第16話 天変地異の前触れ?
「じゃあ、お兄ちゃん頑張ってね」
「ああ、琴音もな」
一緒に登校してきた琴音に別れを告げて、教室へと入る。
朝のホームルームまで余裕のある時間だから、まだ生徒は少ない。
しかし、目当ての顔は揃っている。少し前に登校したばかりのようで、鞄を開いて荷物を整理している絵美に狙いを定める。
「おはよう、絵美」
「え? あっ、敦君、おはようございます」
朝っぱらから声をかけられることに慣れていないのか、驚いた様子だ。
「連絡した通り今日は和真が相手だから。まあ気楽にやろう」
「はい。よろしくお願いします」
「よろしく。とりあえず空き教室を確保しなきゃだな」
「それは、先ほど職員室に行って申請してきました」
「まじで? ありがとう」
十数年前、新校舎の完成に伴い旧校舎が部室棟へと用途変更され、元々部室を持っていなかった小規模な部活を中心に活用されている。
部室になっていない教室は課外活動等で利用されることもあるが、一般の生徒が利用することも可能だ。ただし通常は施錠されており、職員室で利用許可をもらい鍵を借りなければならない。
許可をもらうためには、利用希望日や利用予定者に利用目的等を申請書に記載して、提出する必要がある。この面倒な手続きが嫌われて利用者は極々少数らしいが、常時開放していたときに割と大きなトラブルがあったから仕方なくやっているとのことだ。
空き教室の競争率は低いから急ぐまでもないと思っていたが、絵美が済ませてくれたならそれに越したことはない。
「いえ。先んじて動かないと敦君に仕事が取られてしまいますから」
「そんなことしないよ。職員室なんてできれば行きたくないし」
「では、放課後一緒に鍵を受け取りに行きましょうか?」
「では、じゃないよ。まあ待っててもしょうがないから一緒に行くけどさ」
「ふふっ、お願いします」
「了解」
絵美は朝から気合十分のようだ。モチベーションが維持されているのはいいことだが、やはり要注意だな。
表情が明るいし、血色もよさそうだから大丈夫だとは思うが、わずかに違和感がある。違和感の正体を探るべく注視すれば……、なるほど。
伏し目がちなのは変わらないから気付きにくいが、目が充血しているようだ。昨日泣かせてしまったから、それが尾を引いているのかな。
「ええと、その、そんなに見られると……」
頬を染めてうつむいてしまう。流石に不躾だったな。
「すまない、少し考えこんでしまった。何か伝え忘れてることがないかなと。大丈夫そうだ」
「そうですか。ではその……いつまでも鞄を持ったままじゃ大変でしょうから、また後ほど」
「宿題と弁当箱くらいしか入ってないから全然大変じゃないけど。そう、弁当だ。絵美、今日一緒にランチしよう?」
「え? 大丈夫なんですか?」
絵美は窓際へと視線を送る。その先には黙々と自習をする悠永がいる。
普段の俺は悠永と二人で――俺が勝手に机を向かい合わせにして――昼食をとっているから、気になるのだろう。
流石の俺でも、悠永を含めた三人でのランチが厳しいことくらいわかる。
「大丈夫、悠永には謝っとくから。どっかいい感じの場所見つけて二人で食おう」
「あっ、そういうことなんですね。わかりました」
「うん、じゃあそれでよろしく」
「はい」
絵美との会話を終え自分の席へと向かう。途中で挨拶を交わした級友たちが、揃いも揃って怪訝な顔をしているのは何かあるのだろうか。
考えをまとめる間もなく、目的地に到着する。手早く荷物を片付けたら、第二のターゲット目がけて作戦開始だ。
「おっす、悠永。おは――」
「あんた何したの?」
いつも通り無視されるのを覚悟していたが、食い気味に言葉を発するなんて天変地異の前触れかな。
しかし、わざわざ悠永がそうする理由がわからない。昨日のメッセージの件ならば「何したの?」という文言にはならないだろう。
「何のこと? まだ何もしてないよ」
「……何でわかんないのよ。遠藤のことよ」
「ん? 絵美がどうかしたのか?」
「その呼び方も含めて、昨日一日で何があったのよ?」
「ああ、そういうこと」
悠永が他者の人間関係に興味を示すとは、本当に天変地異の予兆かもしれない。最初にそう思い浮かぶくらい奇異な出来事だ。
積極的に会話してくれるつもりのようだから、多少おふざけを混ぜ込んでも許されよう。
「もしかして、嫉妬か?」
「は?」
「俺が他の女子と仲良くなったから妬いちゃったんだろ? 悠永は可愛いな」
「……」
憎しみを存分に込めてにらんでくれる。起き抜けで飲むコップ一杯の水よりも染みるな。
「で、絵美と仲良くなれた秘訣を知りたいのか?」
「そういうのじゃなくて。あんたが何か変なことしたのか疑ってるのよ。力ずくで脅してないでしょうね?」
「心外だな。疑うなら言葉巧みにだましてる可能性を先にしてくれよ」
「だましたの?」
「さてね。知りたければ絵美本人聞けば?」
「本当にだまされてるなら、遠藤に聞いたところで意味ないでしょう」
「だな」
くつくつと笑ってみせると、悠永は深々とため息をついた。そろそろ限界かな。
「実のところ、昨日の委員会活動で意気投合して仲良くなったんだよ」
「あんたと意気投合?」
「そう。どんなことで意気投合したかは、昨日のメッセージを読んでればわかるはずだ」
「……なるほど、わかった。あんたたちのインタビュー、受けてあげましょう」
今日は地球最後の日なのだろうか。悠永らしからぬ言動が多過ぎる。
絵美が理由の一端を担っていそうだが、こちらの様子を伺う感じからして心当たりはなさそうだ。絵美が知らないだけで、悠永が一方的に特別な感情を向けているのだろうか?
俺以外の人間の絵美に対する態度は、大部分の生徒が関心ある不干渉だとすると、悠永は完全なる無関心のように見えていた。
しかし、二人がクラスメイトになってからまだ二週間ほどだし、その見立てが完璧だと思えるほど十分な根拠はない。
ただ、流石に強い悪意のようなものがあれば見落とすことはないだろうから、そこまで警戒しなくても大丈夫だと思う。
結論としては、悠永がどのような腹積もりなのかは読めないけど、こちらから説得せずとも協力してもらえるなら大歓迎というところかな。
「いいのか? ありがとう、助かるよ。いつなら都合いい?」
「来週の月曜か火曜でどう?」
「……絵美と相談させてくれ。月曜が第一候補でいいか?」
「ええ」
すぐさま絵美と相談しようかと思ったが、教室内の生徒が大分増えた状況では、面白くないことが起こるかもしれないからやめる。
級友たちは俺の見立て以上に、絵美に対して大きな関心を抱いていたのだろう。気付くのが遅くなったが、怪訝な顔の理由はそれだ。
「じゃあ、今日中に決めるから。よろしく」
「わかった」
それから、悠永は自習に戻ることで会話する気が失せたことを示す。
予定していた成果をあげたのだから、迂闊なことをしてご破算になったらたまったものではない。
悠永を尊重して、楽しい時間の終わりを受け入れよう。
それに遠くからこちらの様子を探っていた男子どもが、ぞろぞろと列をなして近寄ってきている。面倒なことになりそうだ。
大きく嘆息しながら、正面へと向き直った。
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