第8話 大好きな友だち
(異世界に行ったら、二度とこの世界には戻れないかもしれない……か)
カフェから帰りながら、わたしは頭を悩ませていた。こんなに悩んだことは、今まで一度もないかもしれない。高校受験だって、こんなに悩むことなかったのに。
でも、生まれ故郷で今までずっと暮らしてきた日常を捨てられるかって問われて「はい、捨てられます」って即答出来る人ってどれくらいいるんだろう。わたしは難しくて、時間をもらうことになった。
「あの、少し考える時間をください。即答出来なくて申し訳ないんですが……」
「当然、そのつもりだよ。一生を左右するかもしれない話だから」
「ああ。どちらの答えでも、渡した名刺の連絡先に連絡をくれ。どちらを選んでも、俺たちは受け入れるから」
「……はい」
天真さんも陸明さんも、本当はわたしの「行きます」っていう答えを待っていると思う。だけど二人共優しいから、一つの世界とわたしの選択を天秤にかけて、後者を取ってくれたんだ。
その日からわたしは、頭の片隅に天真さんたちの世界の終わりを気にしながら日常を送った。テレビ番組では、相変わらず忙しそうな二人の姿を見ることが出来てほっとした。
「最近、考え事してること増えたよね」
「え、そう?」
ある日の放課後、高校からの帰り道で冬香ちゃんに言われた。その時はぼーっとしていたわけじゃないけれど、どきっとしてちょっと挙動不審になってしまったかも。
慌てるわたしを見つめて、冬香ちゃんは「まあ良いけどさ」と笑ってくれた。
「どんな陽華でも、陽華は陽華だもんね。好きだよ、陽華〜」
「わたしも冬香ちゃんのこと、大好きだよ。……あのね、冬香ちゃん」
「大好きだよ、陽華。だからね」
わたしは、詳細をぼかして天真さんたちに頼まれたことを相談しようかと思った。一人で抱えるには大きなことすぎて、ずっとパニックだ。
でも冬香ちゃんはわたしが口を開くよりも先に、わたしの顔を見てニッと笑った。
「陽華が何処にいても、何をしていても、ずっと大事な友だちってことは変わんない」
「……っ!」
「何となくね、夕焼け見てたら言いたくなったんだ」
「……うぅ。ふゆ、か、ちゃぁん」
「え……。ど、どうしたの陽華!?」
涙が後から後から溢れてくる。止めようと思えば思うほど止められなくなって、わたしはボロッボロ涙を流して泣き出してしまった。このままじゃあ、冬香ちゃんを困らせるだけなのに。
「ごめん、冬香ちゃん……止まんないっ」
ひっくひっくと子どもみたいに泣きじゃくるわたしに引くと思ったのに、冬香ちゃんはわたしの背中をぽんぽんと優しくたたいた。そして、手を握ってゆっくり引いてくれる。
冬香ちゃんが連れてきてくれたのは、近くの公園。そのベンチにわたしを座らせて、自分も隣に腰掛けた。そして、わたしを抱き寄せて笑う。
「もー、どうしたの? 冬香様が胸を貸してあげるから、存分に泣きなさい!」
「ふ、冬香さまぁぁぁ」
わんわんと泣くなんて、いつ以来だろう。子どもみたいに泣き崩れるわたしを、冬香ちゃんはただ黙って抱きしめてくれていた。
そうして十分くらいは泣いていたかもしれない。わたしはようやく落ち着いてきて、呼吸を整える。顔は涙とかでぐしゃぐしゃだけど、今更だ。
「……ごめん、冬香ちゃん。ありがと」
「良いってことよ! 何があったのか知らないけど、わたしは陽華の傍にいるよ。例えば引っ越して体は遠くに行っても、気持ちは傍にいられるもんね」
「ううっ……冬香様イケメン過ぎる」
「ふふ、ありがと。陸明様には負けるけどね」
陸明。その名前を聞いた瞬間、わたしは改めて今後の選択を思った。
(わたしはどうしたい? わたしは……)
早く確かな答えを出したい。わたしがそう思った直後、冬香ちゃんが空を見て息を呑んでいた。
「冬香ちゃん? どうかしたの?」
「ねぇ、陽華。あの空の色、どう思う……?」
「空? ……えっ」
この時間、西の空は夕焼けに染まっているか、夜の紺色が迫ってきているはず。それなのに、わたしたちが見上げる空は、そのどちらでもない。
見たことのない空に、わたしは言葉を失った。その隣で、冬香ちゃんが西を指差す。
「紫に、緑……白、黄色? え、何あのマーブル模様!?」
「これ……もしかして……」
「陽華?」
涙が乾いてきて、わたしは立ち上がった。冬香ちゃんの声が少し遠くから聞こえるような感覚があって、わたしは無意識にあの人たちを捜していた。
(もう一度、あのカフェに行ってみる? でも、東京に戻っていたら会えな……)
まさにその時だった。覚えのある感覚が、風のようにわたしを追い越していく。キョロキョロと見回すと、西の空に二つの人影が見えた。
「――行かなきゃ」
「陽華!? 何処に行くっていうの!?」
「冬香ちゃん……」
衝動的に駆け出しかけたわたしは、冬香ちゃんの声に足を止める。彼女に何か、言わなければ。そう思うほどに、喉が渇いていく。こうしている間にも、あの影はもっと遠くに行ってしまう。追いつかなければいけない。
「えっと……」
「……」
「……」
「……陽華」
「はい」
待ちくたびれたわけではないみたいだけど、冬香ちゃんが少し呆れを含んだ笑みでわたしを見た。
「いってらっしゃい」
「え?」
「次会えるの、楽しみにしてるから」
「冬香ちゃん……ありがとう。大好きだよ!」
わたしはそれだけ言うと、冬香ちゃんの「私もだよ!」という返事を背に走り出した。
もう、振り返らなかった。
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