第七話 『Vengeance 下』




 樹壱の前に古く、白い尖塔があった。


 オディナイエートの街の、最北に位置する場所。


 雪に埋もれた白い岩塊を背に、それは聳えていた。


 尖塔の周囲にあった他の塔は全て倒壊し崩れていた。中心塔だけが、往時の姿を遺していた。


 樹壱は敷地に入り、塔の入口に立つ。


 4メダト(約5m)ほどの巨大な出入口を見上げ、白い壁に触れた。


「一般に知られていない建材だな。繋ぎ目は見えず、強度・靭性、共に非常に優れている。耐火性も耐用年数も圧倒的だ。

 中央諸国でこれを製造することは不可能だろうな。どんな国でも作れまい」


 魔法の類がかかっていないにも関わらず、驚くほどの性能があった。崩れた他の塔はおそらく模倣であり、年月もものともしないこの塔だけが特別なのだ。


 樹壱は歩を進め、塔の中へ入った。


 打ち棄てられた豪奢な家具や、汚れた貴金属、衣服の残骸が散乱していた。


「噂には聞いていた──エクティブルクの『白い帝宮』、この塔のことだろう。皇帝と一族のみが立ち入りを許された、帝国の聖域と言われた場所」


 灯りは必要なかった。建材は薄く光を放っており、照明がなくても十分に内部を見渡すことができた。


 棲みついた野生動物などの姿は見えない。


 貴金属が残っているところから、まだ遺跡発掘者にも荒らされていないだろう。一見、ただの汚れた廃墟だった。


 樹壱はざっと一階を調べて、特に何もないことを確認した。


 ここはただの生活空間だったのだろう。


 螺旋階段を見つけ、樹壱はそこを昇りはじめた。


 コツ、コツと、靴音が鳴った。


「──この国には、特異な風習があった。400年前の建国以来、帝族である『エクティ』の一族は、表に出る皇帝を除いて常にこの帝宮に引きこもり、国の全ての人間の前に決して姿を現さなかった。

 一族以外で中に入った者は妃として選ばれた者だけで、一度この塔に入ったら最後、二度と外へ出てくることはなかったという……」


 コツ、コツ。


 樹壱の靴音と、独白だけが、古びた階段に響く。


「中で何が起きていたか、語る者はいない。そして絶対権力者である皇帝が死ぬたび、先帝の血を引くと称する新たな皇帝が、塔よりふらりと現れ帝位を継いだ」


 コツ、コツ。


「代々『ルンパーシャ』一世、二世と名乗った皇帝は、十五世まで続いた。

 この皇帝の肌は浅黒く、文献によれば、みな前皇帝に生き写しの容姿であったと。その姿に、誰もが皇帝の一族と信じ従ったという。

 おそらくは南方に起源を持つ部族なのだろうが、しかし妙な話だな。

 北方に住む人種は肌が白く、現地貴族との婚姻で400年も続いた一族が、そのままの形質を残すとは考えにくい。みな生き写しの顔などあり得ない……」


 ──コツ。


 紫色の光を放つ、魔法の障壁があった。


 樹壱は呪符を取り出すと、線を入れて障壁に放った。


 対抗呪文が発動し、障壁はガラスのように割れて砕けた。


「あるいは……容姿も己の権力に利用した、と考えられる。代々変わらぬ姿で神性を民衆に強調し、絶対的な権力の箔付けに使った」


 封じられていた障壁の向こう側へ、樹壱は進んだ。


 そこは不思議な部屋だった。


 フラスコや試験管などが、不愛想な木机の上に狭しと載っている。


 幾つもの腐った書籍の山や、顕微鏡と思しきもの。未知の機械らしきもの。


 部屋の中央には、人間がすっぽりと入れる大きさの、透明な筒のようなものが並ぶ──


「それをどうやったのかも、推察できる。『超古代文明の先進技術』などというのは、大抵はそういうものだ。

 この世界は千年と三百年しか歴史を持たず、本来、隔絶した古代文明などどこにも存在しない」


 机の上に、砕けた植物の残骸と、朽ちた種子があった。


 触れると脆く、簡単に崩れていった。


 これもそうだろう。帝国人は雪の中に植えて収穫できる、不思議な穀物を食したという。


 長年の品種改良の痕跡もなく突然出現した、高緯度地域で育つ不自然な穀物。


 獣人の存在にしても、同じだった。


 その技術は、先進的に過ぎた。


「この世界は、一度滅びた。世界の『再構成』の際には、滅亡前の過去80億年の情報から、適当なものを継ぎはぎして作られたらしい。

 だが、いい加減な神々だ。中には不自然で不合理なものも間違えて残してしまった──はるか未来まで進歩した、『前の世界の文明』の痕跡も。

 無人の雪原で、はそれを……この塔を見つけてしまったのだろう」


 樹壱は部屋の中を眺め、勘の働く場所へ向かった。壁にあった取っ手を引いた。


 ドアのように開き。


 ──幾つもの人骨が溢れるように、ばらばらと床に散らばった。


 中に詰まっていたその人骨群は、骨盤の形から類推して、全て女性のものだった。


 妃として、この塔に入ってきた女達だろう。


 歯の損耗具合を見て、どれもとても若いまま亡くなっている。


「やはりか。婚姻は、必要がなかった──ただの体裁だ。

 自らのクローンを直接生み出して、雪の中から築き上げた己の帝国を、次の自分に継がせ続けた。

 記憶を転送する装置もどこかにあるだろう。侵略的な帝国の国主は、全てが同一人物だった──」


 バイオ・テクノロジー。


 通常の科学以外に魔法の力も用いられた驚異的技術が、たった一人の人間を延命させ続けた。


 エクティブルクの国民が皇帝以外の帝族を見ることなど、あるはずがなかった。


 エクティの『部族』『一族』などというものは、本当は存在すらしていなかったのだから。


「皇帝の正体は、400年前の冒険者か遺跡発掘者の何者かだろうな……。まあ誰だろうが、今更どうでもいいが」


 樹壱は部屋の奥に隠されていた階段を見つけ、そこを昇った。


 再びの螺旋階段。


 壁に、異形の何かの彫刻が彫られていた。


 彫刻は連作になっており、骨や肉体、生殖と誕生などを想起させた。定かではないが、この建物を作った生命体と文明のテーマのようなものだったのかも知れない。


 樹壱は進みながら一人、つらつらと言葉を重ねていった。


「──敢えて言えば、どんな国だろうが勝手にすればいい」


「偶然見つけた遺跡を用いてどんな国を作ろうと、そこに住む者が決めることだ。皇帝が雪の中から国を興したなら、それは皇帝の国だろうな」


「だからフラーメニアやロゴスロンドも、己の道を己で決めて、帝国に反旗を翻した。

 俺のような余所者の無関係者がいちいち介入するべきではない。俺は神ではないのだから」


「だが……魔物のスタンピート。未曾有の大災害を起こしたのは、誰かという話だ」


「100万人もの死を引き起こしたその誰かを、俺は逃すつもりがない……」


「怪異……魔物に殺された人々は、一方的に踏みにじられた。

 彼らは間違いなく、許さないだろう。誰かが仇を打ってくれることを望むだろう」


「どれだけの時が過ぎようとも。彼らは決して許さない」


「なればこそ、俺がここにいる。何故なら今となっては、過去を見る俺以外にその役目をやれないからだ──」


 階段を昇るその足は、獲物を確実に追い詰めていく狩人の足取りだった。


 廃墟の薄暗さの中で、樹壱の瞳が、鈍く輝いていた。


 長い階段を昇りきる。


 終わりには、小部屋があった。金属の扉を押し開いた。


 薄ぼんやりとした、の点いた部屋だった。


 立った透明な筒の中に……一人の浅黒い肌の老人が、スポットに照らされた干からびたミイラのように、安置されていた。


 室内には、暗がりで赤い光を明滅させる無数の電子機器らしきものが並び、一角には、ホログラムが幾つか映し出されていた。


 電源はまだ通っており、機械は埃にまみれながらも、いまだ稼働していた。


「──聞いていただろう? 


 樹壱はコンコンと白い壁を叩き、室内へ向けて言った。


「このタイプの遺跡は、見たことがある。壁材が音を拾い、所有者は内部の会話を聞くことができる。俺が入ってきたことも全て知っていたはずだ……

 ついでに、本体を一見目立たないところに隠しても無意味だ。ミイラはただの遺伝子の部品取りなんだろう」


 そして中へ入り中央に安置された老人のミイラ、ではなく、その横の棚に置かれた一つの小箱に触れた。


 小箱は一部透明になっていて、そこには、液体の中に浮かぶがあった。


 電源が通り、いくつものケーブルが繋げられていた。


「お前が、魔物のスタンピートを起こした『犯人』だ──」


 冷徹で無情な目が、脳を見下ろしていた。


「お前はまだ生きている。俺は、お前を殺しに来たんだ。


 樹壱が剣を抜いた。


 だが、返答が特にないことに少し怪訝な顔をし、機器をよく見つめてみた。


「うん? まだ死んでいるはずは……ああ、音声出力のモジュールが故障しているな。

 今のお前は聞こえてはいるが、喋ることができないのか」


 樹壱は以前、同じ古代文明の遺跡を見たことがあり、内部にあった遺物を解析していた。どれが壊れているのかも一目で分かった。


 ホログラムの一つを確認すると、脳波を映しているらしきものがあった。


 それは少々独自な、この古代文明特有であろう六角形の揺れ動きで示されるものであったが、鋭波と棘波が、激しく動いていた。


 それが示す意味は、誰にでも分かる。


 恐怖だ。


「ふむ……抵抗もできないなら、ゆっくり話してやってもいいか」


 樹壱は近くの出っ張りに腰かけ、棚の小箱を見つめた。


 無言の、しかし強い恐怖に怯えている元・皇帝の脳に、樹壱は懐から大き目の大理石によく似た白い石を取り出して見せた。


「少々時間はかかったが、過去は全て見た。街の中央の建物に、風化した魔法陣の跡を見つけた──『女神の欠片』も見つけた。

 無限の魔力で無制限に怪異を出現させ、あらゆる物を飲み込ませたのだ」


 オディナイエートの中心、皇帝の宮殿。


 その廃墟の地下には、大規模な魔法陣が設置されていた──


 本来は死の概念で自然発生する怪異を、無辜の犠牲者を殺して捧げ、その気配で生み出す黒魔術だった。


 魔法陣は膨大に現れた怪異に踏み荒らされ、いつしか機能を停止していたようだった。


「凶行の動機はおそらく、南のフラーメニアとロゴスロンドだ。

 お前にとって、『叛徒』であるこの二国は、プライドにかけて絶対に叩き潰さねばならない裏切り者の元部下だったのだろうが、何度戦争を仕掛けようと、中央諸国の援護を受けた二国を滅ぼすことはついにできなかった」


 樹壱は次に、人間の思念を覗くことができる、『想念の水晶』を出す。


 過去再生の能力で、過去の思念さえ聞ける。それはあくまで非常に断片的な思念であり、人間の深く複雑な思考の全てを知れるものでは全くない。


 ほんの少し。わずかな分を聞けるだけだ。


 特に生前、強く思った思念と主観を拾うことができる……。


「そして、お前はこう考えた──『全てをリセットする』と」


 この者は、邪魔者ごと一旦全てを消し去り。


 無人になった北から、廃墟の中からやり直し。再びクローンと己の帝国を築き上げるために……。


「100年が過ぎて怪異の群れも死に絶え、そろそろ復活を考えていたはずだ。

 残念だったな。お前に、『死』が届いた」


 欠片と水晶を仕舞う。


「ロゴスロンドで見つけた、人工亡霊レイスの魔術。あれも不自然なほど先進的だった。この俺が見たこともないほどに。

 出所はどこなのか、気になっていた。隔絶した魔法技術を持ち、不死と永遠を願う者がいるならば、別アプローチでの自己保存も研究するのは、自然な流れだ。

 あそこにあの魔法があったのは、何らかの政治的取引だろう。怪異召喚の秘儀魔術と、引き換えにでもしたか。ロゴスロンドのコロシアムでは、時に剣闘士と怪異の対戦も催されたというからな。

 目的を達成するためには、制限の強いレイス化はお前にとって、流出してもいい失敗作だったのだろう……」


 そこまで言うと、少しの間言葉を止めた。樹壱の目が、何かを見ていた。


 立ち上がり剣を、脳の小箱へ向けた。


 ホログラムの脳波がいっそう激しく、棘を作って暴れた。


 ぱちり、と指を鳴らす。


 蒼白い幻影の人影が現れ、それは浅黒い肌と豪奢な服、そして獰猛な顔をした男だった。


『──死ね、死に絶えろ! 我のみが生き延び、他は全て滅ぶがいい……! 今は身を隠すが、先の世において必ずや復讐を果たし、全てを支配してくれる』


『偉大な我を戴かぬ、どうしようもない愚民どもめ。我が望みも叶えられない衆愚どもめ。全員が、不幸になれ!』


『みんな死ねぇっ!!──』


 もう一度ぱちりと鳴らすと、全てが消える。


「──結局、より安定的なクローン技術で、自分を100年後に残すことを選択したか。

 それにしても逆恨みだな。戦争ばかり繰り返す狂暴な皇帝で、死んでも入れ替わって変わらないのだから、誰もが愛想を尽かして当然だろう。なんにせよ……」


 そして、宣告の声が響いた。


「お前は、100万人の虐殺の張本人だ。お前をしなければならない」


 400年、肉体を入れ替えて死から逃げ続けた愚かな皇帝の隣に、死神がいた。


 その目に一切の許容もなく。確信的な横顔が、機械の放つ赤い光に照らされて。


 死神は言った。


「フラーメニアの王妃達。ロゴスロンドで会った少女。他にも無数の、数え切れない人間達の、その無念を代行する。

 お前一人が思惑通り逃げ延びるなど、決して許されない──」


 脳波を示すホログラムに、変化があった。


 恐怖に激しく振れていたが、それとは違う動きがあった。その意味は確かでないが、おそらく。


「命乞いか。お前の懺悔を聞く気もないし、声がなくては聞くこともない」


 断罪の剣が振り上げられ。


 棚と金属の箱ごと、脳を両断した。


 モニターされていた脳波が消失し、フラットになって、永遠に止まった。




 ─────────────────




 尖塔の屋上に、樹壱は立っていた。


 雪足は強くなり、しんしんと降る雪片が、オディナイエートの廃墟を白く包みつつあった。


 埋もれていく滅びの跡を眺める。


 塔に残されていたオーパーツ群、『古代』技術は全て破棄・回収しておくつもりだ。


 こんな技術は、人々には必要ない。いずれ彼らがはるか未来に発明するとしても、今は持つべきではないだろう。


 最後はこの塔ごと爆破しておく。耐爆性にも優れたこの建築物の破壊は、今のこの世界の人類には困難だが、破壊する方法も樹壱は知っている。


 何も残らない。


 100年前の過去の真実も、そのまま誰にも触れられず、眠ることになる。


 そして樹壱はまだこの世界にいて、息をしていた。


 集めた女神の欠片を送っても、やはりまだ足りなかった。


 彼方の山脈を見つめる。白い山脈は冷たく、遠く、樹壱を見つめ返していた。


 次の目的地を決めなければならない……。


「──南だな。ずっと南へ」


 特に理由はなかった。思いつきだ。


 マントを翻し、樹壱は屋上を後にした。


 呟きは雪混じりの風の中へ呑まれ、屋上の縁から下へ落下し、儚く消えていった。




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異世界へ飛ばされ不死になった男が、滅びた女神復活の為、当て所なく旅をして悪を裁いて断罪する、哀しいお話。~Who he comes after the end.~ 乱層雲と屋上 @Endof----

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