第9話 他世界の影響
冬香ちゃんの胸を借りて泣きまくった公園から、かなりの距離を走って来た。体育で三以外取ったことがないのに、今のわたしは何処までも走れるという錯覚に陥っている。
「はっ……はっ……」
何処までも走れる、じゃない。走らないといけないんだ。わたしは徐々に近付いている二つの影に向かって、精一杯叫んでいた。走って心臓が痛いけれど、そんなことに構っていられない。
「――っ。天真さん! 陸明さん!」
「陽華!?」
「どうして……いや。こんなものを見たら、何かあったと思うのは当然だね」
遠くにいると思った二人は、案外近くにいたらしい。わたしの声を聞いて、二人共降りてきてくれた。……どうして浮かんでいるのか、とは尋ねないことにする。
陸明さんが言う通り、わたしたちの視線の先は、どう見たって様子のおかしい空が広がっている。様々な色のマーブル模様になったそれを指差して、わたしはまだ整わない呼吸のままでどちらともなく問い掛けた。
「あれ、は……ディスティーアの世界と関係があるんですか?」
「こんなに早く、影響が出て来るとは思わなかったけどね。その通りだよ、陽華ちゃん」
「二つの世界は、兄弟みたいなもんらしい。だから、一つの均衡が危うくなればもう一つにも影響が現れる。……俺たちがこっちに来れたのは、それも一つの要因だな」
「……っ」
わたしが迷っている間にも、世界の均衡は崩れている。そしてまさか、地球のある世界にまで影響が広がってくるなんて。
「……あれを、一時的にでも元に戻すことは出来るんですか?」
「出来るはずだ。俺たちのアイドルとしての力をこの世界で使うのには若干の不安はあるけど」
「そうは言ってもいられないからね。この異常事態に気付く人が一人でも少ない方が良いから」
陸明さんはそう言うと、短く何かを唱えた。すると彼の手元に、魔法の杖のようなものが現れる。瞳と同じ青い宝石があしらわれ、三日月のような装飾に囲まれている。その杖を手にして、陸明さんはわたしの方を振り返るとふわりと微笑んだ。
「すぐに終わらせるよ。陽華ちゃん、これがボクらの世界でのアイドルの仕事だ」
「陸明だけがアイドルじゃないだろ」
そう文句を言ったのは、太陽のような装飾と赤い宝石のあしらわれた剣を担ぐ天真さん。彼はふとわたしのことを振り返って、じっと見下ろしてきた。
「ど、どうしたんですか?」
「……目が腫れてる。泣いていたのか?」
「あ……えと……」
そういえば、まだ目の腫れは収まっていない。充血もしているはずで、全く人前に出ても良い顔じゃない。わたしがすーっと目を逸らすと、天真さんは少し乱暴に、でもいたわってくれているとわかる力の強さでわたしの頭を撫でた。
「わっ」
「……悩ませてごめんな。陽華のことは、俺と陸明が必ず守るから」
「――っ、天真さ……」
「まずは見ててくれ」
じわじわと熱が顔に集まって来る。心臓の音は五月蝿いくらいで、気付いてはいけないはずの気持ちが自覚のドアを強打しているみたい。
(まだ、駄目。相手はアイドル、たくさんのファンがいるアイドルなんだから)
わたしは暴れる心臓を抑え付けるように胸を両手で押さえながら、二人の背中を目で追った。
天真さんと陸明さんは、たった二人で空に浮かんでいる。まとっている雰囲気が、先程までとまるで違う。ピリッと糸を張ったような真剣な空気だ。彼らは西の空に杖と剣を向けると、マーブル模様の空へ向かって同時に技を放った。
「世界の均衡をこれ以上崩させてたまるか。――『逆鱗』!」
「ボクらが頑張らないとね。――『水よ、空を包み込み潰せ』!」
鋭い斬撃で異様な空が割れ、突如沸き上がった水が空を内側から覆い尽くして握り潰す。ぐしゃりという音がしたわけではないけれど、突然弾けて霧散した空は、いつも通りの夜になっていた。
「……凄い」
零れ落ちた言葉は、そんなありきたりのもの。終始を全て見ていたけれど、ファンタジーな光景に頭が追い付かない。
わたしが息をするのも忘れて座り込んでいると、天真さんと陸明さんが戻ってきた。二人共、雰囲気が落ち着いている。武器は何処に行ったのか、手にしていなかった。
「大丈夫か、陽華。立てるか?」
「だ、大丈夫です! って、わ!?」
「大丈夫に見えない。ほら、立ってみろ」
差し出してくれた手を取ることを遠慮したわたしの手を取り、天真さんが立たせてくれる。暖かな手の感触と温度に、どきっと胸が高鳴った。
わたしはハッと我に返って、天真さんに「ありがとうございます」と何とかつっかえながらもお礼を言った。それから天真さんと、ニコニコとこちらを眺めている陸明さんの顔を見上げて、思ったことを頑張って言う。
「お、お二人共凄くかっこよかったです!」
「嬉しいな、ありがとう」
「……おう」
素直に喜ぶ陸明さんと、照れてそっぽを向く天真さん。
陸明さんは一つ咳払いをすると、さっき自分たちが戻した西の空を振り返る。
「これで一旦、大丈夫だよ。後はボクらが、元の世界で原因を食い止められれば……」
「そのことなんですけど」
わたしが陸明さんの話を遮ると、彼は「おや」という顔をした。天真さんも黙ったまま、わたしのことを見ている。
深呼吸を一つして、わたしは心に決めたことをはっきりと二人に告げた。わたしがしたいことを、聞いて欲しいから。
「……わたしをディスティーアに、アルカディア王国に連れて行って下さい」
「良いのか? 二度と、家に戻れないかもしれないんだぞ」
「大事な友だちとも、恋人とも会えなくなるんだよ?」
「わたしに恋人はいませんし、それに、背中を押してくれたのはその大事な友だちなので」
わたしたちはDestirutaが大好きで、彼らが困っているなら力になりたい。そして、何処にいたってずっと親友であることには変わりない、と冬香ちゃんは言ってくれたから。彼女がいる世界を、家族や友だちと彼女らの大切な人たちがいる世界を守るために、異世界で役割を果たすんだ。
わたしの覚悟を聞いて、天真さんがもう一度問いかけてくれた。
「本当に、良いんだな?」
「はい。……天真さんが言ったんですよ。『必ず守る』って」
「はは、そうだな。約束は絶対に
「ボクと天真で、推官であるきみを守ろう。そして、共に世界の危機を止めるんだ」
「はい」
明日の早朝、この世界を発つ。そう決まり、わたしは一度家に帰ることになった。鞄一つくらいなら持って行けるから、と陸明さんがはからってくれたから。
(Destirutaのロゼットとぬいぐるみを持って行こう)
あまり多くのものは持って行けないし、日用品は持って行かなくても向こうにあると言われた。だから、きっと役立つと思う裁縫道具一式も入れる。
「――お父さんお母さん、行ってきます」
二人が読むかわからないけれど、手紙を一通自室の机の上に置いて行く。仮眠を取ったわたしは音を極力たてないようにそっと家を出て、二人の待っている近くの公園へと向かった。
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