第4話 或る「大学体育会出身者」の誤解

先頃「週刊文春 10月17日号 (発売日2024年10月10日)」に、「東京大学体育会出身」のさる県警本部長が、そのあまりにも常軌を逸した野蛮さ(異常な体育会体質ぶり)によって更迭された、という記事が掲載されました。


『「殺すぞ」パワハラ本部長と面会翌日に自殺。京都府警女性警視(50)の母が「真相を知りたいです」』


私に言わせてもらえば、この人は「日本人の体育会気質」を間違ってマネしている。在来種純粋日本人の体育会出身者で、こんな真似をする人間はいません。

この体育会育ちという男性は、

○ 毎朝数キロ、時には30キロもマラソンをしてから登庁し、それを警察署内で吹聴することで、自身が体育会出身であるという証明にしていたらしい。

○ 「野蛮な人間や組織の中でもたくましく生きていくだけの根性を持っている体育会出身者」であることを証明するためなのか、自ら率先して部下たちに「バカヤロー !」「殺すぞ !」と怒鳴り散らし、大きなバインダーや本を投げつける、という外来種系暴力団なみの行状ぶり。

○ (50年前の漫画「嗚呼、花の応援団 どおくまん著」に描かれた、)「狂気の体育会幹部」の醜態をそのまま現実にしたような生活態度のため、誰もが「東大」「体育会」に戦々恐々とし、いわば「裸の王様」状態であったらしい。

○ もしかしたらこの男性、実は菊池寛の「忠直卿行状記」のような、根は正直で素直な人間であったのかもしれないと(私ヒラグリは)考えました。

    https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/501_19864.html


  忠直卿という人も、短気で悋気で手がつけられなかったそうですが、菊池寛は、歪んだ封建体質組織が精神的に弱い人間を生み出したのではないか、と考えたのでした。

○ 或いは、100年前まで韓国(南朝鮮)に存在していた「両班・ヤンパン」という「絶対的権力を持つ韓国貴族」を、この男性は無意識に標榜してたのかもしれません。

南朝鮮の人口の1%といわれるこの両班という貴族階級とは、南朝鮮(新羅と百済)2000年間の歴史に於いて、99%のぬひ(奴隷階級)に対し超絶的な権力を振るっていた。

なにしろ、100年前の時点で、南朝鮮(現在の韓国)の奴隷階級男性は「立ちションベン」が禁じられ、女性と同じようにしゃがんで用を足さねばならなかったらしい(中島敦(1909~1942)「巡査のいる風景」)。

南朝鮮の貴族とは2000年間にわたり、そういう屈辱的な政策を国民に強いることで、被支配層を精神的に痛めつけ、堕落させるという、非常に悪質・陰湿な封建体制を執っていたのです。

10年ほど前の日本、北朝鮮のミサイル試射が行われ始めた頃、全国の小学校では、ミサイル警報が発令されると生徒たちが全員机の下に隠れる、なんていう屈辱的な習慣をつけさせられたようですが、あれがまさに韓国両班式統治方法というものです。

「在来種純粋日本人の場合、ヤクザの親分はそんなクレージーなことはしない」

 → 「浅草博徒一代」佐賀純一 新潮文庫

 慶應大学医学部出身の著者が、患者として来院したあるヤクザの親分に惚れ込み、その独白を何年にもわたり録音して書き下した本です。英訳され、かのボブ・デュランも読んだという名著です。

この本に由れば、純粋日本人(在来種純粋日本人)のヤクザというものに限らず、純粋日本人というものがどういう人種であるか、韓国脳人間とどう違うのか、ということがよくわかります。

在来種純粋日本人のヤクザ(のトップ)とは、恐怖政治で組(ヤクザ組織)をまとめていたのではない。死の恐怖や危険を堅忍不抜の精神でかいくぐってきた男のもつ男気や、そういう苦労の中で積んだ陰徳(人に知れないように施す恩徳)という鍛錬の末に行き着いた人徳によって、なのです。

言わば、三国志の劉備元徳や諸葛亮孔明・曹操のような、天に選ばれたような人間が任侠・侠客の親分として組をまとめ、町内を守ってきたのが、日本のヤクザの歴史なのです。


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私の曽祖父は明治・大正時代に警察官(その親父も警官)でしたが、孫である私の親父にこんなことを言っていたそうです。「町の治安を守っているのはヤクザであって、警官というのは国家に歯向かう(批判する)者 (→ 小林多喜二のような人間)を取り締まるものだ。」と。

そして、曽祖父はそんな警察官の仕事が嫌で、毎日川へ行ってはサーベル(昔の警官は拳銃ではなく西洋刀を腰にぶら下げていた)で魚を突き、ご近所さんに配っていたので、当時の警官としては珍しく人気があったそうです。

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私のいた大学日本拳法部でも、1年生から4年生までの4階層に一階層でも前時代的(封建的)体質の人間が存在していた時には、いくらハードトレーニングをしても・しごいても・ヤキを入れても・怒鳴っても、うまく歯車は回らなかった。

私が4年生の時、ようやく1~4年生全員が自主的にまとまったことで、春秋の大会で準優勝という現実の成果が出た。そして、それが本当に染み渡った翌年、遂に念願叶った優勝ができた、という見方もできるのです。

2024年10月21日

V.1.1

平栗雅人

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茶道と大学日本拳法  V.2.1 @MasatoHiraguri

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