第14話 明日に向けて

「こんなもんかな」


 ドライヤーのスイッチを切り、ミディアムヘアの形のいい頭を優しく撫でる。


「ありがとう、お兄ちゃん」


 鏡台の前に腰掛けた琴音が、満足げに微笑む。

 俺は「お疲れ」と言ってコンセントを抜き、ドライヤーを片づけた。

 先にベッドへ移動した琴音の隣に腰かけると、珍しくわずかに疲労を覚えた。今日は放課後にはしゃぎ過ぎたから、その疲れだろう。


 風呂上がりの琴音の髪を乾かすのは、いつから始めたのか覚えていないほどに長く続けてきた兄妹のスキンシップだ。特別な事情がない限り、ほぼ毎日行っている。


「それでどうだったの?」

「特に何もなかったけど、充実した帰り道だったよ」

「よかった」

「おかげさまで」


 絵美を送る道中で特筆すべきことはない。大きく盛り上がりもしなければ、沈黙で気まずい思いもしなかった。

 新しい友人と他愛ない会話をして帰っただけだが、だからこそ充実した時間だった。


「本当に、琴音のサポートのおかげだよ。でも、どうしてそこまでしてくれたんだ?」


 俺と絵美を二人だけで帰らせようとするのは意外だった。琴音も同行するならわかるが。


「お兄ちゃんのおかげで絵美ちゃんの笑顔を見れたから。お兄ちゃんと一緒にいたら、もっと沢山笑ってくれるようになるかなって」

「そういうことね」


 琴音が言っていた「ずるい」の意味が今になって理解できた。

 俺と絵美が琴音に内緒で盛り上がっていたことに対してではなく、俺が琴音も見たことない絵美の笑顔を独占していたことに対して「ずるい」と言っていたのだ。

 体育の時間だけであっても一年間も付き合えば、絵美が楽しそうに笑う姿を見られないことに違和感を覚えてもおかしくない。そして、琴音のことだからそのことに心を痛めていたのだろう。

 俺たちの活動に協力的だったのは、それも理由なのだろう。


「そういえば、絵美ちゃんを連れてくるんだったら朝のうちに教えてくれればよかったのに」

「朝の時点じゃ絵美が同行してくれるかわからなかったから」


 今朝の通学時に、委員会が終わってから図書室に訪れることを伝えていた。計画通りに進めば仕事のために、失敗したら琴音と一緒に帰るために。


「そっか。今日だけで仲良しになったんだね」

「だな。絵美がいいやつだから」

「そうだね。絵美ちゃんくらいだよ、私がお兄ちゃんの話をしても遮ることなく全部聞いてくれたの」

「よかったな」

「うん」


 ある意味誰に対しても分け隔てなく接する妹に感心する。自分を貫くことに関して並ぶものなしだな。

 でも、そのせいで今まで絵美の笑顔を見られなかったのではないか。

 琴音の無双ぶりにさらされ続けた絵美に同情の念を抱いていると、不意にスマホのコール音が鳴った。

 琴音が「ちょっと待って」と呟きながら立ち上がり、机の上のスマホを取った。


「はい、琴音です。……こんばんは。…………いるよ。……うん、ちょっと待ってね」


 琴音が「和真君」と言い、スマホを差し出す。

 琴音との会話の短さからして、俺の用に対する返答だろう。何故わざわざ琴音にかけてきたのか、疑問に思いつつスマホを受け取った。


「はいはい、どうも敦です。どうした?」

『どうしたもこうしたも、お前がなるべく早く返事しろって言うからそうしてやったのに、全然反応がないから』

「なるほど。すまんな、琴音といちゃついてたわ」

『だろうと思ったよ』


 和真がわざとらしく大きなため息をつくと、それが聞こえたのか隣に座りなおした琴音がくすりと笑う。


「あっ、そうそう明日の放課後のことでメッセージに書き忘れたんだけど、場所は使う教室が決まったら改めて送るから」

『いやいや、何で俺が了承すること前提で話そうとしてるんだよ。部活が休みなら予定があるかもしれないだろ!』

「予定ないだろ。君の彼女は明日塾の日のはず」

『なんでお前が知ってるんだよ』

「この間、聞いてないのに、だれかさんが、勤勉な彼女の塾のスケジュールを、教えてくれたから」

『ぐっ』


 微塵も興味がないことを全身でアピールしている俺に、進級して彼女の塾の回数が増えたことを熱く語ってきた。

 そのときは迷惑だと思っていたが、役に立つこともあるものだ。


「なら一応聞いてやるけど、予定あるの?」

『……別にない』

「じゃあ協力してよ。いいだろ、ちょっとくらい恩返ししてくれても」

『そう言われると……』


 琴音がくすくす笑う。俺たちで和真を世話したときのことを思い出しているのだろう。


『わかったよ。やればいいんだろ』

「さんきゅ」

『うん。で結局何するん?』

「メッセージの通り、部活のことを中心に色々と話を聞かせてくれ。まあ肩ひじ張らずにちょっとだべるくらいのつもりで来てくれればいいよ」

『そんなんで面白い話になるか?』

「なるさ。我が校の快進撃の原動力となった偉大なる四番打者の金言を皆期待してるよ」


 たっぷりの皮肉を込めて言い放つ。琴音は失笑の音を懸命に抑えていた。


『お前……、はあ、まあいいや。じゃあ明日』

「ああ、また明日、よろしく頼む」

『おう』


 通話を終え、琴音にスマホを返却する。


「ありがと」

「どういたしまして。あんなこと言っちゃっていいの?」

「大丈夫だろ。怒ったところで、和真だし」

「まあ、そうだね」


 琴音も和真とは長い付き合いのせいか、割と扱いがぞんざいだ。和真の彼女関連で俺以上に苦労をしているから、それが一番の要因かもしれないが。


「さて、聞こえてたと思うけど明日は和真にインタビューすることになったから。琴音の番は早ければ金曜になると思う」

「オッケー。お安い御用だよ」


 琴音は豊かな胸部の中心をこぶしで叩いた。

 明日が和真、明後日はそのフィードバック兼作戦会議になるだろう。

 後はまだ返事がない悠永次第だ。多分明日直接交渉をすることになるから、いい感じの口説き文句を考えなければならないな。


「頼んだ。ちょっと早いけど絵美に報告しなきゃだから、今日はお暇するね」

「わかった。……じゃあお兄ちゃん、お休み」

「お休み」


 名残惜しそうな琴音の視線を受けながら、自室に戻った。


 充電中だったスマホは和真から何度も連絡があったことを通知している。和真には急ぐ事情はないはずなのに、生真面目なやつだ。

 旧友を微笑ましく思いながら、話がまとまったと伝えるために絵美へのメッセージを作成する。


「……締めは『ではでは明日よろしくな』ってとこかな」


 ざっと全体を見返してから送信すると、そこそこの文章量なのに間髪入れず『わかりました』と返ってきた。メッセージが届くのを待ち構えていたかのような早さだ。

 いや、本当に待ち構えていたのかもしれない。……俺の周りは生真面目な人間ばかりだな。

 何はともあれ今日中に済ませておきたいことは全て終えた。後は明日に備えて英気を養おう。

 そう決心して、書棚から本を抜き取り読書に耽った。

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