アルプトラウム
田中昂
第一の……
そう言うと彼女は分厚い本を出して読み始めるものですから、何を読んでいるか聞きましたら「ドグラ・マグラ」と。ぐしゃぐしゃと髪を搔きむしりますと、バサバサと、髪が落ちてきました。その髪を拾って口に入れながら、美しい彼女の横顔を見つめ、そうして髪を小さく、小さく嚙みちぎることに集中いたしました。
さて、生きている意味がわからない。どうしてもわからなくなりました。が、お前の好きなように書けと言われましたから、そのようにしたいと思います。
好きなようにと言われましても、随分と好きなように書いてきました故、最初は意味が分からなかったのですが、確かに、わたくしある程度の形式に則って書いていたものですから、自分のままに、好きなまま書こうと思いまして、そして冒頭に戻ろうと思います。
つまらない授業に集中できない私はそんなことを考えて、ぼぅっと脳を回転させていると、空に小さな月を見た。月をつかみに起立し、廊下に出て窓から飛び降りる妄想をしながら、退屈に空を見つめていると、どうして月があるのだろうと不思議に思う。ここから月が見える事は無かったのになぜだろうと、そう考えながら、ふさがりかけたピアスホールに触れ、爪で引っ掻く。まぁいいか、としばらく考えて思えば、シャープペンシルの後ろの消しゴムのキャップを咥える。なんともいえないしょっぱさに若干顔をしかめるが、すぐに慣れて、あめ玉のように口の中で転がす。
とてもやめたくなった。飽きた。飽きたのだから書かなくてもいいのだが、脳が文字で埋め尽くされると困るものだから……と思ううちにまた書きたくなるものですから不思議なものです。そう、目の前の人物に語り掛けると、にっこりとその人は笑ったような気がした。僕はその人が大好きです。
トマトが食べたい。死に損ないのセミが鳴いてる。……泣いているのかもしれないが。もう秋になるというのに向日葵が誇らしげに咲いている。狂い咲きにしては少し早すぎるのかもしれないが、紅葉の葉が紅く染まり始めているところをみると、狂っているといってもいいのかもしれない。そして狂っているのは同じか、と思ってケラケラと笑う。口に含んだ生ぬるい水は、鉄のような味がした。
さて、心境の変化があると味覚が変わるというのをしっているか? かくいう私も祖母が死んだとき、カツカレーが食べたくなった。カツは痛いだけで嫌いだし、カレーも苦いだけで嫌いだった。テイクアウトの白米はべちゃべちゃしているから嫌いで嫌いで仕方がなかったというのに、テイクアウトしてきたカツカレーを一口食べると、この世にこんなにおいしいものがあったのかと驚いた。そして、その日はとても心地よく眠りにつけた。
足をブラブラとさせ、唇を舐め回しながらゲームをしていると、気付けば五時間も経っていた。集中しすぎるとろくなことにならない。ゲームでなくて勉強でこれができればいいのに。とかそんなことを考えても、過ぎ去った時間は戻ってこない。おとなしくセーブをして、そこら辺にゲーム機を投げて横に寝転がる。
「あー……ぁっ……んんっ……」
どうやらノドの調子が悪い。まぁ、日常生活においてほぼ喋ることはないからいいのだが。……暑い。まぁ暑い。エアコンが欲しい。ボタン食べたい。
急に死にたくなってきた。かなわない恋というのはあるのだから、そうなのだが、丸い卵も切りようで四角とはよく言ったものだ。甘ったるくて、騒々しい、そしてぐちゃぐちゃなこの教室には僕と先生しかいない。終わらない更新はずっとぐるぐる回っている。7組から聞こえる椅子を引き擦る音が耳の奥を壊すように鳴っている。嫌な音だ。耳をふさぐと夜がやってきた。まだ暑いというのに秋の虫は大合奏している。とち狂った文章だ、と思った。どうも文が思い浮かんでくるものだからクルクルとティーカップを回す。ティーカップの中の紅茶を覗けば、古い記憶が読み起こされる。
ぽぺ?
絵の上にあった、あのロープを落としていたら今頃どうなっていたのだろう。きれいな花火だったと今となって思う。そして、そろそろメーターなのかメートルなのかをハッキリとしてほしい。したがって……
長い人生だった。そして、短い人生でもあった。この飽き性は、人生にもすぐに飽きて死んでしまうものだから……。というか飽きないようにしていたというのに、それをなくす者がいたから。夢野久作がこう、言っていた。いや、言っていないのか。書いていたになるのか? いや、違うか……。
オシロスコープってなんだっけ。おしろいみたいな名前だから化粧品かと思ったが、理科の教科書に載っていたような気もするから、きっと理科の道具なのだろう。
出来損ないの兄をもって可哀想だな、と弟や妹のいる男共を見て思う。
勝って嬉しい花いちもんめ。まけて悔しい花いちもんめ。どの子もいらない。どの子も売らない。平和だからそうしましょ。……ふたりでする花いちもんめは平和だ。そして楽しくないだろう。
友達なんていないものだから、ひとりで遊ぶのばかり得意になってしまった。会話のドッヂボールになってしまう。友達がいないといっても、いつでもひとりはいるのだから、何となく話はするが、ドッヂボールなのだ。言葉をずっとぶつけ合っている。体育の時間にキャッチボールをしたら、案の定ふたりとも下手だった。傷つけあっているが、自分で治す。そんな変な関係だけど、でもなんだかんだバランスはとれている。そんな変な友達が僕にもいますよ。なんて酒を飲みながら言うでもなく、ラムネを飲みながらいうものだから、スチレンシートを切り刻んで、気づいた時にはもう死んでいる。そんな毎日を送っている僕はきっとおかしいだろうね。なんせこの犬がおかしいのだから。
そんなおかしな夢を見て目が覚めると、長ったらしい前髪をかきあげて頭を振る。かきあげた前髪が元の位置に戻ると、髪がどうもうざったく感じる。……すごく長い夢を見たような気がする。たとえるなら、そう、原稿用紙6枚分くらいの夢を見た。
原稿用紙6枚分……というと約二千四百字。……あまり、長くなかった。普段掌編小説ばかり書いているから、どうやら感覚が狂ってしまったようだ。カタカタとタイプ音が部屋に響く。僕はおかしい。それはよく知っている。僕の人生は何のためにあったんだろう。何のために生きて、なんのために死ぬのだろうか。
探偵は僕を見て、どう評価するだろうか。「子供のまま大きくなってしまった悲しい少女」「自分勝手な異常者」「生まれる場所と時を間違えた天才」「好事家にしか好かれない物書き」……そういわれてきたが、結局は「夢見がちな狂った少女」あたりに落ち着くのだろう。探偵は僕の前にうろうろと歩いて止まる。(僕はこれを探偵推理時徘徊現象と呼んでいる)そして僕に向かって指をさして、「あなたが犯人ですね」と。そうすると俺はケラケラと笑ってから「そうです」と言う。誰も反応はしない。乾ききった部屋に私の笑い声だけが響き、壁に吸い込まれて消えていく。俺は銜えていたタバコを床に落としてローファーで踏み潰すと、シガレット型の砂糖菓子をかわりに銜える。甘さに機嫌をよくした私は、口を開いて探偵とそれ以外の人々に向かって自分語りを始める。
「わたくしずっと気になっていたことがあったのですが……。ええ、探偵小説でよく見かけるあれですよ。どうして犯人は自白した後に自分のことを話し始めるのだろうと」
ここで僕は一度辺りを見渡す。探偵と警察の冷たい視線以外何も感じないところを見ると、誰も俺と目を合わせたくないらしい。そしてニコニコと笑みを浮かべるとまた口を開き、話し始める。
「しかし今になってわかったのです。とても気分がよいのです。タバコを吸うときや、酒を飲むときの何倍も、気分がよいのです」
そういうと俺は幸せに明け暮れて、ずるずると腰を落として、なによりも静かな音でペタリと床に座り込んでしまうのだった。
朝というのはこんな風な妄想がしやすい。夢からのインスピレーションをそのまま引きずってこれるからだ。一度物語を終えた私は満足して、布団から出るともう7時20分。学校に行く準備をしなければならない時間だ。と、言っても気づいた時には三十八分になっているのがオチである。……髪が爆発している。いつの間にか鏡の前に立っていた僕はそう思った。焦って髪を濡らして誤魔化し歯ブラシをくわえてワイシャツを着る。と、やっている間に8時10分をさす時計。何となく体調が悪い。そう思ってしまうとだんだんと重くなっていく体。とりあえず床に這いつくばって両親の部屋に行く。熱があれば休めると体温計を取りに行くためだ。母のパソコンの横にある体温計を取ると脇に挟む。
「36度7分……」
微熱だ。でもとても頭が痛くなって吐き気までしてきたから、欠席連絡をするために母に電話をかける。電話越しに聞こえる母のあきれた声が耳に響いて、幼稚な表現だが「いやな気持ち」になった。よろよろと自分のベッドに戻ると、いろいろな不安で頭の中が埋め尽くされる。
しばらく眠っていると、ふと思いついたことがあった。マイペースな時計は使い物にならないなと。そんな変なことを思いつくと、どうも他にもいろいろ思いついてくる。体調が悪くとも私の脳は大忙しらしい。いろいろなことを、どんどん、次々に思いついてくる。
嗚呼、私は幸せ者だ。
「どう思う?」
ハッとした。あまりにもそれが俺であったために、どうやら小説の世界に没入していたらしい。
「すごく、うん。……なんていうかなぁ……。俺を客観的に見て書いたような。でも俺よりも俺をずっと理解していて、それで……。なんというか、変な文章だね」
曖昧な言葉をつらつらと並べる。指をポキポキと鳴らし、伸びをすると、十枚の原稿用紙がひらひらと宙を舞った。
「あっ」
そのまま窓から出た原稿用紙は、空のかなたに飛んで行った。
「ごめん……どうしたの?」
謝罪をしようとかれのほうをみると、彼の顔がみるみるうちに青ざめていく。
「あれ、は……お前の……」
揺れる視線と震える手。そして息ができないのか、はくはくと口を動かしている。
「大丈夫?」
「あれがないと、お前は……」
そう彼が言うと、俺の意識は遠のいていった。
アルプトラウム 田中昂 @denntyu96noboru
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