。ロングコートのポケットをまさぐり、サイフがあることを確かめる。


 「立てるか?ルミナ?」


 ルミナの息切れは治り、「うん」と言ってジョンの手を取った。

 ここからジョンの家まで徒歩で20分ほど。幸いにもそこまで離れていない。


 「よし。なら、行く…………」


 そこまで言って異変に気づいた。背後からドス黒く、泥のように粘りつく気配を感じた。

 魂を押し潰すかのような重圧感。

 ジョンが振り向くとそこには……


 白い目を充血させた青髪のエルフ。ブランぺが歩んできていた。




 数刻ほど時は遡る。


 爆発に巻き込まれたブランぺは、ジョンとは真逆の方向に吹き飛ばされていた。


 「ハハハッ!ざまぁみやがれあのクソ人間ノーマル

 

 ブランぺは自らが展開した魔壁の上に、水生魔法で水の膜をコーティングしていた。

 それにより爆発の威力は、魔壁と水のコーティングの相乗効果で激減。ブランぺは軽い裂傷で済んだのだ。

 

 「オレの万が一の最終手段。あんなヤツに使うことになるとはな……」


 ブランぺの自室の屋根裏には爆弾が設置されていた。ブランぺの水生魔法で刺激することによって作動する仕組みになっている。

 

 「全部失っちまったが諦めねぇぞ。オレはいつか裏社会のトップに立つ男だ。絶対に返り咲いてやる!」


 ブランぺはアジトの反対方向に足を向け、逃走を測った。


 「ハハハハハハッ!」


 そんな高笑いを上げながら走っていると。ザッ、という足跡と共に前方の暗闇から人影が現れた。


 「なにやら騒々しい音が聞こえて駆けつけてみたら……ブランぺさん?なにが起きたというのです?」


 その男は暗闇に紛れ、その姿は定かではない。


 「ア、アンタは!?」


 しかし、ブランぺはその声に聞き覚えがあった。


 「まさか、夜逃げ……というやつですか」


 「ち、違う!オレらグレイブに変なハンターが襲撃して来やがったんだ!」


 「変なハンター?抽象的すぎてわかりませんねぇ。とにかく、ブランぺさん。あの少女はどうしたのですか?まさか連れ出していない。とでも?」


 「し、仕方ねぇだろ!?こっちだって無我夢中だったんだよ!」


 「では、私たちとの取引は反故にすると?それはいけませんねぇ。ちゃんと連れ出してもらわなければ」


 そこで黒い影はブランぺに一歩踏み寄る。


 「な、なんだよ?何する気だ!?」


 「あの少女を連れてきてもらいます。ついでにそのハンターとやらを殺せる力を与えましょう」


 黒い影の瞳が紫色の深みを帯び、妖しく光る。

 ブランぺはその瞳に視線を合わせてしまった。

 脳が凹んだかのような酩酊感。意識は削がれ、ブランぺに残されたのはジョン・パリサーを殺す。そしてあのガキをこの男の前に連れてくる。という命令だけになった。

 ブランぺはこの男から受けた命令を実直に遂行する機械マシンに成り果てたのだ。

 過剰な魔素がブランぺの身体の中で暴れ回り、放出。

 ドス黒い魔素の奔流を身に纏いながら、グレイブの

アジトへと足を進めていった。


 「良い結果を期待していますよ。ブランぺさん」


 黒い影の男は夜闇に紛れながら、スゥッと消えていった。

 



 「ブランぺ…………あれで生きてやがったか」


 ブランぺの周囲からただならぬ魔素の奔流を感じる。それはブランぺ自身の魔素ではなく、誰かから無理矢理与えられたものだろう。

 目は充血し、その焦点は定まっていない。歯を食いしばり、涎を垂らしている様子から内包する魔素に耐えきれていない様子だ。

 ブランぺの目がギョロッと動き、ジョンとルミナに焦点が定まった。


 「ジョン・パリサー……殺す。ガキ……捕まえる」


 その声音はブランぺの意思を感じさせない。まるで言われた命令を実直にこなす機械マシンを思わせた響きだった。


 「ぐるぅぅぅあぁぁぁ!!!」


 ブランぺが激しい雄叫びを上げ、疾走の構えをとる。その矛先はジョンとルミナに向けられている。


 「クソッ。イカれてやがるな」


 ジョンは銃を抜き放ち、ブランぺに向けて照準を合わせる。トリガーを2回引き、弾丸がブランぺを穿つ。

 しかし、その弾丸はブランぺが展開した魔壁によって弾かれた。


 「魔壁の強度がさっきよりも上がってんのか」


 先ほどの闘いで弾丸が当たったときはブランぺは少しのけぞった。しかし今は石像に撃ったかのようにびくともしない。


 「シャァァァァァァ!!!」


 そしてブランぺが疾駆する。弾丸のような速さで間合いを詰めてきた。


 「…………!!!」


 ジョンはルミナを抱き抱え、真横へステップ。ジョンがいた場所に剛拳が振り下ろされ、地面に激突。

 地面にヒビが割れ、土塊が隆起する。


 「そんな、パワー系のキャラだったかお前?」


 すぐさま第二の剛拳が放たれる。ジョンはそれを真後ろにステップし回避。


 「キャアッ!」


 ルミナが繰り返される乱暴な移動に悲鳴をあげた。


 「クソッ。こんなんじゃ近づけねえ!」


 ジョンは辺りを見回り、適当な民家を探す。目に留まったのは二階建ての集合住宅。


 「よし。あそこだな。ルミナ!しっかり掴まってろ!」


 「……うん!」


 ギュッとルミナが黒いロングコートを掴む。ジョンはルミナを抱き抱え、集合住宅の屋根付近の壁に向かってロングコートの袖に隠してあったワイヤーフックを発射した。

 ワイヤーは見事に壁に突き刺さり、伸縮。ジョンとルミナは一直線に集合住宅に向かって飛んでいく。

 ジョンは集合住宅の壁に足で着地。ルミナを抱き抱えながら、屋根のヘリを掴み屋根の上へ。

 ブランぺはジョン達を見失ったようで、右往左往している。


 「なんだってんだ。あの魔素の量」


 「あれはブランぺ自身の魔素じゃない。誰かがブランぺに魔素を分け与えたのかも」


 「ああ、俺もそう思った。ならグレイブのバックにはまだなにかでかいヤツらがいるっていうのか」


 だとしたら、今アイツブランぺを倒すとまた厄介ごとがジョンに流れ込んで来るだろう。

 そう考えると今の最善策は逃げること。目的は達成されたし、ルミナも連れ出すことができた。


 ――――にげろ。


 そう理性が甘い誘惑をかけてくる。このまま逃げられたらどれほど楽か。


 「いや、違う。俺はもう逃げないと誓ったはずだ」

 

 遠い過去の記憶が呼び起こされる。逃げたことによって、二度と取り返しのつかないものを失ってしまった記憶を。

 あんな化け物ブランぺを放っておいたらスラムはめちゃくちゃにされるだろう。


 「俺が逃げて、誰かが許したとしても。俺の賞金稼ぎハンターとしての矜持が許さねぇ!」


 そこで思い出した。ジョンがハンターになったわけを。それは汚れきったこの都市を平和にするため。小さい頃に出会って俺を助けてくれた英雄ヒーローのようになるため。


 「なんか情けねぇな。こんなことまで忘れてたなんて……」


 そこで決心した。

 アイツを野放しにはできない。あの日出会った英雄ヒーローの後ろ姿を追うため。俺は立ち向かわなければいけない。


 「ルミナ。ここで待っててくれ。あの化け物を仕留めてくる」


 「でも、あんなのどうすれば……」

 

 「どうすればじゃない。やるしかないんだ。それが俺の選んだ道の代償だ」


 ルミナの目が若干開かれた。驚いたような、心配するような、そんな表情をつくった。

 手元にあるヤツブランぺへの有効打は魔弾のみだろう。それも残り3発。それで仕留めるしかない。


 「じゃあ、行ってくる。俺のカッコいいところ。見といてくれ」


 「……うん!」

 

 ルミナの返事を聞き、ジョンは背を向ける。そして隣の家の屋根に跳躍。

 ルミナを巻き込まないために、別の家の屋根からブランぺを狙う。

 照準を定め、発射。

 魔弾はブランぺに着弾するのと同時、激しい爆発を引き起こした。

 そして黒い煙が晴れ、あちこちに裂傷を負ったブランぺが現れる。

 ブランぺは辺りを見渡し、ジョンを視界に捉えた。


 「があぁぁぁ!!!」


 そして跳躍。一瞬でジョンの立つ屋根まで飛んできた。

 

 「完全に化け物になっちまったんだな……」


 ブランぺはグルル、と喉を鳴らしながらジョンに相対する。

 そして両手の平を上げて魔法陣を展開。その魔法陣はブランぺ自身の等身に匹敵し、それと同等の水塊を生成した。


 「当然魔法の練度も上がってるか」


 ジョンは屋根から落下し、地上へ。その落下中、ブランぺに照準を定め、魔弾を発射。

 爆発が起こる。

 それと同時、巨大な水塊が爆煙の中から発射され、ジョンの降り立った場所へ飛来。

 ジョンは着地と同時、ステップし回避。

 しかし、水塊は地面に着弾するのと同時に破裂。散弾銃の弾のような小さな水塊があたりに飛散。

 ジョンは腕を交差しその水塊をガードする。身体のあちこちに弾丸のような速度でぶつかってくる。

 

 「……くっ!」


 身体の節々に当たった小さな水塊は、ジョンの身体に多くの打撃痕をつくった。骨も何本かひび割れただろう。

 ブランぺが立っていた場所の黒い煙が晴れる。

 ブランぺは片膝を屋根につき、ハァハァと過呼吸状態になっている。

 魔弾で受けた裂傷は先ほどよりも多かった。


 ジョンは魔壁の弱点を突いた。


 身体に集まる魔素は魔法を構築している最中は魔法陣に集中する。魔壁に使われている魔素も例外ではなく魔法陣に集中する。ジョンはそんな魔壁の効果が薄れているときを見計らい魔弾を放った。

 ブランぺはグラグラと支えを失ったかのように、ジョンを目指し屋根から降りた。

 

 「ぐるるるぅぅぅ!!!」


 「…………」


 両者の距離は10メートル。

 どちらも満身創痍の状態だ。

 ジョンは銃口をブランぺに向け、ブランぺは片手で魔法陣をジョンに向ける。

 そして水塊が発射。それはジョンの頭部に狙いを定めていた。

 ジョンも最後の魔弾を発射。これを外せば有効打はなくなる。つまり敗北ということだ。

 水塊と魔弾。それらは空中ですれ違い、互いの標的へ一直線に向かう。


 水塊はジョンが首を傾けたことによって回避。

 魔弾はブランぺの胸中に着弾し、爆発を引き起こした。

 ジョンは爆風を一身に受け、5メートルほど後退した。

 黒煙が晴れ、そこから出てきたのは口から黒煙を昇らせている黒焦げになったブランぺだった。

 両膝をガクリと地面につけ、項垂うなだれている。


 「……これで終わりだ。」


 ジョンは銃口を向け、ブランぺに近づく。8、6、4メートルと近づいて異変に気づいた。

 ブランぺの体内から強烈な魔素が放出されていた。受け皿が壊れたことによって、行き場を失った魔素が暴走しているのだ。


 「くっ!まずい」

 

 暴走した魔素に取り込まれると、ブランぺの二の舞になってしまう。

 腕でガードするが、意味はない。

 魔素が暴走し、爆発したかのように放出された。

 それはジョンを飲み込み、視界が真っ暗になる。


 暗黒の世界。


 なにも見えない。四肢の先端から虫に喰まれていくかのような感覚。

 なす術もなく魔素に取り込まれていき、俺もブランぺみたいに…………と、思ってた矢先、視界の色は反転。


 全てを飲み込む白の世界がジョンの視界を支配した。




 ルミナはジョンが戦っているのを民家の上から眺めていた。

 私には何もできない。介入するだけで足手纏いだろう。そもそも足が竦んで立てないでいる。

 そんな自分の非力さに唇を噛んだ。

 自分でも役に立ちたい。ジョンのためだったらなんだってする。そう胸中で呟いていた。

 ただただなにもできずに静観していると、ジョンと相対するブランぺから異常を感じられた。

 黒焦げになったブランぺから尋常でない魔素が放出されていたのだ。


 「あれに巻き込まれたらジョンは……」


 震える足を叩いて無理矢理立ち上がる。


 「今しか……役立つときはない!」


 ルミナは覚悟を決め、謎の言語を口にした。


 スラム街は昼になったかのような白い光に包まれた。




 視界に広がる白い世界に、1匹の蝶が降り立った。

 いや 、天使と形容すべきだろう。

 蝶のような金色を放つ光の二枚羽。その紋様は幾何学的で、どこか魔法陣を連想させた。

 天使はジョンの目の前に降り立ち、両手を前に掲げる。その先には巨大な一つの魔法陣。

 魔法陣から放たれる光の粒子は、奔流する魔素にぶつかり、対消滅を起こす。


 「大丈夫です。……絶対に守ります」


 そう言って振り返った天使の顔は……ルミナだった。


 「お、お前……」

 

 ルミナは柔らかな笑みを浮かべて、視線を前方に戻す。

 

 「ハァッ!」


 そうルミナが叫ぶと、より一層光の粒子は多くなり、溢れ出る魔素は消滅していく。

 そして、ブランぺから溢れ出る魔素は完全消滅。

 それと同時に白い光の世界に亀裂が入り、パリンッという音を立てて割れ、世界は月明かりが照らす元の世界に戻った。

 視界の先のブランぺは燃えかすのようにうんともすんとも言葉を発さない。目も虚で完全に戦意喪失している。

 ――――それよりも。

 

 「ルミナ!」


 ジョンは慌ててルミナに駆け寄る。

 ルミナはフラフラと揺れ、力無く倒れた。蝶のような羽は弾けて霧散していった。

 ジョンが抱き止めると、ルミナは瞼を閉じ、静かに胸を上下させていた。眠っているらしい。

 

 「ルミナ……お前はいったい?」

 

 月の光がジョンとルミナの勝利を祝福する。


 この二人の出会いがディライト全体を揺るがすことになるとは、まだこの世にいる誰も知らない話だった。

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