第15話 毎朝のルーティン

 ふと気が付くと、長椅子に腰掛けていた。

 周囲を見渡すと、滅多に顔を合わせない親族たちが落ち着きなく言葉を交わしている。会話の内容は聞き取れないが、表情から読み取れるのは悲しみと諦観だ。

 腕の中の温もりに意識を向ければ、そこには泣き顔の琴音がいた。俺はなだめるように背中を撫でる。

 不意に最寄りの扉が開くと、部屋の中からよく知った顔が出てくる。皆一様に硬い表情だ。

 最後に出てきた大叔母が俺の目の前に立ち、何かを話す。

 それを聞いて俺の体が一瞬こわばると、しがみついている琴音の力が強くなった。

 近くに立っていたお袋に声をかけてから、琴音の腕を優しく解いた。

 大叔母に連れられて部屋の中へと入る。

 真っ白な空間に真っ白なベッド。横たわる人の顔は陰になって見えない。

 重い足取りでベッドに歩み寄り、覗き込むようにその顔を見る。




 当然のように最高気温が三十度を超えてくる時期ではあるが、早朝のこの時間は肌寒さを感じる。寝起きの冷えた体だと多少不快ではあるが、ジョギングで温まり始めた今はこれくらいがちょうどいい。

 大通りも信号も避け、人も車もほとんど通らない道を進む。ペースを乱すものは存在しない。四年弱の経験が裏付ける、ベストなコースだ。

 コンクリートのいつも変わらぬ硬質な感触を確かめながらひた走る。この感触が異なるときは、俺自身の状態が普段と異なるときだ。物言わぬ道路との対話が俺の反省を促してくれる。まあ、道路が自身の劣化を訴えかけてくることもあるけれど。


 思考や感情の処理が滞っているときは、体を動かすのがいい。少し疲れるくらいに運動をしていると、不意に頭の中が冴え渡ることがある。

 そうなれば、また頭脳労働に勤しむ。そしてそれが滞ればまた運動を、というように頭と体を順番に酷使するのが俺のライフスタイルだ。

 朝はジョギング、夜は筋トレ。必要に駆られて始めた日課だが、運動部に入っていない俺にとっては健康を維持することにも繋がり、生活の質を向上させていると思う。健康体を通り越して、いかつい体になっていることには目をつむろう。


 心ゆくまで走ったら、近所の公園でゆったりと整理運動をする。ここでは、農作業へ向かう軽トラや犬の散歩をする近隣住民なんかをちらほら見かける。

 俺も含めてルーティンに従って生活している人が多いのだろう。日を追うごとに、顔を合わせれば会釈をする間柄の人が増えていった。内省に没頭しがちな時間だから、適度に外部からの刺激があるのは助かる。のんびりし過ぎて帰るのが遅くなって、落ち着いてシャワーを浴びられなくなると困るから。

 走って汗を流して、シャワーで汗を流す。しょうもない言葉遊びが俺の朝の始まりには相応しいから、それを逃すわけにはいかない。


 そして、整理運動を終えたら帰途につく。クリアになった頭脳で思索を楽しむ時間だ。昨日読んだ哲学書を振り返ったり、長年悩み続けている問題をこねくり回したり。観想する時間には格別の喜びが伴う。

 しかし、実際的な問題の対処に思いを巡らせなけらばならないこともある。今日はインタビューについて見通しを立てておかねばな。


 昨日はとことん俺に都合よく事が運んだが、今日も思惑通りいくとは限らない。それに、俺の思惑を超える事態を期待しているところもある。

 絵美と和真の絡みがどんな結果を呼び起こすのか。和真の堅実で現実的な、それでいて希望に燃える生き方が絵美のお気に召すといいのだけれど。

 でも、その前に和真が絵美にどのような対応をするかに気を配らなければだな。和真は体のでかさに反比例するかのように小心者だから、場合によっては絵美との会話もままならなくなるかもしれない。

 善良さには信頼がおけるから、絵美を故意に傷つけるようなことはないだろうが、上手くフォローしないとうっかりやらかすことはありえる。


 絵美の方は和真に対して何かやらかすことはないだろうし、任せた仕事は十分以上にこなしてくれると思うが空回りが心配だ。

 感受性が豊かな分、一つ一つの物事に入れ込み過ぎる傾向がありそうだから、無理をしないように適当なところでブレーキを踏むことも必要だろう。

 昨日はあれこれあって気持ちが高ぶっていただろうし、一晩寝かせて少し落ち着いているはずだから、登校して様子を見てから色々考えよう。


 残りの目下の問題は悠永をどうするか。リアクションはないものの、昨日送ったメッセージは読んでいるみたいだから、割と脈がある方だと思う。

 完全に拒否するつもりであれば、期待する余地が一切残らないくらいにばっさり切り捨ててくれるだろうから、既読スルーは前向きにとらえていい要素だ。

 それを理解した上で、悠永と顔を合わせたときどのように話を持っていくかが重要だ。悠永以外に適任者がいないことを強調して、今江が期待していると言ったことも付け加えると効果的かもしれない。

 窮状にある俺に悠永が仕方なく手を貸すというシチュエーションを演出しよう。


 今のところはこれくらいでいいかな。観想的な活動は疲れづらいらしいが、現実の問題について考えるのは非常に疲れる。

 熱いシャワーを浴びたい気持ちが強まったから、残りの道を小走りで帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る