第5話

 それから2年が経った。就活を終え、無事内定も決まり、僕は地元の企業に就職することになった。家の外で必死に人間のふりをしながら、部屋に戻ると妙な安心感に包まれる。

 本棚に並んだ本、弥生に渡したかったプレゼント。どちらもあの日から増えもせず、減りもしない。捨てたり売ったりすればいいと頭ではわかっているが、その気力が湧かないのだ。

 グレゴールの妹が善意で片付けた家具が彼の人間性の証明だったように、僕にとってはこの群れが今の僕を稼働させるものだ。私物も、記憶も、何もない空っぽよりは何かが入っている方がいい。


 本を一冊手に取る。カセットテープが描かれた表紙だ。弥生が選んだその小説の内容までは忘れたが、タイトルだけは強烈に印象に残っている。読み上げれば、馬鹿馬鹿しいほど皮肉な響きだ。


「……わたしを離さないで」


 これも捨てられなくなってしまった。


 弥生とは、それから一度も会っていない。唐突に別れを切り出したことを内心で恨み続けるのもエゴなら、達観して幸せを願うのもエゴだ。だから、僕はどちらも願う。無理に忘れるのは、もうやめた。

 消せないものが入っているゴミ箱は、現実世界だけにある訳じゃない。今日も削除ボタンに指を伸ばし、僕は永劫の茶番を繰り返す。

 そうして増えていく廃棄物みれんが、僕の部屋あたまを覆い尽くすまで。

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Trash Box @fox_0829

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