第29話 零れた心の一部

 城に戻り門をくぐった直後、こちらへ歩いて来る天真さんと目が合った。天真さんは目を丸くして、駆け足でこちらへやって来る。


「……陽華?」

「天真さん、お帰りだったんですね」

「ああ、ようやく兵長から解放され……怪我をしたのか?」


 わたしの手の甲の傷に気付いた天真さんが、手を取って顔を歪めた。目敏い。だけどわたしは、天真さんに触れられた緊張感が先立ってしまう。


「え? あ……。そうなんです、ミリファと名乗る人に襲われ……」

「ミリファか。……次に会ったらただじゃおかねぇ」

「て、天真さん?」


 今、天真さんがかなり低い声で物騒なことを口にした気がする。

 天真さんは「すぐに手当てしよう」とわたしを導こうとして、はたと足を止めた。


「……放置して申し訳ない。ミーゼ王国のユキヤ殿とカムイ殿。ようこそお越し下さいました」

「ふふっ、形ばかりの礼儀をどうもありがとう。アルカディア王国の天真殿。全く、完全に見落とされているのかと思ったぞ、天真」

「オレたちを無視するなんて、良い度胸だな?」


 どうやら、カムイくんとユキヤさんは天真さんと知り合いみたい。気安い態度の二人に、天真さんも肩の力を抜いたように見えた。


「悪かったよ。……ってか、陸明が任されたのはお前たちだろ。そろそろ来ると思うけど」

「天真が先に会ってしまったのか」

「陸明」

「陸明さん」


 丁度やって来た陸明さんが、わたしの方を向いて微笑んでくれる。彼女は今少しよそ行きの格好をしているから、来客担当だったようだ。


「陽華もお帰り。……怪我してるね。詳しい話は後で聞くから、まずは天真」

「わかってる。行くぞ、陽華」

「え、あ……はいっ」


 阿吽の呼吸に近い感じで、陸明さんから天真さんに指示が飛ぶ。わたしは天真さんに連れられて、医務室へと向かった。


「染みるぞ」

「う……痛っ」

「……ほい、おしまい」


 誰もいない医務室で、天真さんはわたしの手の傷に薬を塗ってくれた。ピリッとした痛みが走ったけれど、涙目になりながらも耐える。それを終えると、天真さんがあて布と包帯を巻いてくれた。


「絆創膏はないから、これで我慢な」

「十分過ぎます。ありがとうございます、天真さん」

「ああ」


 棚に薬や包帯の残りを仕舞い、天真さんが「それで?」とわたしの前に腰を下ろした。


「何があった? あの二人と一緒にいるとは思わなかったんだけど」

「実は、カムイくんには助けてもらって……」


 わたしは買い物をした後のことを話した。ミリファに手を踏み付けられたというところで、天真さんの眉間に深いしわが刻まれる。


「……カムイが通りがかってよかった。手の指を折られたら、俺も陸明も報復していただろうな。今すぐに」

「だとしても、わたしにとってはお二人の元へ戻ることが最優先だったので……。心配をかけてしまって、ごめんなさい」

「怒ってはいない。ただ、陽華が危険にさらされた時に傍にいられなかった自分が悔しいだけだ」


 ぽん、と天真さんがわたしの頭に手を乗せる。そんな優しい仕草一つに、わたしの胸の奥が締め付けられた。

 何か言わないと。ドクンドクンと心臓が五月蝿くて、うまく考えがまとまらない。ぎゅっと手を握り締めると、左手の傷が痛んだ。


「おい、あまり今は力入れるなよ。傷口が開いたら……」

「わたし、もっと強くならないとダメですね。……ううん、強くなりたいです。お二人に守られるだけじゃなくて、いつか守れるように」


 今回は、運良く他国のアイドルが助けてくれた。けれど、毎回ミリファたちに襲撃される度に天真さんたちを呼ぶわけにはいかないから。一矢でも報いることが出来たら、時間稼ぎくらいは可能かもしれない。


「……陽華は勇ましいな」

「天真、さん?」

「いや、これは俺のエゴだ」

「何を言って……。あっ」


 天真さんの長くて綺麗な指がわたしの左手に触れて、手のひらをすくい上げる。ダンスにでも誘われるような仕草で、わたしは天真さんを直視出来ない。そういえば、治療のためにすぐ近くに向き合って座っていたのだと思い出す。


「あの、天真さ……」

「陽華が強くなるというのなら、俺ももっと強くなる。きみの隣に立って、俺もきみを守りたい」

「何で……何で、そんな風に思って下さるんですか? わたしはもともと貴方のファンで、ただそれだけなのに」


 ぽろりと口から転げ落ちたのは、聞いてはいけないと思っていた疑問。もともと日本のアイドルなのだから、アイドルらしいファンサ(ファンサービス)みたいなことはし慣れていて当然なのに、天真さんにされると心臓がおかしいほど大きく動く。天真さんは「推し」であって、推しのプライベートには立ち入ってはいけないと思っていたはずなのに。

 色々なことが頭の中をぐるぐると回ってしまっていたから、口に出さないでいたことが出てしまった。駄目だと思っても、口から出た声をなかったことにはもう出来ない。


「陽華……」

「推しも一人の人間だから、推しには推しの楽しいと思うことをしていて欲しいし、幸せであって欲しいのに。そこにわたしの存在はなくても良かったはずなのに」


 自分で自分が何を言っているのかわからなくなってきた。しかも視界が歪んで来て、わたしは自分が泣いていることに気付く。


「……俺は、推しっていうのはまだよくわからない。アイドルを日本でやらせてもらっていた時は、推官を捜すためだっていうのもあったから、心の何処かで冷静だった。でも応援してくれるファンを、もっと喜ばせたいと願う気持ちも本物で……。この前、陸明にある問いを投げかけられたんだ。その答えは、まだ出てない」

「何を……?」


 何を言われたんですか。そう尋ねようとしたけれど、うまく言葉を出せない。涙が止まらなくて、自分ではどうしようもなくなっていた。

 すると、不意に何か温かいものが目元に触れる。それは天真さんの指だった。


「痛むのか? 涙が落ち着くまで、傍にいるから。あいつらは少しくらい待たせても大丈夫だろう。陸明がどうにでもしてくれる」

「傷は大丈夫、です」


 痛むのは、別の場所だから。わたしはまだ気付きたくないその気持ちから目を背け、天真さんに向かって泣き止もうと微笑んで見せた。


「陸明さんに、全部、任せてしまうのは申し訳ないです。……っ……もう大丈夫ですから、わたしも話さないといけないことがありますし、行きましょう」


 幸い、気持ちから目を逸らしたことで涙は止まって来ている。深呼吸を何度か繰り返し、わたしは自分でも涙を拭う。心配そうに見つめている天真さんを、これ以上心配させたくなかった。


「わかった。顔、洗って来いよ。ここで待ってるから」

「ありがとうございます」


 わたしは水で顔を洗い、気持ちを切り替える。まだ目に赤みは残っていたけれど、天真さんに頼んで陸明さんたちのところに向かうことにした。

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