第18話 変わる役割

「て……天真さん」

「そのリボン、綺麗だよな。俺たちのイメージにも合っていて、どんなふうに完成するのか楽しみだな」


 天真さんに悪気は一切ない。わかっていても、推しに耳の傍で囁かれたらひとたまりもない。

 ひぇぇと悲鳴を上げたい衝動を堪え、わたしは天真さんにバレないように深呼吸を繰り返す。けれどそれは逆効果で、しげしげとわたしの手元のリボンを眺めている天真さんの香りを吸い込む結果になった。


「……天真、近過ぎ。陽華ちゃんが大変だよ」


 そんなわたしに気付いたのか、陸明さんがくすくす笑いながら声をかけてくれる。きょとんとした天真さんだけど、わたしが頭から湯気を出していることに気付いて「わ、悪いっ」と飛び退いた。


「怖がらせたか? ごめんな」

「そうじゃ、ないんです、けど……。お、最推しのこんなに近くにいるっていうだけで心臓バクバクで……」


 地上にいるのに溺れそう。そんな錯覚に陥るわたしを見て、天真さんが困ったように微笑んだ。


「――嫌じゃないならよかったよ」

「う……はい……」


 そろそろ慣れないといけないのだろう。だけどわたしは、同性の陸明さんは兎も角、天真さんと距離が物理的に近くなると緊張するし顔が真っ赤になる。ドキドキと心臓が鳴り止まなくて、プチパニックみたいになるのだ。

 わたしは二人の視線を浴びているのがいたたまれなくなって来て、あの、と小さく手を挙げた。


「えっと……話、戻しませんか?」

「ああ、ごめんね。推官の仕事に関してだったね」

「リボンを使って、陽華に作って欲しい物があるんだ」

「作って欲しい物、ですか?」


 何だろう。わたしが目を丸くしていると、陸明さんが「前提のことをもう少し話すんだけど」と切り出した。


「この前日本で見たあの変なオーロラみたいな現象を覚えているかな?」

「覚えています。うにょうにょ、マーブル模様みたいだったあれですよね」

「そう、あれ」


 あの現象は、この世界でも頻繁に起きていると陸明さんは言う。特定の場所ということではなく、山の中でも街の中でも海の上でも。規則性はなく、予測するのは困難なのだとか。


「以前、対処方法がわからずにあれを放置したことがあったんだ。その結果、どうなったと思う?」

「え……。うーん……わたしが見た時はぐにゃぐにゃしていただけでした。だから、あれが空に広がってしまうのかなって思いますが」


 わたしが見たのは、おそらくあのオーロラみたいなものが出た直後。だから、それ以上の想像は出来なかった。

 すると陸明さんは「想像つかないよね」と頷いて、天真さんに先を譲る。


「最終的にどうなるのかは未知数だ。けれど、あれのせいでがある」

「クレーター……?」

「ごっそり、そのオーロラがあった真下の地面がえぐられていたんだ。半径五キロってところだろうな。そして、もう十年も前のことなのに草の一本も生えないし、動物も寄り付かない」

「更にはその中心から瘴気……毒ガスみたいなものが少しずつ噴き出している。近付かなければ人体に影響はないし、放置していても自然に溶けてしまうから大丈夫。火山地帯みたいなものだね。だけど、もしもそれがもっとたくさんに増えたら……」


 わたしはその様を想像し、血の気が引く思いがした。荒地でさえ、そこには存在出来ない。本物の無がそこに誕生するのでは、と想像してしまう。

 声が震えるのを耐えられないまま、わたしは天真さんと目を合わせた。


「……地上に、何も住めなくなりますね」

「その通り」

「だから、十年かけてこの世界の人々はアレに対抗する力を探した。あのオーロラが現れるのは、年に数度か数年に一度か、はっきり決まっていなかった。その間に何か所か同じように『無』となったけれど、ようやく見付けた方法が、ボクたちなんだよ」


 アイドルという存在は、大昔から存在していたと陸明さんは言う。けれど彼らは、それこそ偶像的な存在だった。世界の安寧を祈り、守る力に特化した存在。


「ある時、アイドルの魔力を別の守る力に転化出来ないか試した者がいた。そしてその試みは功を奏し、初めてオーロラを消滅させたんだ」

「各国はアイドルを戦士としても育て、世界を守る守護者とした。……そして、アルカディアはもう一つ発見をした」

「発見とは?」


 わたしが首を傾げて訊き返すと、天真さんは「推官だよ」と明かしてくれる。


「当時はまだ推官は補佐的役割しか持っていなかった。アイドルの身の回りの世話とかが、推官基本的な役割だ」

「えっ。でも、図書館で……」

「そうだな。あの時、既に推官とアイドルの関係は立証されていたようなものだった。それでも誰も気付かなかったのは、戦争の歴史をなかったものとして学校で教えてこなかったからだ」


 歴史家だけが知る、大昔の戦争。その歴史が紐解かれたことで、推官の力は推測から確証へと変わった。けれど戦争当時でさえ、アイドルは物理的に戦うことはしなかったらしい。守りの力を強化することで、戦争を終わらせたのだとか。

 それでも、アイドルの力は方向性を変えた。戦うことが可能だと気付いたアルカディア王家は異世界から推官を招くため、色々手を尽くすことになったんだと陸明さんが教えてくれた。


「この意味での推官は、戦争時代を除けばきみが初めてだ。お互い手探りだけれど、あのオーロラを止めることが世界の滅亡を食い止めることに繋がる。……手を貸して欲しい」

「……はい、勿論です。それで、わたしにやって欲しいこととは?」

「その話がまだだったね」


 ようやく微笑んだ陸明さんが、そっとテーブルの上に広げられたリボンを手に取る。


「これを使って、手始めにロゼットを作って欲しいんだ。ボクと天真の分を」

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