第38話 馬たちの名前

 一体何度魔物と戦闘を繰り返しただろうか。わたしは自分の身を守ることくらいしか出来ないから、お二人に加勢出来ない。それを悔しく思いつつ、推官の力で天真さんの腕の傷を癒す。


「さんきゅ」

「はい。……あと、どれくらいでしょうか」

「むしろ、ここからが正念場だろ。今までは小型が多かったが、少しずつ魔物の大きさが変わってきている」


 天真さんの言う通りだ。ウサギやキツネといった等身大の大きさの魔物ばかりだった今までとは違い、クマやトラといった大型、しかも凶暴な魔物が増えている。

 次の魔物に出会うまで、少しでも体力を回復していきたい。わたしたちは一旦、馬を降りて体を休めることにした。

 水筒の水を飲んだ陸明さんが、伸びをして眉を寄せる。


「このままじゃ、夜までに周辺に着くのも厳しいか?」

「……気付いてるか、陸明。今何時だと思う?」

「は? 今は……えっ」


 何時かと問われ、陸明さんは空を見上げて目を見張った。わたしも同様にして、思わず「え……」と言葉を失う。


「雲が……動いていない?」

「いつからかわからないが、時が止まっているらしい。おそらく、この周辺だけ」


 天真さんの言葉通りならば、オーロラのかかっている範囲の時が止まっているということになる。わたしはその事実が信じられなくて、呟くように疑問を口にした。


「そんなことが可能なんですか……?」

「普段なら、不可能だろうね。時を止める魔法というのは禁忌で存在するけれど、世界の時を止めるから。だけど範囲が限定的なものってことは……」


 ――バシュンッ。


 突然背後から襲いかかってきたヒョウに似た魔物を、陸明さんは一発で仕留める。霧のようになって消えた魔物の痕跡を辿るように視線を走らせ、目を細めた。


「それだけ、世界の崩壊が進んでいるんだ。均衡が崩れなくちゃ、禁忌を更に変化させることなんて不可能だから」

「世界を終わらせるから、この世界のことわりはどうでもいいんだろ」

「……そういうこと、なんでしょうね。でも」


 この世界は、彼らだけのものではない。明日の学校が嫌だと駄々をこねる男の子も、今晩のメニューを考えるお母さんも、来年の旅行のために仕事を頑張るお父さんも、みんな今日を行きているんだ。この世界で。


「人だけじゃない。動物も植物も……みんな生きてる。わたしが言うのも烏滸がましいけれど、許されることじゃない」

「そう思うから、俺たちがいる。だろ、陸明?」

「当然」


 くるんっと杖を回した陸明さんが、にこりと微笑む。その笑みは柔らかくて優しくて、しなやかなものだ。


「ボクらが世界を守ってやろう。この世界で生きていきたいからね」

「わたしも。お二人の、皆さんの生きる世界を守りたいから……進みます」

「了解。行こうか」


 近くで草をはんでいた馬が、陸明さんの言葉に応じて「ぶるるっ」と首を振る。二頭は、まだまだこらからだと言わんばかりに元気いっぱいだ。


「そういえば、この二頭に名前はあるんですか?」


 正確な現在時間はわからないけれど、何時間もずっと走ってくれていた。それなのに、一度も名前を呼んでいない。

 わたしが尋ねると、天真さんと陸明さんは顔を見合わせた。え、もしかして名前がないのかとおもったら、そうではないみたい。


「陽華ちゃんたちが乗っていたのが、アオ。ボクが乗っていたのがアカ。それぞれがつけているくつわの色で名前をつけているんだ。単純だろう?」


 確かにアオのくわえる轡は青色、アカのくわえる轡は赤色だ。他にも様々な色があるらしいんだけれど、偶然にも二頭の色はお二人の瞳の色だった。


「アオとアカ、ですね。二頭共、改めてよろしくお願いします」


 ぺこっと頭を下げる。すると後頭部に、何か暖かいものが二つあたった。何か風みたいなものもあたるから何かと思って頭を上げると、馬たちの鼻先が目の前に降りてくる。


「わっ!?」

「挨拶してたみたいだぞ、鼻先頭にくっつけて」

「ふふ、名前も呼んでもらえてよかったね。アカ、アオ」


 陸明さんの言葉に応えるように、馬たちが「ふんっ」と鼻を鳴らした。その様子が可愛くて可笑しくて、思わずふふっと笑ってしまう。

 すると馬たちが何を思ったか、ベロンっとわたしの頬を左右から舐めた。突然のことで驚いたけれど、すぐに少し固いたてがみが触れてくすぐったい。


「ふふっ。ありがとう、二頭共」

「……ずっと、こうしていられたらいいんだけどね」

「それな。けど、今は我慢だ」


 二人の会話が聞こえて来て、わたしは馬たちの首を撫でた。そろそろ行かなければ。


「すみません、お待たせして。……行きましょう」


 わたしたちは再びアオとアカにまたがって、時が止まった道を走る。当然襲って来る魔物たちは強くなっていくけれど、立ち止まるわけにはいかなかった。


「この先に居る、ミリファとリリファが」

「前回の借りは返さないとな」


 手綱を握るわたしの手を上から包み込むのは、天真さんの大きな手。ようやく慣れてきたわたしに、彼は手綱を預けてくれた。天真さんが剣で立ち回れるよう、わたしも精一杯アオを操る。


「この先……」


 どんどん瘴気が濃くなり、息苦しい。だからこそ、わかる。オーロラの中心が近いことを。

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