茶道と大学日本拳法 V.2.1
@MasatoHiraguri
第1話 終わりの始まり(After graduate)
いま現在、選手もマネージャーも、府立(全日)のことで頭がいっぱいでしょう。
(ですから、この話は府立(全日)が終わってからお読みになった方が良いかもしれません。私は歳が歳ゆえ、何時ぽっくり逝くかわからないので、思いついたことをすぐに書いているだけです。)
しかし、府立(全日)が終われば、1~4年生まで次の戦いが始まる。というか、現実には大学に入学した時から「卒業した後のための戦い」はスタートしているのです。
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大学生とは、卒業という出口こそがスタート地点であり、その為に大学でどんな日本拳法活動をしておくべきかという、トップダウンというか出口戦略(出口を見据えて入り口から出口までのプロセスを決めていく)を行うべきなのです。
ところが、(私を含め)ほとんどの人は「出口(卒業後のビジネスマンとか)を想定した大学日本拳法活動」を考えようとしない。大学日本拳法の出口を見ない(4年後に自分が「社会人として役に立つ人間」になることを展望し・想定することなし)に、漫然と筋トレだの防具だの昇段級だの大会だのを追いかけている(もしくは追われている)。それらすべての行動・活動(毎日の練習・昇段級・大会・合宿等)が、卒業後「役に立つ社会人」へと結びついている、という意識がまるで無い。私自身も、また私のいた大学の日本拳法部という組織もそうでした。
卒業後は商社に行くから語学を勉強しておく(私はまるでやりませんでしたが)、銀行に行くから金融関係の知識を吸収しておく、といった学校の勉強・知識・技能の習得以上に、「社会人として通用する人間性」の錬磨・錬成こそがより重要である、なんて言えば、笑われるかもしれません。社会人としての倫理観や行動規範というのは、小中高時代の道徳の授業で既に習ったことではないか、と。
大学では、そこで学ぶ(専門)知識や技能こそが(社会人になってから)最も重要なことであり、「体育会」というラベル・肩書き、もしくは資格など、体力がありますとか、多少野蛮な人間や組織の中でもたくましく生きていくだけの根性を持っています、という程度の、いわば「掛け捨て保険」程度でしかない。
これが、世間一般で認識されている「体育会の商品価値」というものであるとすれば、非常に残念なことです。
しかし、小中高における倫理や道徳・社会規範の遵守といった知識はただの知識にしかすぎず、身体に染みついた真のrespectful(尊敬に値する)、もしくは社会的に受け入れられる、まともな(respectable)人間性を保証するものでない点では、やはり掛け捨ての保険なのです。
私の知るかぎりにおいて、大学体育会における日本拳法とは、かの茶道と同じくらい、私たちの日常生活(学生時代・社会人)と大きな交渉を持つ(良い影響を与えてくれる)「道」であり、私たちはそれを看過している。だから、大学時代の知識や資格の習得に比べて軽く考えてしまうのです。
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