第18話


 気配が消えると、私は目を閉じました。そしてフッと空気が揺れたところを目掛けて木剣を振り抜きます。その直後、がら空きになった脇の辺りに空気の動きを感じて咄嗟に飛び退きました。



「おや、やるね」



 声がした方とは反対からイーヴァさんの独特な空気の揺れが感じられました。私はそこに向かって木剣を振り抜きます。



「なるほど。音ではなく空気の揺れですか……」



 正確に言えば声も空気の揺れです。ですがノアが虐待を受けていたときの経験から人の気配に敏感になりましたから、その能力を生かして戦います。


 他のペアの動く音は無視して、イーヴァの動きだけを感じ取る。人によって異なる動きの癖を空気の振動の微妙な違いから推察して木剣を振り抜きます。木剣同士がぶつかる音がして、払い落とした感覚がしました。



「うーん、厄介だね」



 イーヴァは間合いを取って苦笑いを浮かべると肩を竦めました。私はスッと木剣を構えてイーヴァの出方を見極めます。イーヴァも木剣を構えたまま動きません。


 周囲の動きと音が激しくなる中、私たちだけが静かに間合いを測ります。イーヴァは動きません。私はジッと身構えていましたが、イーヴァが息を吸い始めた瞬間に接近して間合いを詰めて右側から切りかかりました。



「おっと……」



 流石は副騎士団長。あっさり躱されてしまいましたが、これは想定内。私は即座に振り抜いた木剣を左から振り戻します。



「それは尚早だよ」



 目の前にイーヴァの木剣が見えて、私は攻撃を止めて瞬時に地面を蹴って飛び退きました。瞬間的にイーヴァが詰め寄ってきて、私の背後では他の模擬演習をするペア。逃げられる最終ラインまで来てしまいました。


 その瞬間、イーヴァの木剣が突き出されます。私は身を翻してその剣先を躱して切りかかります。



「はいっ」



 何が起きたのか一瞬理解ができませんでした。背中をポンッと叩かれたことだけが後から理解できて、私は膝をつきました。



「参りました」


「いやぁ、強いね、ノアくん」



 そう言うイーヴァは全く息が切れていません。私は集中力を使い過ぎたのか、息こそ切れていませんが、いつになく体力の消耗が激しいです。これから十キロ走れと言われればゴール目前で倒れるでしょう。



「でも最後、突っ込むのは自殺行為だよ。戦場では絶対にやってはいけない」


「はい」


「相打ち覚悟、なんて格好つけて言う人もいるけどさ、死んだら元も子もないんだからね」



 イーヴァはそう言うと悲し気に微笑みました。騎士団では毎年二桁の団員が命を落としていると聞く。ここに長くいればいるほど、そういう人たちを見送ってきたのでしょう。



「気を付けます」



 私が素直に頷けば、イーヴァは嬉しそうに微笑んでくれました。そして私の肩をポンッと叩くと木剣を構えました。



「さあ、第二試合といこうか」


「はい!」



 私は木剣を構えてイーヴァさんを見据えました。次こそは一本取ってやりましょう。


 なんて意気込んだものの、イーヴァさんに剣先が届くことはありませんでした。私は時間いっぱいイーヴァさんと打ち合いをしましたが、全敗でした。



「はぁはぁ……もう、一本、お願いします」


「待った。少し休憩しよう。焦る必要はないよ。ノアくんは視野も広いし動きも良い。あとは戦術の知識を付ければ良いと思うよ」


「……はい、分かりました」



 私はイーヴァに促されてその場に木剣を突き立てて息を整えるために深呼吸を始めました。座ったり寝転がるのはだめ。木剣に寄りかかるなんて、もってのほか。


 私は身体を休ませながら頭を働かせます。知識を蓄えることは得意分野です。早速図書館へ行ったら個人戦の戦術について書かれている本を読みましょう。魔物たちを率いるためにもつい集団戦の本に興味を持ってしまいましたが、私にまず必要なのは個人戦の戦術だったようです。


 今回の模擬演習はそれを知るための足掛かりとなりました。負けてばかりで悔しい思いをしましたが、それだけでは終わりません。次に何をするべきか。それを知ることができればその訓練には意味があります。


 そうです、帰ったらメケに個人戦の特訓をしてもらえないか相談してみましょう。メケであれば、経験もあるはずです。なんて、彼に個人戦で勝って認められたのに、聞いても良いものでしょうか。いや、見分を広げるためには相手を選んでいる場合ではないでしょうか。


 ジッと考え込んでいると、イーヴァがニコリと微笑んでくれました。



「僕で良ければ、個人戦の手解きをしようか?」


「良いんですか?」


「ああ。有望な騎士になってくれそうだからね」



 ニンマリと笑ったその表情からは、十四歳になったら必ず騎士団入団試験を受けてくれますよね? という圧を感じます。受けるかどうかはまだ決めていないのですが。



「将来を決めかねていたとしても、道を広げるために一つでも多くの知識を得ようと貪欲に取り組む。そんな姿勢を持つ若者を応援したい。それは私にとっても有益なことだよ」



 一転して微笑んでくださったイーヴァ。どれが彼の本心なのかと疑いかけて、ハッとしました。どれも、きっと本心です。心に全くない言葉など、口から出てきませんから。それに、嘘だったとしても、どの言葉も信じて力に変えることができる言葉です。



「ありがとうございます。これから、よろしくお願いします!」


「うん、よろしくね、ノア」



 私が頭を下げると、イーヴァは柔らかく微笑んで手を差し出してくれました。私はその手を取って、固く握手しました。



「訓練終了!」



 そのとき、大きな声が響きました。いつもより早い時間の終了に周囲からざわめきが起こります。騎士団長はその様子を見ても動じることなく凛々しい姿を保っています。



「この後は新入団員の遠征訓練の準備がある。新入団員は即時帰宅。その他団員は準備のために残れ。また、訓練生も帰宅。ノアは別途用件があるため私の執務室へ来るように。以上」



 騎士団長の言葉に、新入団員と私以外の訓練生は全員その場から離れました。私は騎士たちの視線を痛く感じながら、騎士団長の後を追いました。



「はいはい。みんな、騎士団長が戻るまでは僕と一緒に準備をしようね」



 イーヴァが騎士たちを先導して、準備を始める声を背に、私は騎士団長の執務室に入りました。



「失礼します」


「そこに掛けてくれ」


「はい」



 促されるままにソファに腰掛けました。騎士団長は紅茶を淹れてくれると、私の正面に座りました。



「今回呼び出したのは、第一王子とその婚約者セリューナ様、摂政のファンクス、そして我が愚息バローシュに対する暗殺未遂についてだ」


「その件に関しましては、バローシュ様を危険に晒してしまい、大変申し訳ございませんでした」



 私が深く頭を下げると、騎士団長はふぅ、と長く息を吐きました。



「顔を上げろ。その件については、バロを助けてくれて、感謝している」



 顔を上げると、騎士団長は真剣な眼差しで私を見つめていました。その瞳を見つめ返すと、騎士団長は小さくため息を吐きました。



「その一件で、公爵家から打診があった」


「打診、ですか?」


「ああ。ノア、そしてメケをファンクス様とセリューナ様の護衛にしたい、と。ノアがここで訓練生として所属していることから、ここへ連絡したらしい」


「それは、つまり……」



 セレナと合法的に四六時中一緒にいられるということですか! という歓喜の言葉を飲み込んで騎士団長を見つめます。すると、騎士団長は重々しく頷きました。


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