第七話 『Vengeance 上』
冷気が、肌を刺す。
頬の上の辺りが寒さに厳しく引き締まる感覚。
口元より白く上がる吐息が、長く伸び。
見上げれば、白と灰色の混じった鉛雲が、地平線の彼方まで隙間なく空を覆っていた。
ちらちらと、粉雪が落ちる。
樹壱は、古い廃街道を歩いていた。
永く整備されず、半ば雪に埋もれたぼろぼろの石街道だった。ずっと誰も使っていない道。
脇を向けば、冠雪した針葉樹がまばらに並んでいた。
後ろを振り返る。
数日前の出来事を、少し思い返していた。
『獣人』。
この世界においても400年と少ししか、存在の歴史を持たない異形の人々。
姿とは裏腹に、下手すれば人間よりもずっと、仲間への思いやりに溢れた人々だ。
「合成生命、か……」
あの獣人の少年はきっと両親にたっぷり絞られ、捜索した村人から叱られ、バーテンダーからも説教を受けた後、無事な姿を喜ばれただろう。
少しはいいことをした。そう思えた。
顔を戻し、再び歩みを続ける。
樹壱の旅路は、まっすぐ北へと向かっていた。
緯度はすでにかなり高い。日照が少なく人が集住するには不向きな土地で、通常の農業生産は困難になる地域だった。
これからやることがあった。
『後始末』……と言うべきか。
過去に埋もれたものを、掘り返す作業。
……。
──『エクティブルク帝国』、という国があった。
フラーメニア王国、ロゴスロンド連合国と並び、北方三強国と称された。
『アーバレリア神契大陸』。その北方諸邦と呼ばれる不安定な地域に、君臨した三国の、最後の国である。
それは『古代』遺跡から出土した先進技術によって、勃興した古い国だった。
その古代性については、一度置いておくとして──
四世紀以上前。
『エクティ』を名乗るある部族が、農耕すらできないはずのツンドラ地帯から、突如として国を打ち立てた。
彼らは特別な技術を持ち、雪の荒野に農作物を植えるという、不思議な技を有していた。
人間と獣を合成し、獣人という従順な奴隷を作り上げる、現在でも考えられないほど高度で非倫理的な魔法技術も。
そして非常に戦争を好み、侵略的だった……。
彼らが起こした、多くの横暴な戦争があった。
隣接したフラーメニア・ロゴスロンドは、元はエクティブルクから分離独立した国々だ。好戦的で残虐をためらわない皇帝に、もうついていけないと思った人々が、反乱によって作った国だった。
フラーメニア王国は、エクティブルクの南部総督をしていた者の一族が。
ロゴスロンド連合国は、力ずくで従属させられていた旧領主連盟の反乱が──
大陸中央の諸国は、破壊的な戦争と弾圧を繰り返すエクティブルクを警戒し、二国に援助して対抗していた。
誰からも蛇蝎のごとく嫌われた、征服を国是にした野蛮な帝国。
それが、エクティブルク帝国だった。
──樹壱は歩く。
吐息を後ろへ残し、厚手のマントの下からは、鎧の擦れる金属音が静かに鳴っていた。
この道の先には旧エクティブルクの首都、『オディナイエート』がある。
100年前に起きた、魔物の
そこが破滅の起点だった。
三つもの国を飲み込んだ災厄が最初に出現したのが、オディナイエートだった。
「……」
孤独な雪が、無人の街道を白く染める。
この辺りはごく近年、ようやくまともに道を歩けるようになったという。歩く者は、樹壱の他にいるわけもないが。
誰も知らない──
100年前のあの日……莫大な人命と、人々の生活が失われたのだろう。
推定犠牲者数は確かではないが樹壱が調べたところ、100万人近い死者が出たはずだった。
あの悲劇は、何だったのか。
人々が殺され命も家も故郷も、愛する家族さえ奪われたのは、何故なのか。
当事者だったエクティブルク、フラーメニア、ロゴスロンドの三国は完全に滅び去り、わけも分からず逃げた少数の避難民だけが当時、なんとか生き延びた。
中央諸国に残る災厄に関する文献も、わずかな手がかりからの推測だけだった。
あまりに大き過ぎた災害は、記録さえ飲み込んでしまう。
そう、あの災厄は誰も原因を知りようがなく、いまだ真実は分からないのだ。
──今ここを歩く、一人の男を除いて……。
「奪った者を逃しはしない。誰かが裁きを下さなければならない──」
呟きを、舞い落ちる無言の粉雪だけが聞いていた。
……朽ちた城門があった。
エクティブルク帝国首都、オディナイエートの街を守る、都市の大門のあった場所。
大門と言っても、もはや城壁のほとんどが倒壊し、門の役目も果たせていない。わずかに遺された入り口のアーチが、かろうじて崩れそうな形を保っているだけだ。
その先に見えるのは、完全に残骸となった、沈黙する滅亡都市だけ。
樹壱は門の傍らに立ち、眼下に置かれた滅びを見つめていた。
雪と、風。
白く上がる息が流され、都市の廃墟へ溶けていく。
「……」
背後を見る。
そこには、幾つかの『怪異』達の死骸があった。
ミノタウロス、牛鬼と呼ばれる怪物だ。他には、骨で出来たスケルトンなど。
廃墟にはお決まりの怪異らで、このスケルトンなどは別段、人間の死体が元になっているわけではない。この怪異は人間の想像した恐怖の象徴として、この
たった今、樹壱が斬り捨てたばかりのものだ。
100年という永い時間の間に、大地一面を埋め尽くすほど大量に発生していた怪異の大群は、全て死滅していた。
だからこれらは『目の前に広がる廃墟から、新しく生まれた』ものだろう。
「……最初からおかしな話ではあった。北方諸邦は荒れた土地と言ってもこの三国は他と違って人口も多く、大国として十分に成立していた。
人間の生活する活気は、怪異が発生する負の概念とは対極的なもの。すなわち怪異の存在圏を狭め、遠ざける。
戦争があっても、その数は高が知れているはずだった」
不自然な災害なのは、分かっていた。
膨大な怪異の急な出現は、彼らを生み出す土地の限界を超えていたからだ。
怪異、いわゆる魔物と呼ばれる超常存在は、本来的に生命体ではない。
死や夜や廃墟など、ネガティブな概念を喰らって生まれる『現象』に近い。
創世の女神アルバフの破壊を代行しようと生まれた自然現象で、この世界のシステム的な一部と言ってもいい。
怪異の出現には、必要な場所と個々のスペースと言えるものがあり、地面を埋めるほどの大量出現は常識として、あり得ないことだった。
魔物の
一国の整った軍事力であれば十分に対応できる代物だった。
自然に三国を滅ぼし去るほどの怪異は発生しない。『魔王』と呼称される知的な特殊個体が現れ、時間をかけて怪異の群れを組織したならまだしもだ。
そして今回『魔王』の出現は、確認されていない。
従って、悪夢は、人為的に引き起こされた可能性が高かった。
誰かがやったとしか考えられない……。
樹壱は懐に仕舞ったままの『想念の黒水晶』に、服の上から触れた。
人間の想念を垣間見るこのアーティファクトは、樹壱の能力と組み合わせれば、断片的にではあるが過去の人間の思考を知ることも可能だ。
その『誰か』について、樹壱はすでに見当をつけていた。
距離が離れた遠見では、正確に何が起きたのかは、まだ分からないところも多いが……
「まあ今から見れば分かる。隠し事は決してできない。100年の昔も、俺には関係ない」
樹壱の持つ、三つの能力の一つ。
『過去再生』。この驚異的な能力は、どんなものでも見つけ出す。
時間軸上に一度でも存在した出来事なら、全て知ることができる。ごく稀な例外を除き、追えないものは無い。
時間が連続している以上幻影を辿っていけば、必ず真実に着くからだ。
樹壱は、ぱん、と両手を撃ち鳴らして合わせた。
集中する。
樹壱の能力が、全開で発動する──
青い光が、見渡すほどに広大な街の廃墟の全域へ、際限なく延びて包み込んでいった。
人が。建物が、家畜に至るまで。
往時の都の姿、そのあらゆる全てが蒼白い幻影となって、蘇る。
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