第六話 『海辺にて』




樹壱には、強力な追跡能力が与えられている。


このに追えないものは、ほぼ存在しない。


『過去再生』。


その能力は、例えば──






樹壱は、森の入り口にいた。


森とは言っても人里に近くにあり、人の手の入った場所だった。


入会地と呼ばれる場所で、生活用の薪や食用肉の供給源になる森だ。怪異はほとんど出ず比較的安全で、周辺の村人達も頻繁に立ち入る。


そして樹壱の目の前には、蒼い幻影がいた。


『獣人』の子供。


獣耳を生やした少年は不安げに、木々を見上げていた。


この姿はもちろん、本人が今ここにいるわけではない。樹壱の『過去再生』で、実際にあった出来事を幻として再現させたものである。


子供が、少し前にここにいた、という事だ。




『──つまり、漁師の一人息子が、姿を消したんだよ。そういうことだ』


ふらりと訪れたある漁村で、立ちよった酒場の店主から聞きだした話だった。


その時、注文したばかりの新鮮な海鮮料理を口に運びながら、噂話に樹壱は耳を動かしていた。


料理人兼任の店主は、ため息混じりにキッチンを片付けながら、昨晩遅くに訪れた旅人に語っていた。


『平和な村さ。100年前の魔物の例のアレ、それ以来このへんは俺ら、獣人だけでやってきた。俺たちだけでだ。

滅んだ北にはらはほとんど来ない。この村には、高級魚介目当ての廻船商人か、稀に遺跡のゴミ漁りに来た暇人どもくらいだ。そんな辺鄙な村なんだ』


『……』


『あそこの家のガキは、よーく知ってる。いつもいたずらばかりで遊び回って、俺の店にもぐり込んでは、腹減ったからなんか作れと。お願いだからと。

金も持たずに図々しくせびる、可愛いガキどもの一人だ。何かあったらと思うと、暗い気持ちにしかならねえな……』


その頭から垂れる》を伏せながら、大柄な彼は言う。


汚れた大皿をまとめると、樹壱を覗き込んだ。


『なあ、あんた。何か知らないか?』


多分に疑惑を含んだ言葉だった。


が、樹壱に怒りはない。


急に訪れた部外者を疑うのは、現地の者として、至極当然の心理だったからだ。


『ふむ。俺が子供を拐う者に見えたか。犯人がわざわざ酒場に訪れ、姿を見せて飯を頼みに? 豪胆な奴だ』


『……どうかな。いや、すまねえ。獣人の分際で失礼した』


『気にするな。俺があんたの立場でも疑うさ』


頭を下げた男に、樹壱は首を振った。


ある獣人の家庭の一人息子が、昨日、行方不明になったという。


道に迷ったか、悪い可能性は、事故か拐われたか魔物に襲われたか。


家に帰ってこない息子に両親は動転し、近隣に助けを求めた。村人の捜索隊が、昨夜から付近を物々しく探し回っている、という。


獣人は横の連帯が強い種族だ。同胞の危機には親身になり、時には命さえ賭ける高潔さを持っている。


樹壱は、普段よりもずっと早く料理を胃袋に収め、料金をテーブルに置いて、口を動かしながら席を立った。


『で。その少年の自宅はどこに?』


『え? そこの通りを左に真っ直ぐ行ったところだが……。それがなにか』


樹壱は出口へ向かう。


そして、チェーンのついた黒水晶を取り出して、ぶら下げて少し眺めた。


『想念の水晶』。チェーンを真っすぐにすることで回路が繋がり、魔石から魔力が、水晶へ供給される。


今回の使用では、時間指定をする必要がなく現在でいい。


『遠見』は相手の正確な位置が分かるわけではない。が、現在何か見えたり聞こえたりするということは。


彼に振り返って、言った。


『人間は様なんてつけるほど、上等なものじゃない。あまり卑下されるとこちらも落ち着かないぞ。

それにあんたらはずっと善くやってる、並みの人間なんかより。少なくとも料理は絶品だった』


『……そりゃ、どうも』


『時には旅人に旨い料理を振る舞い、愚痴をこぼしただけの者が、物事の解決になる場合もあるだろう……。結果は確実には保証しないが、まあ問題ないな』


『……』


『捜索に出た男衆のために、これから大量の弁当を作るんだろう?

酒と、つまみに変えておけ。一安心したら、今日はもう漁には出ないだろうしな』


樹壱は店主を見ていた。店主は少し呆然と言った。


『あんた結局、誰なんだ? 何のためにこんな村に』


『ここに来たのは通り道で、ただの偶然だ。不運と同じくらい、きっと幸運も落ちてくるものさ』


樹壱は店を出て、歩き出した。


しばらく道を進む。


行方不明の子供の家が見えてきた。


少年の母らしき女性が門の前に立ってさめざめと泣いており、近所の母親たちが集まって、慰めているのが見えた。父親達は、少年を探しに出ているのだろう。


会話は必要なかった。


不安な気分の者に、余所者が突然話しかけて、無意味に恐怖を煽る必要もない。


家の前を通ると同時に、昨日のその子の幻影を『過去再生』する。


時間は昨日全体から素早く検索。


無数の幻影が高速で樹壱の視界の中だけにちらつき、その姿を見つけ出す。


歩き去る数秒の間に、少年が家を出た瞬間を特定する。


これだけで、捜索に必要な情報は手に入っていた。


物々しい空気に更なる混乱をもたらさないよう、旅人としてさりげなく通りすがり、幻影を樹壱だけに見える設定にしたまま、後は少年が向かう先を歩いて追いかけた。


過去再生の幻影は早送りも、早戻しも思いのままに指定できる。今は、樹壱の歩く速度と同等にして再生される。


少年は、スローで走る。樹壱は歩いて追いかける。


──幻影の少年はやがて、村近くの森へ来た。


そして少年は、意を決したように奥の道へと進んで行った。樹壱は彼に続いた。


十分ほど歩いただろうか。


少年の幻影は、一際高い古木を前に立ち止まった。80メダト(約100m)ほどの大木にしがみつき、するすると登っていく。


「ふむ」


少年の顔つきは猫型であり、獣人は元の種族の特性を残している者が多い。


つまり、彼は木登りが得意な子供なのだろう。


登りは。


樹壱は少し体を傾け、繁った葉で隠れた頂上を注意深く見上げた。


緑の奥の方に、白い毛が小さく見えた。


樹壱は手を払うと、登攀をはじめた。音もなく、少年以上にするすると器用へ上へ向かって行った。


上では、服を来た白い毛玉が小さく丸まっていた。手の届く所まで来ると、樹壱はその襟を後ろから、がしっと掴んだ。


「ふえっ!?」


眠っていた少年が飛び起きた。まんまるな目がこちらに振り向いた。


目の下には一晩泣き腫らした跡があった。


「怖くて降りれなくなったのか。イタズラ坊主め」


「だ、だれっ!」


「誰だろうな。俺が人攫いだったら、お前は一巻の終わりだったぞ?」


怯える少年を捕まえつつ、樹壱は周囲を眺めた。


大きな鳥の巣があり、産卵された卵が中にいくつか転がっていた。


「パティ・バードの巣か。高所のみに巣を作る鳥の、稀少な卵だ。状況を見るにおそらく、子供内で度胸試しでもしたんだな。俺なら取ってこれる、なんて友達に見栄でも張ったか?」


「うっ」


図星を突かれたように少年はきゅっと口を結んだ。


その手の中に、卵が一つあった。見ての通りだった。


「取れたはいいが、戻ってこれなきゃ意味がないだろう。このまま木の上で暮らすのか? 朝飯も出ないぞ」


「で、でも俺、取れたもん。できたもん。根性なしなんかじゃない」


「お前の両親が探しているぞ。心配かけたせいで今頃カンカンだろうな」


「!」


バツが悪そうに少年は、樹壱を見つめる。


「お、おれ、怒られる? やっぱり」


「大勢の人に迷惑をかけた。村中でお前一人を探してる。ちゃんと反省して、みんなに謝れるか?」


「でも。だってぇ。あいつらがぁ……」


「できないなら、俺はこのまま帰る。お前一人で木から降りろ」


「うえ、ご、ごめんなさいっ! ちゃんと謝るから置いてかないで! こんなとこ、もうやだぁっ!」


「やれやれ」


樹壱はぽんぽんと少年の頭を叩き、彼の体を腕に抱えあげた。


太い枝の上に立ち、そしてそのまま虚空へ向かって、一歩踏み出した。


「えっ!? わあっ!!」


真っ逆さまに落ちると思った少年が、悲鳴を上げて目をつぶった。


だが次の瞬間には、樹壱達は巨木の足元に立っていた。


インベントリワープだった。狐につままれたように目を丸くした少年を、樹壱は腕から地面に下ろした。


「落ちるかと思って怖かったか?」


彼はこくこくと、声も出せず頷いた。


「お前の両親はきっと、もっと怖かっただろう。お前がどこかから落ちて死んだりしていないかと一晩中な」


「……ごめんなさい……」


「謝る相手は俺じゃない。さあ、家に帰るぞ」


話を聞いて30分もかからず尋ね人を見つけた樹壱は、少年の手を握り、森の入り口へ向かった。


隣を歩く少年の腹がぐう、と大きく鳴る。


樹壱は懐から携帯食の乾パンを取り出し、渡してやった。


「何も食べてないんだろう。森を出るまでこれでも齧っておけ」


「あ、ありがとう! もぐもぐ」


少年は不思議そうに、樹壱を見上げて言った。


「おじさん、誰なの? 知らない人間さま。見たことない」


「様なんかじゃない。探し物が得意な、ただの旅人だ。昨日ここに来たんだが、実は悪い人間族かも知れない。お前を油断させて、このまま拐ってしまうかも」


「ええっ、やだ! やだよ!」


「冗談だ。しかし本当に悪人だった可能性もあることを、よく覚えておけ。もう少し大きくなるまでは、大人のいない場所で遊び過ぎないようにな。ほら、出口だ」


葉の繁る緑色のトンネルを抜けると、海岸に佇む獣人たちの村が見えた。


やがて少年の姿を認めた村人達が、こちらへ駆けてきていた。



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