イヤホンと図書室
三日月深和
イヤホンと図書室
気になってる、男の子がいる。
その子は岬くん、
彼は教室の一番後ろの窓際に座っていて、いつも隠れるように片耳でイヤホンをつけながら窓の外を見ている。
特に不良みたいな感じもしない、おとなしくてひとりぼっちで成績優秀な男の子。
先生に指名されれば答えられるし、話も聞いてるみたいなんだけど、誰とも関わろうとはしない。必ずイヤホンをつけて窓の外を見てる。
だから気になる。
彼は何を考えてひとりぼっちで、窓の外に何が見えているのか。
正直言って岬くんはイケメンなので、クラスでは女子が偶に「ミステリアス」だと小声で騒いでいる。でも多分彼はそのことにも興味はないんだろう。
彼はいつも放課後は図書室にいるのを私は知っている。きっと今日も来るんだろう、私や他の図書委員の視線も気にせず、ただ音楽を聴くためだけに。
***
「…ただいま」
なんてくらい玄関に言っても答えが返ってくるわけもない。ただお母さんがいないことに安心するだけだ。
最近、お母さんと仲が悪い。
顔を合わせては細かいことで喧嘩して、しまいには相手がヒステリーになって暴れるだけ。そんな家に居たいとは思わない。
玄関に置かれたホワイトボードにはお母さんの伝言が書いてある。
今日も帰れない、ご飯は冷蔵庫、明日のお昼ご飯代…大体書いてあるのなんてそんなところ。
今日も一応確認するけど、晩御飯の献立が違うくらいで他は同じ。一応変化があってすれ違ったら嫌だから見るけど、変化するのは稀だ。
「…お金があったら、違うのかな」
適当に鞄を置いたリビングに雑に座って呟く。
お金があったら、塾にでも通って、それで一秒でも家に帰る時間が遅くなったら。お母さんと帰る時間が似たような感じになって、寝るだけで済んだら楽になるのかな。
「…そんなわけないか」
ため息と共に出た言葉は虚しい部屋に消えた。
とりあえずご飯でも食べよう。そして宿題やって、お風呂入って…。
「…」
岬くんは、どんな家に住んでるんだろう。あったかくて、優しい家に住んでるのかな。
こんな家じゃないんだったら、それは、
「…羨ましいな」
またつぶやきは虚しく消えていった。
********
岬くんは今日も図書室にいる。
私はそれを図書貸し出しカウンターから眺めてるだけ。
そういえば、あのイヤホンも最初はよく怒られてたな。没収もされてたけど、気がついたらまた持ってきて何も言わずに何かを聴いてる。
かといってやっぱり授業を聴いてないわけじゃなくて、テストはいつも成績がいい。
かっこいいって、ひそひそ話してる女子はみんな言うけど、どっちかっていうと私には空っぽにしたいように感じる。
自分の中の何かを空っぽにしてしまいたいような、そんな気がした。
私も別にいつも岬くんのこと考えてるわけじゃないし、普通に友達と話したり勉強に集中したり、好きな本を読んで一日を過ごすことだって普通にあるけど、ふとした拍子に気になるんだ。
岬くんは、何を空っぽにしたいんだろう、って。
何がそんなに嫌なんだろう、私の思い過ごしなのかな。それとも何か、踏み込んで欲しくない、とか?
「…っ」
あぁ、だめだ。またぐるぐる考えて、答えが出ないばっかりで何にもならない。
こんな時は、いつだって決まってる。
動くしかないんだから、諦めよう。
「ねぇ、岬くん」
「…えっと、愛宕、さん?」
「うん、そう。同じクラスの
こっちがかけた声に、岬くんは反応した。
「図書室は音楽聴くところじゃないんだけど」
「あぁ、うん。知ってる」
「なら本の一冊でも読まない?」
「それはやめておくよ。迷惑なら帰るし」
ガタッと椅子の動く音がして、岬くんが立ちあがろうとしたので、慌てて止める。
「そうじゃなくて」
私は一冊、脇に抱えていた好きなハードカバーを、彼には読みやすいライトノベルなんかを薦めるために机に置いた。
「音楽聴くのがダメなんじゃなくて、一緒にどうかって、言ってるの」
「…」
岬くんはきょとんとした顔でこちらを見ている。これじゃダメだったかな。
「それか理科Ⅱ教えて。岬くん成績良かったよね?」
「…いいよ」
岬くんは隣の椅子に置かれていた鞄から教科書とノートを探し始めた。私も急いで貸し出しカウンターから必要なものを回収して戻る。
「訊きたいところは?」
「じゃあここの、メンデルの法則が…」
教科書とノートを開いたら勉強会が始まった。予想も何もしてなかった、勢いだけの行動だったけど何かきっかけになったらいい。
その代わり図書委員としての仕事はできないけど、まぁ、そんなに忙しい仕事でもないし他にも人はいるし、いいよね。
今なら、ことのついでに訊けるかな?
「ねぇ、どうしていつもイヤホンしてるの?」
それも長い有線で、小さな音楽プレイヤーで、何も隠さずに。
「気が紛れるから」
簡単に答えた岬くんは、つまらなそうにペンを回しながらノートを見てる。
岬くんがノート見てるところなんて初めて見たような…。それにしては綺麗にまとめてあるし字もかっこいい。いつ書いてるんだろう。
あぁでも、気が紛れる、か。
「…なんか、わかる気がする」
「どうして?」
不思議そうに彼は私に訊いて、私は机に置いたままのハードカバーを手に取った。
「私はこれがそうだから」
誰もいない家でも、鬱屈な放課後でも、つまらない授業でも…本だけが私を自由にする。私でない誰かの物語が、私の自由を認めてくれるから私は本を読む。
時には自分で拙い物語を形にして、短い夢で日々に華を添えるんだ。
「ま、私のこれは校則違反じゃないけどね」
「その言い方はひどいよ」
私がくすくすと小さく笑うと、岬くんは困った顔でこっちを見る。
確かに、ひどい言い方だった気がしないでもないような。ちょっと意地悪だった?
「岬くんは部活とかないの?」
うちは部活強制だったと思うんだけど。と言いつつ私も図書委員を言い訳にバレー部から逃げてるので…本当は人のこと言えない。
でも先生が何も言ってこないからいいかなって。
「部活、うるさいから」
「うるさい?」
「うん。人が多い場所の音、あんまり好きじゃないから」
そう言って、岬くんは崩れるように机に突っ伏す。顔は見えなくなったけど、どこか辟易しているようにも見えた。そんなに苦手なのかな。
だから教室でもイヤホンしてるってこと?
「だからいつもここにいるの?」
だるそうに起き上がった岬くんに問う。起き上がった彼はまだ雑にペンを回し始めた。
確かにここは静かで人も多くなくて、いい環境なのかもしれない。それでもイヤホンしてるのはわからないけど。
「そうだよ」
返ってきた答えにそういえば、となる。
「何聴いてるの?」
「音楽とかラジオとか」
「ラジオ聴いたことない。楽しい?」
「楽しいのもあるかもしれないけど…僕は聴いてない」
「どんなの聴いてるの?」
「クラシック流れるやつとか、話してる人が静かなやつとか」
「音楽は?」
「お店でさ、有線流れてるじゃん」
「BGMのやつ?」
「うん。それで気になったやつ検索して、レンタル屋に行く」
勉強に関する話題の間に挟まる会話。
特に大きく盛り上がりもない、心地いい時間。
「CDをどうやってプレーヤーに入れるの?」
「パソコン使ってダビングして、データをプレーヤーに入れるんだよ」
「岬くんの家パソコンあるの!?」
「父さんがそういう仕事だから」
「そういう?」
「SEなんだよ」
「何それ」
「システムエンジニア。パソコンだけじゃなくてスマホとか…まぁ組み立てとか修理ができる人」
「頭良さそう…」
「頭はよくないと無理だと思うよ」
なんてなんでもない会話で、ふとペンが止まった。見下ろしたノートの文字が少しぼやけていく。
「…帰りたくないな」
ぽつりと、本音が出た。
今が楽しいから、帰りたくない。
「家、嫌いなの?」
岬くんが私にそう訊いて、私は少し慌てた。なんというか、困らせたかったわけでもないっていうか。
でも言ってしまったことは仕方ないので、静かに頷く。
「うち、片親なんだ。それで…お母さんと最近仲良くなくて」
やっぱり今のお母さんは怖い。
なにかあるたびに私の中の何かが萎びていって、そのまま震えて丸まっていく。
「そうなんだ。うちも父さんだけだから、一緒なんだね」
「そうなの?」
「うん」
予想外な気持ちと、少し罪悪感みたいなものを覚えた。
つい最近、岬くんの家は暖かいのかな、なんて考えたばかりなのに。私と同じかもしれないなんて。
今時片親も珍しくないって言うけど、本当なのかな。
「お父さん、どんな人?」
「あんまり喋らないのに偉そうで、何考えてるかわからなくて…少し怖い、かな」
「話ができないのは…怖いね」
「うん」
なんでかわかんないけど面白くなって二人で少し笑い合った。
なんだか少し話しやすくなったのは、どっちも片親だってわかったからかな。
「岬くんは家好き?」
「ううん。帰ったところで誰もいないけどね」
「わかる。それはそれで嫌だよね」
「うん」
寂しさって、共有できるものなんだ。
良くないような気もするけど、なんだか少し嬉しい。片親だって知ってる友達もいないし、なんだか話せたのが岬くんで良かった気がする。
「うちはお母さんだけなんだけど、ヒステリックって言うのかな、キレたら騒ぎ出して怖くて。それなのに最近喧嘩も多いのが、ちょっとね」
会ってなにか起こるくらいなら、会わないで何も起きない方がずっと良いような気がしてしまう。
今のままのお母さんなら、私はお母さんに会うのが怖い。
昔は、どうだったっけ。
「僕のところは喧嘩しないよ。相手が何考えてるかわかんないけど」
「喋らなすぎて怖いんだっけ」
「うん。かと思ったら急に何か買ってきたりする」
「そうなんだ」
そこは少し、羨ましいな。
私にあるのはなんだろう、手作りご飯とか?
冷蔵庫で冷たくなってるけど。
「…お母さんとさ、喧嘩しても、お母さんが言ってることのほうが正しいこともあるって、わかってるんだけど」
お母さんをただ全部拒否したいんじゃなくて、ちゃんと話し合いたいのに、怒られると反発してしまう。
お母さんに怒られると怖くて、怯えて、だから反発して自分を守ろうとしてしまって。
ヒステリーを起こしたお母さんが怒ると、私の全部を否定されてるような気がしてしまう。私が産まれたところから、全部。
「なんか、話してたらますます帰るの嫌になってきた」
「そうだね…」
もうすぐ図書室も閉めないといけないし、帰らないといけないのは、わかってるんだけど。
だけど、
「このまま二人でどっかいく?」
名残惜しくて、そう思ったら岬くんがそんなことを言ってきた。
私はその魅力的なお誘いにぎこちない笑顔で返す。
「いいね…いけたらね」
「できるよ。場合によっては補導されるだけで」
「されたことあるの?」
「ないけど、一日くらいならなんとかなるよ」
「なにそれ、漠然としすぎじゃない?」
話として持ち出す割には、中身もないし計画性もない。なんだかそれが面白くて私が少し笑うと、岬くんは天井を見上げ大きくため息をつく。
「…まぁ、無理だよな」
そのまま岬くんは椅子の背もたれに体を預けた。
そのすぐ後で完全下校の放送が入って、
「せめて、一緒に帰る?」
そう口にしたのは、私の方。
岬くんは驚いたような顔で私を見てから、ふっと穏やかに笑う。
「いいよ」
私はその返事に「ありがとう」と小さく返した。
***
「愛宕さんは進路決めた?」
「進路?」
放課後仕事をしなかった分、図書室の戸締りを代わったのでその間だけ待ってもらって、そのあとで合流してから二人で校門を出る。
歩き出して少しして、岬くんはそう言った。
急に何を、と一瞬思ったけどすぐこの間渡された進路希望表を思い出す。
「無難に公立かな。うちお金ないから」
はっきり書いた中身覚えてるわけじゃないけど、ここから近い公立校とかそんなことを書いた気がする。
「そうなんだ。僕まだ進路表書けてないからつい」
え、それって。
「それ、提出期限一昨日とかだったような…」
「うん、だから早く出せって言われてる」
私の言葉に返ってきた答えも、その言葉を放った岬くんの声も、どこか迷っているように感じた。
ふと横を歩く彼を見るとやっぱり視線は前を向いたるようで揺れていて、私はなんとなくそれをじっと見つめてしまう。
「将来何したいとかないから、書くことがなくて」
「とりあえず適当に公立とか書いとけば良いような気がするけど」
大人なんて、一先ず都合のいいことを言っておけば騙されてくれる。
私がバレー部行かないで図書室に篭ってるのとかね。
「それはそうなんだけどさ」
でも返ってきた答えはやっぱり自分に合う答えを探してるように感じた。
私はてっきり岬くんのことを“自分も未来もどうでもいい人”なのかなって、どっかで思ってたような気がしてきた。
思ったより真面目なんだな、なんて思ったから。
「まぁ、“やりたいことができた時のために学ぶ”とか、よく言うよね」
「やりたいことに対して役に立つかわからないのに?」
「それはその時になってみないとわからないからじゃない?」
「うーん…」
岬くんは納得いかないようだ。
そんなに悩むことかな。ないものはないのだから今考えたって答えはないかもしれないのに。
それでも何か、自分に答えが欲しいのかな。
「もう出さなくていいんじゃない? 進路表」
「え?」
その瞬間、彼と目が合った。
絡んだ視線の向かい側が、驚いてるのを感じる。
「もうさ、提出期限とかとっくに過ぎてるし今更じゃない?」
「三者面談で使うって言ってたから」
あぁ、あの場合によっては親なんて来ないやつね。
「三者面談ってどうせ来月とかでしょ? ならそれまで悩んだらいいんだよ。それでダメだった時、一回適当に書いて保留するとかさ」
親と一緒に進路を真面目に考えてる家庭に三者面談は必要なもので、そんな余裕もない私たちには都合のいい答えをとりあえず言っとくための場所でしかない。
大人が知りたいのはいつだって自分に都合がいいかどうかで、私たちの夢や目標とは限らないんだから。
「…そうかな」
「悩むくらい真剣ならそれでいいと思う」
そうだよ。
悩めるなら、悩んだ方がいいに決まってる。
適当に投げ捨てた私の人生みたいになる必要なんてなくて、納得できる答えが見つかったらいい。
私は悩むことさえ思いつかなかったんだから。
「愛宕さんがそう言うなら、そうしてみようかな」
「うん。でも無理したらダメだよ」
「ありがとう」
そこでふと、彼が足を止めた。
すぐ横には踏切が見えて、何かの終わりのようなものを感じる。
「僕、こっちだから」
岬くんは踏切の向こうを指差した。私は踏切を横切って奥の道に進んでいくので、彼とはここまでということ。
「…そっか、じゃあここまでだね。私こっちだから」
私は自分の向かう方を指差す。
寂しいとは、なんとなく言えなかった。
「わかった。じゃあね、愛宕さん」
そう言って踏切に向かっていく背中に、
「岬くん!」
無意識が声をかける。
岬くんは当たり前だけど少し驚いたように振り向いて、少し緊張した。
何話したいかとか考えてなくて、必死に言葉を探す。
「あ…と、その、今度、教室で話しかけてもいい?」
私はなんとなく恥ずかしくて視線を逸らした。
岬くんの顔は見えなくて、少し間があって、すごく緊張して、
「いいよ」
柔らかい声に、思わず視線を上げる。
すると彼は柔らかく笑っていて、少し胸が締め付けられた。
「あ、りがと…」
なんか少し、どきどきする、ような…。
震える唇で感謝すると、今度こそ岬くんは「じゃあね」と言って私に背中を向けて歩き出す。
私はその背中を少しの間目で追って、一つ深呼吸をしてから自分の向かう道に歩き出した。
何も考えずに空を見上げたらもうすっかり夜で、星が瞬いてる。今日はなんか綺麗なような、なんて感じながらさっきまでのことを考える。
「進路、かぁ…」
私なんかの出した答えが、何か彼の役に立つならいいんだけど。
たかがって言ったら言い方悪いけど、進路表一つであんなに真面目になって考えてる岬くんをみてたら、なんか、そんなに気負う必要はないと思って、うまく言えなくてあぁなった。
私も彼みたいに悩めたら、なにか違う答えが出たのかな。
私も、今日岬くんと話してたら何か答えの出ないものを追いかけてるみたいな気持ちになった。
それは確かに感情だと思ったし、安心するような、胸が痛いような感情。
どっちを考えても、きっと今日答えは出ない。だから、岬くん答えが出るまで何日も考えようと思う。
だから今は願おう、君に君らしい答えが見つかりますようにって。
イヤホンと図書室 三日月深和 @mikadukimiwa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます