第3話 関西と関東の大学日本拳法の違い
「三つ子の魂百まで」と言いますが、子供の時から慣れ親しんできた彼らの拳法(戦い方)には、箸と茶碗でメシを食うような、身に染みついた・自然の流れ(アルゴリズム)がある。
それに比べると、関東人(大学から日本拳法を始めた者)の拳法とは、ぎこちなさ(動作・物言い・姿などが不自然である。不慣れで洗練されていない)が感じられるのはやむを得ない。
その差を埋めるべく、多少の拳の速さやパワーで対抗しようとしても「戦いの流れ」におけるcontrol ability(制御能力)において決定的な差がある以上(関西人は戦いのアルゴリズムがほぼハードウエア化しているので、早くて正確。関東人はソフトウェアで処理しているので、反応が遅い)、「アキレスは亀に追いつけない」。
この差を縮める・壁を破るには、2つの道がある?
① 自衛隊スタイル
自衛隊並、則ち、戦場で敵を殺す程の精神的強さ(殺しを忌諱しない)と、桁違いのパワーを身につける。
極端な話、大学生活ほとんどの時間を、筋トレやサンドバッグ、相撲・柔道(組み打ち)、そして日本拳法の防具練習に費やせば、「自衛隊式超パワー日本拳法」として、関西の職人技的大学日本拳法といい勝負ができるだろう。
しかしこれでは、ただ拳法が強いというだけで、大学日本拳法ならではの「思惟(心の鍛錬)と哲学(原理という絶対の追求)と実践」という三位一体(三つの要素が互いに結びついていて、本質においては一つであること)の道、ではなくなってしまう。
② 「型より入りて型より出でよ」
これも極端なやり方ですが、大学から日本拳法を始める者は1年間、型(形)ばかりやらせる。基本の突き蹴りと適度な筋トレ、そして十分な相撲練習と共に。 「幼児の時から箸でメシを食う実践習慣がついている者」に対し、大学生らしく「頭で考えてやる拳法」で対抗しようというのです。
過去、練達の士たちが哲学し編み出した「戦いの流れ」である型(形)を何百回とやることで、強制的に「箸の使い方」を頭から身体に焼き付ける。その練習の繰り返しによって、(頭による)形の哲学が、2年生になった頃、心と身体を結びつけてくれる。つまり、防具練習は2年生になってから(完璧な形ができてから)ということ。先ず頭で、次に、身体で理論を体得してから実践へ、というスタイルです。 お勉強好きな昨今の大学生には向いているのではないでしょうか。
防具の大会だけでなく、形だけの大会というのを開催すれば、自分の形を沢山の人の形と見比べて参考にできるし、順位がつけば励みにもなるでしょう。
なによりも、形に没入することで、現実の血なまぐさい殴り合いを哲学し、それが自分の拳法(アルゴリズム)の公式化・理論化・思想化へとつなげていくことを期待できるのです。
こんな言葉もあります。
「理論を知らずして実地練習にのみ汲々たる者は、舵機も羅針盤も失える船に乗る水先案内人の如し。その行く手定かならず。実地練習は、常に正当なる理論の上にこそ立つべけれ」(レオナルド・ダヴィンチ) 」
"He that is taken with practice without science, is but a pilot in a bark without helm or compass, never being certain whither he is going. Practice ought always to be built upon good theory. (LEONARDO DA VINCI)"
2024年10月22日
V.2.1
平栗雅人
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