ルーの言う通り、西側の回廊には背の高い窓が設けられていた。

別館のためか人気がなく、読書には最適な空間だ。午前特有の野鳥が囀る声は耳に優しい。僕はこの柔らかな空間を一望し、あとでルーに感謝することを誓った。

 カーテン内の陽だまりに腰を下ろし、読書を再開する。

暖かな陽光に照らされる小説は、僕の中で幸せの一部を担っていた。


 数刻書物に夢中になっていると、昼食の時間になった。もうだいぶ日を浴びたから、そろそろ戻っても良いだろうと、布の隙間から顔を覗かせる。

 その時、僕は初めて同年の子供を回廊に見かけた。重なり合ってしまった視線を剥ぐようにして、素早く身を隠す。

 しかし、彼も僕に気づいていたようで、何が目的かこちらに近づいて来た。

彼の靴音や姿勢が持つ満ち足りた態度に気圧されつつも、培われた道化がそれをつまらぬもの捉え、僕に興醒めという逃げ道を与えた。何も見ていないんだからと言い聞かせ、書物に目を戻した直後、彼は構わず訊ねた。

「おい、おまえ名前は?目があって名乗らぬというのは無礼だし、どこか歯痒い終わりではないか」

 僕は彼に視線を向けることなく答える。

「僕と君はきっと対等な立場だと思います。年近しく、両者磨かれた靴に足を通していて。それでだから、まずはあなたから名乗っていただけますか」

 焦りで固くなった喉から言葉を絞り出し、抱えていた膝の片方を鷹揚と伸ばした。足先に嵌められた靴の輝きが、彼をとらえている。あくまでもこれは拒絶と焦りが暴走した行く末だった。いつか読んだ本に、今の僕みたいな女の人がいた気がする。彼は僕の空回りした態度を見て、少しの沈黙を挟んだ後、渋い顔をしながらも口を開いた。

「僕の思考は確かに君より僅かな足並みの遅れをとっているかもしれない、が、同時にそれは君が平和という術をわざと取らぬだけの狭量な輩だということの現れでもある。見ての通り俺もそうだが。マーヴィン・サヴァナク。サヴァナク家の次期当主さ、よろしく」

 彼の顔には笑みが讃えられていた。なぜそこまでに余裕を垣間見せることができるのだ。しかし彼は、少しばかり僕に対する推量を誤ったようであった。僕をすごく頭のいい人のように扱っている。

「僕はそこまで尊大なことを言ったつもりは無いのですが……。誰だって考えさえすればわかることを飾り、さも重大な誇り高い言葉に見立てただけのもので。いわば根底にあるものを悟られたくない弱者の戯言なんです。マーヴィンさん。バロンと申します。こちらこそどうぞよろしくお願いします」

 差し出されたマーヴィンの滑らかな手に、僕の手を合わせ、握手が結ばれる。僕が微かに顔を綻ばせると、彼は見逃すまいという具合で一方の口の端を挙げてみせた。


「確かに、僕らのいい加減な論理は、そういう面を持っているだろうが、大抵の人間はこれに該当するだろうな。神父の言う説教や啓蒙なんかが正に重なる。君が読む書物も、そうなのではないか?」

 マーヴィンは僕が持つ本を顎でしゃくった。

「本は違いますよ、とりわけ物語は違う。本は誰だって考えればわかることに、新たな面を生み出す力がある。書物は他にない崇高さを持っているんですから」

 僕は本を体に引き寄せ、マーヴィンに訴えた。

「意外に君は熱を持った人なんだな」

 マーヴィンが呵々と笑うので僕は俄然恥ずかしくなり、まだ追えきれていない頁を意味もなく繰った。

 



―――バロンの手記


 僕はサヴァナクという姓から、他にない親しみを覚えたのだが、歴史書に載っていた名だからだろうと軽く受け流してしまった。

もしこの時、僕がより慎重で、自身と向き合うことに臆さない人だったとしたら、この物語に次章なんてものは与えられなかったかもしれない。

 昔の僕であれば、それが幸か不幸かの問いや解に意味を見出せていただろうが、生命の巡りに無常という放棄をしてしまえるだけの、大人まがいな僕に、もうそんな脳は備わっていなかった。若さに苦悩し、夢見ていた世界。そういう世界に今生きている。

 まるで葛藤のない世界に、ひしひしと生かされている。

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寄る辺なきバロン @yuki0141

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