第13話 絵美の笑顔

「ええと……」


 俺たちの視線にさらされて、気まずそうな様子だ。


「絵美ちゃん、どうしたの?」

「それは、その……」

「琴音が俺を責めるんじゃないかと心配したんだよな?」

「ん? どうして?」

「こんな感じだから。大丈夫だよ」


 絵美を落ち着かせるように笑いかける。

 いいことではないか。琴音が自分ために怒ってくれると思うことも、俺を守るために立ち上がることも、さっきまでの琴音ではきっとできなかったことだろう。

 不足している俺たち兄妹への理解は、これから深めてもらうことにしよう。


「そう、みたいですね。早とちりしてすみません」

「いいんだよ。そもそも俺が泣くほど面白い話をしたせいらしいから」

「あ! ほら、今自分で言ったよ」

「らしいって言っただけ。琴音の主張を認めたわけじゃないよ」

「またそうやって誤魔化すんだから」


 押し問答が終わらない。

 廊下まで俺の笑い声が響いていたという事実と、俺が琴音を悪意で泣かせるわけがないという信頼の組み合わせで勘違いが生まれているのが面倒なところだ。個別では間違っていなくても、組み合わせたせいで明後日の方に向かっている。

 訂正するために詳しい事情を理解してもらうのも手間だし、まあこのまま兄妹がじゃれつく姿を絵美に楽しんでもらおう。


 そう思って絵美へと顔を向けると、俯いたままぷるぷると震えていた。何事だろうか?

 急に黙り込んだ俺を不審に思ったのか、琴音も俺の視線を追って絵美へと目を向けた。


「ふっ、ふふっ、ふふふふふふ」


 絵美が笑っている。その一言で済む出来事なのに、目が離せなかった。楽しげに笑っている絵美に、その本質を垣間見ることができたから。

 素晴らしい笑顔だ。


 ひとしきり笑った絵美は、少し笑いの名残をとどめた調子で話し始めた。


「急に笑って、すみませんでした。でも、二人のやり取りがおかしくて。ふふっ」

「楽しんでもらえたならよかったよ。なあ、琴音?」

「ん? そうだね」


 さっきまでの勢いはどこへやら、琴音はすっかり落ち着いている。絵美の笑顔に毒気を抜かれたのか、あるいは問答を続ける理由がなくなったのか。


「私は一人っ子なので、二人みたいに言い合いできる兄妹って羨ましいです」

「言い合いするだけなら兄妹じゃなくてもできるよ」

「いや、兄妹でも言い合いする必要はないぞ」

「そうやって、息の合ったやり取りもしてみたいです」

「それも含めて気の合う友達と、俺たちとすればいいだろ?」

「そうだよ」

「それは……はい。そうですね。そうします」


 絵美は自分の言葉の意味をかみ締めるように答えた。

 今度こそ、めでたしめでたしだな。


「さて、俺たちは無事今日なすべきことを終えたわけだ。そろそろいい時間だし、帰ろうか」


 壁掛け時計を見れば、下校時刻まで残り三十分もない。早めに委員会が終わったのに、よくこんなにも長々と話をしていたものだ。


「そうですね。琴音さんも間もなく終わりですよね?」

「そうだけど、二人とも先に帰ってて」


 琴音は言いながらアイコンタクトしてくる。絵美と二人で帰れという合図だな。

 琴音一人で帰らせるのは申し訳ないが、せっかく気を利かせてくれているから、乗っからせてもらおう。


「わかった。じゃあ絵美、一緒に帰ろうか」

「え? 一緒に帰るんですか?」

「ああ。同じタイミングで下校するのに、別行動する理由はないだろ?」

「でも敦君、帰る方向違いますよね?」


 知っていたか。絵美も帰宅部だから、俺が帰るのを見かけたことがあるのかもしれない。

 俺の家は学校から東側に徒歩で三十分程度、琴音の足でも四十分はかからない。

 絵美の自宅は駅近くの遠藤クリニックの隣にある二階建て住宅だろうから、学校のすぐ南側を東西に走る国道を渡り、南方向少し東よりに十分くらいだと思う。

 そして駅から我が家までが三十分前後だから、学校と絵美の家を結んだ線を底辺とした二等辺三角形を描くと、我が家が大体頂点に位置することになろう。


「少し遠回りになっても、友達と一緒に帰りたいってのが人情だろ?」

「でも、琴音さんが夜道の一人歩きになってしまいます。私は駅方向で人通りも多めだから、大丈夫です」


 正論だ。俺の口からは何も言えないから、援護射撃を求めて琴音に念を送る。


「国道沿いを歩いて帰るから、私は大丈夫だよ」


 琴音の言う通り国道沿いを歩けば、最短ルートと比べて数分のロスは発生するが、ほぼ全行程で明るい道を歩いていられる。

 交通事故に巻き込まれるようなことがあれば別だが、基本的に安心安全な帰り道だ。


「それにお兄ちゃんと絵美ちゃんで一緒に帰って欲しいんだ。もし絵美ちゃんがお兄ちゃんのこと嫌だったらしょうがないけど」


 これ以上ない殺し文句に、心の中で拍手を送る。


「それは……、わかりました。そこまで言ってくれるなら、遠慮なく敦君と一緒に帰ります」


 琴音の後押しで、絵美が納得してくれた。

 そこまでして一緒に帰る必要があるか、と思わなくもない。しかし、鉄は熱いうちに打てと言うし、俺たちがより親しくなるためには最適な選択であることを祈ろう。


「ありがとう。琴音も気を付けて帰るんだぞ」

「うん。お兄ちゃん、また後でね。絵美ちゃんはバイバイ」

「はい、さようなら」


 琴音に見送られながら、二人で図書室を後にした。

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