第11話 『絵にも描けない美しさ』 後

「さてさて、お待たせいたしました。ここからが本番だ。絵美は『本物』の『絵にも描けない美しさ』だと示そう」


 絵美に言葉はなく、ただ真剣な表情でこくりと頷いた。


「まず道筋から。絵美の美しい所作は『絵にも描けない美しさ』である。絵美の美しい所作は絵美の『アレテー』の発揮であり、つまり絵美らしさの発揮である。絵美らしさとは絵美自身の性質であるのだから、偽物ではなく『本物』の性質である。よって、絵美の『絵にも描けない美しさ』は絵美の『本物』の性質の発揮である。一つ一つ検討していこう。わかりやすそうなところから、その人らしさが偽物ではなく『本物』の性質であるという点。これは同意してもらえる?」

「……その人らしさであるならば『本物』であることはわかります。ただ、わざわざ偽物ではないとまで言っているのは何故ですか?」


 何とも冷静な質問だ。それだけ誠実に俺と対話してくれているのだろう。


「癖みたいなもんだな。その人らしいことから直接に肯定を導くよりも、否定を否定して二重否定にすることで肯定を導く方が心理的負担が軽くてね。何にせよ、らしさイコール『本物』だ」

「ええと……、はい、わかりました」


 絵美を説得できさえすればいいのに、変な予防線を張ったせいで話をややこしくしてしまう。オタク故の悪癖だ。


「次、美しい所作が『アレテー』の発揮であり、らしさの発揮である。『アレテー』の発揮が、らしさの発揮であることはもうすでに了解してもらえてるから、美しい所作が『アレテー』の発揮であるという点の確認だ」

「……美しい所作を身に付けることが『アレテー』を備えることと言えるかどうかということですね」

「ああ。手始めに、所作が美しいものであれば、卓越したものであるという点は大丈夫か?」

「はい」

「じゃあ所作の習得についてだな。第一段階、習慣化。その方法が先達からの指導によるものだろうと卓越者の模倣によるものだろうと、美しい所作を学習し実際に真似して動作を繰り返すことで身に付けていく。これはどうだ?」

「習慣になってると言えます」

「だな。次、第二段階。性向と呼べるようなその人らしさになってるか。絵美自身について客観視して検討するのは難しいだろうから、所作を身に付けてる他者について考えればいいだろう。絵美は君のお袋さんの所作をどう見ている? いつも美しい所作をすると予測でき、その予測を裏切られるようなことがあればらしくないと思うのか。所作を性向と呼びうるか?」


 誘導尋問はお手の物だ。でも、それでいい。今はなりふり構わず目的を果たすべきだから。


「……母の所作はいつも当たり前に美しくて、裏切られる可能性を想像することさえありません」

「ああ」

「だから、所作は性向と呼べて、美しい所作は『アレテー』の発揮だと言えると思います」

「わかった。じゃあ、最後。絵美の美しい所作は『絵にも描けない美しさ』であるかどうか」


 最後にして最も重要な部分だ。これを示すために言葉を尽くしてきた。


「質問。絵美はどうして美しい所作を身に付けてたいと思ったの?」

「……母に憧れたから、です」

「うん。憧れた相手の真似をするのは、一般的な行いだと思う。じゃあ何で所作を選んだの? 憧れの人に近づきたいと思っても、真似できる要素は他にもある。その中で所作を選び出した理由は?」

「それは……、他の人から褒められたかったからです。……やっぱり私はだめです」

「ん? どうしてそうなるんだ?」

「私は人からよく見られたいって邪な気持ちでやってますから」


 邪な気持ちか。とことん自分に厳しいな。この認識は改めなければならない。


「人からよく見られたいということ自体は何も悪くないだろ。それに美しい所作なんて人からよく見られてなんぼのものだろ?」

「それは、そうですけど……」

「絵美の罪悪感は、虚栄心とか過剰な承認欲求とかそれ自体が悪いものと結びつけてしまうから生じてるんだよ。見た目をよくするものだから虚飾をしてるように感じてしまうのもわかる。でも、俺は人からよく見られる手段として美しい所作を選んだのをいいことだと思ってるよ」

「でも――」

「まあ聞いてよ。まず、人からよく見られようとすることは、人から高く評価されようとすることでもあり、それ自体は悪ではない。例えば親孝行のために立身出世する美談なんて、そこら中に転がってるだろ?」

「それは、実際に立派な人物になってますから」

「そうだな。名実ともに立派であれば称賛される。逆に実が伴わないのに、名声だけを求めることは非難されるだろう。つまり、実体よりも高く評価されようとすることが悪であって、高く評価されようとすること自体はそうじゃない」

「……はい」


 腑に落ちない様子だが、否定はできないようだ。


「また、よく見られるための手段は多種多様だ。立身出世のような手段を選ぶ人もいれば、バズることとよく見られることを同一視して人倫にもとる手段を選ぶ人間もいる。そして、よく見られるためにどのような手段を選ぶかは、その人が何を高く評価するかによる。だから、社会的な地位を高く評価する人は立身出世を志すし、注目を集めること自体を高く評価する人はバズれるなら人倫にもとる手段も選択しうる。そうだろ?」

「そう、ですね」

「じゃあ、美しい所作の場合はどうなるか。まず、美しい所作は実体よりも高く評価されるのは難しい。所作を実際の見た目以上に美しいと感じさせるのは困難だから。もちろん、演出や弁舌を駆使して誇張することは不可能ではないだろう。でも逆に言うとそれらを使わなければ、実体よりも高く評価されようとしていないと考えられる。だから、美しい所作でよく見られようとすることは悪ではない」

「……そうかもしれません」

「で、よく見られるために美しい所作を選ぶ人が、何を高く評価するのか。見る人に美しいと感じさせること、これは見る人を快い気持ちにさせることだ。あっ、不快な気持ちにさせないことでも構わないよ」


 絵美の口から出そうな反論を、先に塞いでおく。


「どちらも本質は同じで、優しさから生じるものだと思う。美しい所作を選択することは、見る人を思いやる優しさの発露であり、故にそこに優しさが存在する証拠でもある。だから、美しい所作があるところには他者への優しさがあり、そして美しい所作は他者への優しさの発揮と言える。どうかな?」

「……」


 ここで即座に肯定しないのは、絵美が話を追えている証拠だ。このまま突き進もう。


「それでは『絵にも描けない美しさ』とは何か。瞬間を切り取ることでは表現できない動的な美、これもその一面だ。他にもある。視覚的に表現できないもの、あるいは形がないもの。……人の心みたいにね。つまり、人の心の美しさは『絵にも描けない美しさ』だ。じゃあ、絵美に最後の質問だ。絵美は他者に対する優しさを発揮することが心の美しさだと思うか?」

「……はい」


 絵美は震える声で答えた。


「さて、全てをまとめよう。絵美の所作の美しさは、絵美の優しさの発揮だ。そして、絵美の優しさの発揮は『絵にも描けない美しさ』つまり、心の美しさである。絵美の優しさの発揮は絵美の『アレテー』の発揮であり、つまり絵美らしさの発揮である。そして絵美らしさ、絵美の優しさは絵美の『本物』の性質である。よって、絵美の『絵にも描けない美しさ』、心の美しさは絵美の『本物』の性質の発揮である。……これをもって絵美が『本物』の『絵にも描けない美しさ』だと示せた、と思う」


 俺はできる限り優しく微笑みかけた。

 たった一言を信じさせるために、何とも遠回りをしたものだ。説得力以前の問題で、話を聞く気を持ち続けてもらえるかも怪しい、長大な話だ。

 このような方法しか選べない自分が情けない。それでも、選ぶ方法があったことを喜ぼう。こんなにも美しい光景が見られたのだから。

 涙を流す絵美が目の前にいる。この所作は、俺を最後まで信じ、言葉に共感してくれた絵美の優しさの証明だ。


「絵美は優しいね」


 絵美に届くように呟いた。

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