第5話 『いい方法』 前

「キーになるのは『いい』の部分かな。まず、『いい』ものにはそれを『いい』もの足らしめる理由や原因が必要だ。別の言い方をすると、何の理由も原因もなしに『いい』ということはない。それを即座に説明できるかどうかは別としてね。これには同意できるか?」

「……はい」


 戸惑いながらも返事はしてくれるみたいだ。

 安心して話を続ける。


「次、何かを『いい』ものにする理由や原因とは、特定の目的を果たすあるいは特定の欲求を満たす理由や原因である。言い換えると、何かが『いい』ものであるのは相応の理由や原因に基づいて、特定の目的を果たすあるいは特定の欲求を満たすから。これは?」

「……何か例を挙げてもらえますか」

「オッケー」


 俺は鞄を探ってシャーペンを一本取り出す。


「質問。このシャーペンは百均で買ったんだけど、絵美が使ってるのはもっと高いやつだよね?」

「百円よりは高かったと思います」

「了解。じゃあ俺が店でペンを買うとき、絵美の使っているペンとこれが並んでいたら、これを『いい』ペンとして選ぶ。なぜなら俺は安いペンが欲しいと思ってて、これの方が安いから。手にフィットしないし書き心地もよくないけど、俺はペンにそれを求めていない。このペンが『いい』ペンである理由は安いペンが欲しいという欲求を満たす理由があるから、つまり安いペンだから。このペンが『いい』ペンであるのは安いペンであるという理由に基づいて、安いペンが欲しいという欲求を満たすから」

「それなら……無料でもらえるとしたら、どちらも同じくらい『いい』ペンということですね? 安いペンであることが『いい』ペンである理由ですから」

「その通り。いや、ただより高い物はないから、プレゼントを受け取らないで自分で買った方が安く済むかもだけど」

「なるほど。どちらにしても同じくらい安いペンなら同じくらい『いい』ペンなんですね。わかりました」


 冗談が聞き流されて残念だ。


「もちろん、俺が安いものを欲していたから安いペンだという理由でこのペンは俺にとって『いい』ペンなだけで、絵美が書き心地がよいものを欲していたなら書き心地がよいペンという理由でそのペンは絵美にとって『いい』ペンだ」

「はい、わかります」

「ということで、人によって目的等は異なるから全ての人にとって『いい』ものは存在し難い」

「……存在しないわけではないんですね」


 絵美が気になったところを指摘してくれるのは嬉しいことだ。


「あいまいな言い方をした俺が悪いな。全人類ならまあ存在しないと言っても過言じゃないだろうけど、俺と絵美のチームは全員同じ目的を持って同じものを『いい』と思ってるだろ? こんな感じでどのような範囲の全てかによっては存在しないわけではないからだ。ただ、範囲が広ければ広いほど難しくなるな」

「そうですね。はい、わかりました」


 力強い返答が喜ばしい。


「あと、全人類共通の価値あるものが存在しないと断定することは無理だから。ということでご納得いただけるかな?」

「大丈夫です」

「『いい』についてはこれで十分かな。最後、『方法』について確認しよう。『方法』は目的を果たすための手段だ。他に何か付け加える必要はある?」

「特にありません」

「じゃあ、絵美が同意してくれたところで、実践編と行こうか。まず俺が実際採った『方法』について検討しよう。俺は五月担当になることを目的として、絵美が言うところの強引な『方法』を採った。この『方法』に対して俺が欲していたのは、まさに『方法』として本来の機能を発揮すること、目的を果たすための手段であることだ。つまり俺が採った『方法』が『いい方法』であるかどうかは、五月担当になるという目的を果たすための手段として機能しているかどうか次第である。ここまではよろしいか?」

「……理解が追いついてなくて申し訳ないのですが、『方法』に本来の機能を発揮すること以外を欲する場合って、どのようなものがありますか?」

「ペンを選ぶ場合を例に話そう。ペンはどのようなものか? 字を書くための道具だ。本来の機能を発揮すると字が書けるわけだ。でも俺たちはペンを選ぶとき字が書けること以外も欲してるだろ?」

「……書き心地のよさや値段の安さですね」

「そう。だから実際は本来の機能を果たすのを前提として、それ以外も欲してるってことだね。字が書けるペンの中で書き心地がよいとか、字が書けるペンの中で値段が安いとか。一次的な目的と二次的な目的と言ってもいいかもしれない。字が書けることを一次的な目的として、二次的に書き心地がよいことや値段が安いことを欲する。『方法』で言えば、例えば目的を果たせることを一次的な目的として、二次的に手間がかからないことを欲するって感じ」

「わかりました。ありがとうございます」

「で、俺の『方法』は実際に俺の目的を果たしてくれたわけだから『いい方法』と言える。けれど、これが唯一無二の『いい方法』とは限らない。同じくらい安いペンが同じくらい『いい』ペンであるように、同じくらい目的を果たすなら同じくらい『いい方法』だから」

「……はい」

「じゃあ、俺のターンはおしまい。ということで、会議のときに俺が選べた『いい方法』について、絵美の考えを整理できたら聞かせてくれ。俺に遠慮する必要ないよ。君が俺の行いの正否を問おうとしているわけじゃないってわかってるから、大丈夫。今は『いい方法』について検討することで絵美のわだかまりを解消する時間だ」


 絵美を安心させるように笑いかけた。

 この対話がどのような結論に至るにしても、絵美が別の『いい方法』を提案することは、俺の行為を否定する形になる。絵美はそのことに気付いたから、心のモヤモヤを抱え込もうとしたのだろう。


 しかし、そんなことは許さない。

 これから過ごしていく中で、俺のある種偏った思想は絵美の感覚とかみ合わないことがあるだろう。そのたびに不満を抱えられては困る。

 ほんのわずかでも気になることがあれば、口に出して対話を重ね理解し合えるようにする。それが俺たちの間で当たり前にならなくてはならない。この時間はその第一歩だ。


 そして何より、対話に使えるネタを放置するなんてもったいないことはできない。真剣な言葉でなされた対話は、その先が行き詰まりだろうと大きな価値がある。

 絵美の奥ゆかしさに対話を阻害させるわけにはいかない。


 絵美は「ありがとうございます」と言ってから、思考に潜り込んだ

 幸いにも集会が早く終わったおかげで、まだ時間には余裕がある。絵美の顔を眺めながら、のんびり待とう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る