第2話 茶道と大学日本拳法 

 『茶道講話』武者小路千家流家元 官休庵 千宗守先生述 日本料理研究會版  

 

《緒言》の要約 

「本書は昭和10年(1935年)7月、ラジオで放送された諸家の「茶道の話」の内、官休庵宗匠のお話3講を日本料理研究會機関雑誌「會報」に連載したものを一冊に取りまとめたもの。」

 「従って、茶道讀本としては稍物足りぬきらいもありますが、ラヂオを通して茶道の概念を語られたもの故、蓋し止むを得ない。」

 「然しながら、斯道の研究を心がける者に取っては益する處少なくないと信ずる。」 

   昭和11年6月10日印刷 

   昭和11年6月15日発行 《非売品》


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  この小冊子は、非常にコンパクトでありながら、茶道の奥義がさり気なく、且つ的確に書かれています。現実的で実用的な観点から茶道を究めるというアプローチこそが、表裏千家と違う味わいというか風合いである、武者小路千家の流儀のようです。


  冒頭、家元はこんなことを仰るのです。

<引用開始>  

  「この日常生活と申しまするものと、それから茶道というものとがどういう風に交渉してくるかと申しますると、それはいろいろなかたちとなって出て来る場合が澤山ございまするが、そのうち第一にはそこに現われている茶道の形式とか、形とかそういうものをこの日常生活というものに交渉させて来る場合と、それから第二には茶道というものに依って充分訓練を致されまして、まあ蛍雪の功を積むと申しますか、その茶道というものを體得して来る、そういうことになって来て、それがその人の色々な精神作用に働いて来て、そこに日常生活というものと交渉して来る、そういう先ず二つの場合を考えることが出来ます。・・・」

<引用終わり>


  家元は、形而下と形而上、帰納と演繹という、いわば宮本武蔵二天一流(宮本武蔵の創始した剣術の一派。はじめ円明流と称す。広辞苑 第七版 (C)2018)的な観点から、茶道と日常生活いうものを捉えようというのです。


  この本の主旨とは、端的に言えば、

○ 茶道の形式・様式を私たちの日常生活に溶け込ませることで、メリハリのある・機能的な、そして潤いのある日常に変えることができる。


○ 茶道によって、物理的な日常生活に形而上的世界を現出させることができる。もの・カネ中心の世界に、心・精神という裏付けを与えることで、平凡な日常が奥行きのある・メリハリのある・躍動感のある生活となる。


○ 様々な商売という世界で、その質や奥行きに大きな広がりを生み出すことができる。例えば、金貸しを銀行業にするという、単にシステム化するということではなく、そこに文化を生み出すことで、より人々に支持され・永続性のある事業にまで高める、といった。


第1「茶道の形式・形を日常生活に交渉させる」

 → お茶の形式(習慣)を日常生活に持ち込むことで、それまで「ただの日常生活」であったものが

○ メリハリのある

○ 潤いのある「時間と空間」となりその結果、

○ それまで気づかなかったことに気づかせてくれる

○ 豊かな心持ちになれる


茶禮(という習慣を日常生活に持ち込む)

① 茶室ということでなくても、家庭(の居間)、商店の次の間(主な部屋に隣接する小部屋。控えの間)、会社の休憩室、(或いは、大学日本拳法部の部室)で


② 家族・店員・社員・部員が、毎日同じ時刻・同じ場所・同じメンバーで


③ (ただの緑茶や番茶ではなく)抹茶を点てて飲む

 

 茶禮というプロセスから抽出される様々なアルゴリズムによって、それまでとは違った日常が現出される。



第2 茶道の形式(習慣)を体得した者が、そこで得たものを今度は逆に、日常生活に活かしていく(ことで、より良い日常生活に変えていく) → 「解き、また結ぶ」

  

◎ この考え方を大学日本拳法に適用してみると

 ① 三歳から「箸で飯を食う」ようにして日本拳法に慣れ親しんだ関西人は、身体が無意識に反応するという体質になっている。彼らの戦いにおける流れがスムーズなのと、技をかけるタイミングや間合いの取り方が的確なのはその所為でしょう。

  一方、大学生までフォークとナイフとスプーンでメシを食う(、もしくはインド人のように手で食べる)習慣で生きてきた人間が、大学生になってから箸でメシを食うことになると、先ず頭でいろいろと考える。

  箸の操作方法ばかりでなく、箸というものの食事における位置付けとか役割とか限界といったことを哲学しながら、その操作方法を習得していこうとする。子供のように無意識に習い覚えるということはまずない。大学生となると、やはり頭でいろいろ考える。だから、どうしても「関西人」に比べてレスポンスが遅くなる。


② しかし、「第2 茶道の形式(習慣)を体得した者が、そこで得たものを今度は逆に、日常生活に活かしていく(ことで、より良い日常生活に変えていく)」というステージを考えた場合、長所と弱点は逆転する(のではないか)。


③ 3歳から日本拳法をやっている人たちは、箸と茶碗でメシを食うことを身体がしっかり記憶する(身につける)から、ことさら「日本拳法」を意識しない、哲学することがない。意識しないで身体が動くとは、迷いがないということであり、だからこそ彼らの拳や蹴り投げには迷い(躊躇)がない分、早くて正確で威力がある。

  しかし、「考えないで身体が素早く反応する」という体質ですべての日常生活と交渉しようとすると、そこには何らかの無理が生じるのではないか。


  一方、大学から日本拳法を始めた者の一つのアプローチとして有効と思われるのは、素の心・自分の頭で、日本拳法というものを見て・やって・観察して・哲学することで、自分なりに日本拳法というものを帰納と演繹し、自分の大学日本拳法の形式・形を心と頭の中で確立することができるということになるのではないか。

《書きかけ》 


   少し飛躍しますが、その意味で慶應義塾大学の「ナルシスト拳法」とは、大学から日本拳法を始める者にとって、一つの(正しい)アプローチといえるのかもしれません。


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