第12話 ムービー

 ややあって、ようやく絵美の涙が収まった。


「すみませんでした。もう大丈夫です」


 赤い目をした絵美が晴れ晴れとした顔で言った。


「俺の方こそ、長話に付き合わせてすまなかった。でも、俺が絵美の名前が好きだってことを、十分に示せたようで満足したよ」

「はい、それはもう十分過ぎるほど伝わりました。でも、敦君の解釈は間違ってると思います。もし優しい人として『名は体を表す』ことを望むなら『ゆみ』になるでしょうし、『絵にも描けない美しさ』なら『ゆめみ』になると思います」


 この流れで反論してくるとは、手強いな。

 俺の詭弁は絵美に感涙を流させるに至ったが、彼女に自身を肯定させるほどではなかったということだろう。絵美の抱える問題は根深いから仕方ないことだ。


 それにしても、「ゆみ」はそのまま優美だろうけど、「ゆめみ」にはどのような含意があるのだろうか。

 無難に夢美で、読んで字のごとく夢のような美あるいは美しき夢ってところだろうけど、俺の解釈を否定した上でわざわざ「絵にも描けない美しさ」として挙げるからには、相応の含みがあるはずだ。

 夢から連想して夢分析の類はありえるかな。絵画が象徴するもの、いや、その対照となるものか?

 全然わからない。専門を自称する哲学でも知らないことだらけなのに、専門外となると当て推量をする知識さえ持ち合わせていない。


「すまないが、どのような意味で『ゆめみ』が『絵にも描けない美しさ』なのか教えて欲しい。夢のような美、現実的じゃないほどの美しさってことだとは思うが、それだけじゃないんだろ?」

「はい」


 絵美は恥ずかしげに頷く。


「そうですね、敦君の言うような意味も持たせてます。でも、『絵にも描けない美しさ』ですから、美しい所作とかけてます」

「それらがどう関連してるんだ? さっぱり見当がつかない。是非とも絵美の答えをお聞かせください」

「ええと、あまり期待されると居たたまれないのですが……。敦君が言うには『絵にも描けない美しさ』である美しい所作は、静止画にできない美なんですよね。だから、……夢美は夢(む)と美(び)でムービーです」


 脳天をバットで殴られたような衝撃が走る。慮外の一撃が全身を硬直させ、言葉を絞り出す力さえ生み出せない。


「あの……、ダジャレではだめでしたか?」


 絵美の恐る恐る尋ねる声で、正気を取り戻す。


「いや、そうじゃない。夢美でムービーって、ふっ、ふふっ、あはははは」


 一度笑い出したら止まらない。体の奥底から、こんこんと笑いが湧き上がってくる。


「え、ええと……」

「ふふっ、すまない。絵美を笑ってるんじゃなくて、いや、絵美のダジャレがツボに入ったのは確かなんだけど。それ以上に、無駄にシリアスに頭を働かせてた自分がおかしくて」


 俺としたことが、こんなにシンプルなダジャレに気付けないとは、一生の不覚だ。

 無用な深読みに凝り固まった思考が一気に解きほぐされ、何とも清々しい。笑いがおさまっても、口元が緩んだまま戻らない。

 それに絵美が自分からダジャレを言ってくれるとは望外の喜びだ。これほどまでに喜ばしいことはそう簡単に経験できるものではない。


「もう、完全にやられたね。絵美は天才だ」

「……そこまで言われてしまうと、少し恥ずかしいです」

「いや、恥じる必要はないよ。最高だから。もう、絵美のセンス最高過ぎる。夢美でムービーって、ふふっ」


 くすぶっていた笑いが、再燃焼し始める。

 絵美は恥じらい、顔を赤らめているものの、頬が緩んでいる。

 素晴らしいハッピーエンドだと思っていると、がらがらと戸が開く音がした。


「ただいま」


 琴音が任務を終えて帰ってきたようだ。スクラップブックとコピーした新聞を携えて、俺の方に近づいてくる。


「おかえり」

「うん。お兄ちゃん、笑い声が廊下に響いてたよ。そんなに楽しいことがあったの?」

「それはもう。絵美の会心のダジャレが最高でね.。前置きに十分以上かかるけど聞くか?」

「えぇ、うそはだめだよ。ダジャレ一つにそんなに時間かかるわけないよ」

「いやいや、少しもうそは言ってないよ。なあ、絵美?」

「ええと……、ノーコメントでお願いします」


 絵美は困り顔で沈黙を選択する。琴音はそれをいぶかっているが、追及するほどではないようだ。


「ところで、コピーは絵美ちゃんに渡せばいいの?」

「ああ」

「わかった」


 琴音はテーブルを回り込んで、絵美に戦利品を手渡す。


「じゃあ、これ。先生がいい紙使ってくれたから、きれいにコピーできてるよ。……あれ? もしかして、それ泣いた跡……?」

「あっ、いえ、これは」


 絵美は慌てて顔を伏せる。

 隠したいなら、逆に堂々としていた方がいいと思う。琴音はそれを見て確信を得たようだから。


「お兄ちゃん! やっぱりうそだったんだ!」


 琴音が俺に詰め寄ってくる。


「うそは言っていないって」

「絶対うそついてるよ!」

「いえ、敦君は悪くな――」

「絵美ちゃんが泣いちゃうほど面白い話してたんでしょ。ずるいよ!」

「……ふぇ?」


 思いの外近くから、絵美の間の抜けた声が聞こえた。

 琴音もそれに反応して振り返る。

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