第7話

「いや、普通に暑いわね...」


 残暑が肌を焦がす10月某日。今日は街の学生たちが待ちに待った連休初日。否、これは学生に限った話ではない。この旧三河地区の商店街は人々の財布がゆるりをほつれる瞬間を今か今かと耽々しているのだ。この熱を以てタービンを回そうものならこの先しばらくは電気に不自由な暮らしが約束されるだろう。とはいっても、普段から特段電気というエネルギーに困っているわけではない。これは比喩表現である。


 しかし、「その他の土地」では夜中に大きなイベントなど皆無のため、旧時代依然として発電方法などで賄えているが、問題は「富んだ土地」である。「未来の目」を皮切りに様々な建物が乱立し、連日あちらの街を照らしている。その余波がこちらに悪い影響などを与えることはそうそうないが、強いてい言えば踊らぬ夜を知らないような世界を彩る未来の目の輝きがシュカのような幻想に取り入れられた少女を量産することくらいだろう。


 私はくせっけの髪を右手で諫めながら、ふと考える。


 満たされることを知らないやつらは、次こそはと新しい自分を想像して明日への糧とするとしよう。仮にそんな夢を見る少女が跋扈していたとして、この世界に何の影響があろうか。彼女たちは夢と現実を交互しながら、それらのすり合わせをしていくのが常である。現に私とて理想と夢をはき違えて自分の心の夢灯篭の篝火を、泣く泣く潰す羽目になったことなど履いて捨てるほどあるのだ。


「それにしても遅いわね、シュカ。なんだったのよ昨日のテンションは。」


 学校終わりに春風美空の下で行った生物部見学。その最後に届いたシュカからのチャットにはこう綴られていた。


「明日10時に旧三河地区1番街 富んだ土地西門行きタクシー乗り場   制服で あっちの土地へ乗り込むわよ」


 とりあえず思うところは多々あるが、それでも私が最初に出力した言葉は「何言ってるの?」である。学校を休んだかと思えば、次はいきなり「富んだ土地」へ宣戦布告ともくれば、しばらく脳が理解を拒むのも無理なからんというものである。


 その件に関して美空は「行ってらっしゃい」と興味もなさげに手を振るだけであった。その二つの瞳は、小魚を貪るミズ蛇に焦点が合っており、自然界の無常さをまじまじと見せつけていた。たしか彼女はあの時――


「まあ、行ってらっしゃい。気を付けてね。」


「気を付けてねっていうか、別にそんな気を付けることもないけどね。特にシュカとか絶対に浮かれているわよ。もう文章から伝わってくる。」


「いや、彼女もそうなんだけど、君だよ。」


 よれよれの白衣の裾から、びしっと人差し指で私を指を指す。その姿はまるで先導者のそれであり、私の鼻っ柱に指がにじむ。


「あっちは能力が闊歩する場所だ。事件や事故は人の数ほど頻発することは想像に難くない。あっちの観光もいいけれど、大事なものを無くさないようにね。」


「まあ、事件とかに巻き込まれないようにって言っても、あっちの土地の子とよくわからないからなるようになれとしか言いようがないわね。」


 私はミズ蛇の方に向き直し、水槽の中の世界で生きる彼(彼女)が生きる世界をこの目で見る。狭い水木の中に身をひそめるそれは、広い世界より手の届く自分の世界を受容する、そんな意思や思考がにじんでいるようである。


「それを含めて気を付けて、だよ。だって君は――」


「いやー、お待たせお待たせ!」


 遅刻魔の快活な一言によって、私の思考回路が過去から現在に移行する。底抜けに陽気なその声は、思考の海の底を彷徨っていた私とは反対に、そこまでも天高く響くものであったが故、彼女の高揚感が伝わってくるようだ。


「お待たせお待たせ、じゃないわよ。昨日いきなり学校休んだかと思えば、次の日すぐあっちの土地に乗り込むって意気揚々として。情緒どうなっているのよ。」


「まあまあ、いきなり悪かったよ。ちょっと急用でね、昨日行けなかったんだよ。だから別に体調が悪かったとかじゃない。むしろ元気よ。」


 そう言って彼女はその細い腕をむんっと突き出して肘で曲げる。なんとも華奢なものであり、それに比例するようななんとも小さな力こぶ。ちゃんと食べているのかと問い合わせをしたくなるが、彼女曰く「普通でしょ。」なんとも自分との差に愕然としたものである。


「力を誇示するにしては、力こぶが貧弱すぎるな。もうちょっと鍛えてからにしなさい。」


「そうね。自分でも今見てちょっと思ったわ。普通にないものとしてカウントしてくれて構わない。」


 力なく両腕を下げた彼女に私は再び口を開く。


「それで、今日あっちの土地に行くって話だったけど、私たち通行許可下りてないでしょう?あれには能力の証明とか必要じゃなかった?」


「大丈夫!私が許可証持ってるから!」


「...え?」


「あ、ちょうどタクシー来たわね。」


 彼女が振り返り、その目線の先に私も焦点を当てる。そこには無音でこちらに向かっている一台の車が見えた。否、その表現は正確ではない。その影を私たちは見たのである。その車は見た目こそ何の変哲のない白の普通自動車であるように見えるが、あまりにもその走行音が出ていなかったため、私の耳でも聞き取れなかった。


「やっぱりすごいわね。あっちの土地の技術力っていうかなんというか。ほらこれ。」


 そう言ってシュカが指を指したのは部分。地面を回転する足で蹴り、其の推進力を以てかつての世界で移動や輸送の頂点に君臨し続けた、車の絶対的根幹ことタイヤ。

その部分が丸ごとなくなっている。その代わり、私たちの頭上、太陽を覆い隠すように空に浮いているのだ。


 目の前にゆるりと着地し、近未来タクシーがゆっくりドアを開ける。すると自動音声で「どうぞおかけください」と優しい女性の声がする。


「さて、さて行くわよあっちの土地。目指すはやはり未来の目!」


 びしっと指を立てて彼女は堂々たる振る舞いで宣言する。


「”駅”で一回止まるから直通じゃないけどな。」


  細かいことはいいじゃない、と横目で不満を小さく口に出す。目は口以上に何とやらであり、ぶうぶう宣うそれとは異なり、彼女の双眸は希望で満ちているようであった。


 そんなことを考えながら、停泊したタクシーに乗り込むと、そこは普通車という言葉ではくくれない広々とした空間。なぜ?と疑問を持つが目線をグルりと回した瞬間に脳がこの空間の秘密を把握する。


「...なるほどね。運転席と助手席がないのか、すごく広く感じるわけだ。」


 そこには本来あるべきはずの運転席や助手席が存在しない。完全型の自動運転である。こちらの土地では導入はまだまだ進んでいないが、あちらの土地ともなれば、潤沢な資源の下このような便利な機械を量産できるのであろう。そう私は看破する。


そのためその空いたスペースをそのまま後部座席として使用することが可能であるため、リムジンも書くやというほど広く見えるのだろう。


 自動運転自体はとっくの昔に設定は出来ていたが、倫理的問題によってその機能が搭載することはなかなか難しかったようである。その重要な倫理的な問題として、「事故を起こしたときに誰が悪いのか」というものである。自動運転に任せていたら人と接触事故を起こしてしまった。買った消費者側か、それとも売った会社か。そのような議論が過去にはあったのだが、車が空を飛ぶようになったことで解決しているのだろう。少なくとも、こちらの土地ではそれを飛ぶ人間なぞ...


「まあ、いるにはいたな...」


「え?どうしたの。何の話?」


「いや、なんでも。」


 キョトンとした呆け顔で彼女が聞いてくるが、私はそれをスルーする。この件を話すことは私の秘密に直結する。そのため、明日には覚えていないような淑女同士の何気ない会話と言えど、ほころばすことは到底できまい。彼女の前ではことさらに。


 そんなことを考えて座席に彼女と向き合いながら着席する。ドア側を背中側にして着席するスタイルは、まるでかつてのリムジンのそれであるようだ普通車だというのに。


「本日は弊タクシーをご利用いただき、誠にありがとうございます。恐れ入りますが、通行許可証の照合を行いますため、お手持ちの用紙をこちらの台の上に置乗せください。」


 先ほどと同じく、女性の声で支持があったかと思えば、ダッシュボードの位置からチープな機械音とともに、用紙をセットする機械が姿を現す。それは一見すると極度に軽量化されたコピー機のようであり、透明な板同士で紙をはさみこむ様な仕組みとなっている。

 

「ああ、はいはい」


 そう言って彼女は制服の胸ポケットに手を入れ、ある一枚の紙を取り出す。四つ折りに織り込まれたそれを拡げA4のサイズに戻すと、機械にセットした。


「ご協力誠にありがとうございます。来栖シュカ様、神木哀様。未来都市西口まで案内いたします。本日は空の旅をお楽しみください。」


「あ、未来都市って言うんだ、あそこ。富んだ土地としか言ってこなかったから、一瞬どこ行くんだって焦ったわ。」


「ウケる。もっと堂々としてなさいよ。」


 談笑をしていれば、車が一瞬にして空に浮き上がる。なんとも重力を感じさせない動きに軽く脱帽を認めざるを得ないというのが本音である。


「ほら、ほら!すごくない?すごい浮いてるわよ、私たち。しかも車で!」


「本当だ。すげ~って言葉しか出てこない程度には壮絶な眺めだな。」


 私たちは初めて空を飛んだ、否これは正確な表現ではない。飛んだのは車である。それでも私たちに翼でも生えたような、そんな錯覚を起こさせるほどにはそれの長めというのは痛快であり愉快であり爽快であった。


 小さくなる街は、等身大の自分たちをズーム機能でも使うかの如く誇張させ、薄れていく景色や人は、無垢の自分たちを増長させるように気持ちを高揚させていく。馬鹿と煙は高いところが好きとは言うが、直感的に快楽を感じるための最も効率的な手段であり、人類皆この快楽自体は感じるのでなないだろうか。その快楽を幸福と感じるのが馬鹿と煙だけで。


「これどうやって飛んでいるのかしら。ガソリン?とか?」


「それ入れれそうな差込口とか、注入口とかなかったわよ。側面についていたのは本当にドアだけだったから。サイドミラーもなかったわよ。流石未来の車って感じね。」


「未来の車には穴はないんだよなぁ......」


「次それ言ったら、本当に帰るからね。飛び降りてでも。」


 ごめんごめん、と彼女は小さく頭を下げる。今月何度目かのそれに辟易しながら「ふう」ため息を一つ。そして確認がてら話を本題に戻す。


「そもそもエンジンがなさそうだしな、この静かさだと。もっとけたたましく鳴り響くもんじゃないの、モーターとかが。こんな大きなもの動かしてんだから。」


「そう?そんな事最近意識したことなかったから、わからないわね。あっちの土地にそんな音鳴り響くことなんてないしね。」


 シュカが窓の外を眺めながらふと呟く。その言を確認した私は、すぐさま次の話題に移った。まっすぐ、目線は泳がせずに。


「そういえば、昨日学校休んだのって、その紙の手続きをしていたからだったのね。そうならそうと初めから言えばよかったのに。公欠扱いってやつになっていたのね。」


「ああ、そうじゃないそうじゃない、今も数Ⅲの単位は未だにやばいままだよ」


「え、そうなの?」


 帰ったら補習確定臭いなははは、と彼女はのんきに言うが、随分と切迫した状況にも思える。しかしそんな中彼女は、そのまま椅子の上で優雅に足を組んで細い足を私のくるぶしに当てて児戯のように遊んでいた。それのなんともこそばゆいことか。


「ええ~大丈夫なのそれ。補習で受かんなさいよ。留年とか洒落にもならないわ。」


「まあ、そうだな。その単語だけでも心が震えるわよ。気圧が高いせいだけじゃあないわね。それでも...」


 そう言いながら彼女は窓の外から小さくなった街を眺める。その世界の色は、いうなれば昭和のお母さんが作ってくれた学生弁当とでも形容しようか。主に茶色に染まっているが、活気という温かみも持ち合わせているもの。


 しかし、そんな茶色の街を見下ろしながら、シュカはつまらなさそうに目を細める。さらさらとした髪が弱冷房に靡く姿は憂いを感じさせる名画であるようだ。


「...それでもね、どうしてもすぐ行きたかったんだよ。夢ではあったしね。あっちに行くの。」


「それで単位落としてたら世話ないけどね。あっちに移住とかならともかく...」


「ああ、私は移住も視野に入れてるよ。もちろんね。」


「え、あ、そうなの?」


 動揺する私と裏腹に、シュカは目線を窓の外から外さない。心はもう富んだ土地側にあると言わんばかりの態度から街にこぼす視線は、いわば惜別の裏返し。名残の尾ひれを切り落とさんばかりの態度がゆえに、私の心にもやがかかる。


「ずっと夢想していたのよ。富んだ土地での暮らしをね。でも、それは夢のままだなって感じたの。夢想と妄想は紙一重。地に足つけた根拠不在ではもはや同意義となっているわ。でも、今は違う。」


「地に足つけた根拠っていうのは、多分あなたが授かった能力のことね。」


「そう、夢想は今や想像に変わったわ。......どんな服を着てみようとか、今日何食べようとか、あっちの人たちと私たちの考えていることに相違はない。でもだけどなんで私たちはこっちに追いやられているのか不思議じゃない?能力の有無だけでしょうに。」


「まあね、能力ありきの世界とはよく聞くしなあ。」


「それの差だけで何もかもが違う世界に放り出されるって考えたら私は正直納得できない。けど、それに順応していくしかないのなら、私は向こう側に立ちたい。せめてね。」


「...なるほどね。」


 私は一息付けて、道中購入したペットボトルのお茶を一口飲む。こんなにシュカの方から話すことは久方ぶりな気がする。見れば彼女もぺとボトルに指をかけていた。


「ああ、そうだ。せっかくだから私の能力魅せてあげるわよ。刮目しなさい。」


「そうそう。気になってたんだ。シュカの能力。魅せてよ、何に目覚めたのかを。」


 御覧なさいな、と優雅に頭を下げながら、左手で持っているペットボトルを肩の高さまで持ち上げる。従者が仕える主にするような礼拝にも似たそれを観察していれば、左手側のペットボトルに変化が起きる。


「うわ、なんか正直きもいな。」


 グニャグニャと歪みながら形を変えるペットボトルは、通常ならばありえない動きをしながら様々なものに擬態をする。


「ここからここから。」


 頭を上げて両手でペットボトルを持てば、その変化がさらに加速する。その形はペンや消しゴムなどの文房具に始まり、私が普段使っているかばんやピアス、さらには精巧なカメラなどの機械から節足動物の模型までと彼女の思うがままであった。


「え~、すっご。なにこれ。」


 そんな感想しか出てこない私を差し置いて、彼女はその形を柔らかい粘土のように指の隙間で転がしながら球体上に丸めた。光を放つ御神体の如きそれは輝きを増しながらある一つの形に収束していく。


「これは...なに?紙?」


「そ、紙っていうかルーズリーフね。一枚持ってきたの、コレ。」


 正体不明のエネルギーが集約されたその先、それは彼女がちょこんと指の隙間ではさんでいる紙であった。その片側には、ファイルに通して保管することを目的とした穴が数多く空いている。そう、悩める学生の味方でことルーズリーフ先輩である。


「一応聞いてもいい?なんでルーズリーフを?」


「なんでっていうか、これが私の能力だからよ。紙を任意のものに変換する、みたいなね。別にルーズリーフである必要はないのよ。紙であればなんでもいいわ。それこそ、飴の包み紙や写真でもね。」


 まあ、もったいないからそんなことしないけど。彼女はそういってまた紙を自身のアクセサリーに変化させると、それを使って髪をまとめ上げる。紙で髪を締める洒落の烙印を押そうものなら、私はこの場から退場させられる危険性がある。そのため、今は黙って彼女の能力を聞いてみる。


「私もちょっと驚いたわよ。紙を自在に操れるって言っても、何となくぴんとは来ていなかったからね。でも意外と便利なのよ、コレ。さっきもペットボトルに変化して他の気が付かなかったでしょ。」


 彼女は指でルーズリーフを挟んだまま、その腕ごとパタパタと仰ぐ仕草をしながら、私のことを細目で観察している。それは、雄大な空の景色と相まって、まるで富裕層のご令嬢のそれに見えた。無論、能力を得てその領域に至ったというのであれば、成金と表現せざるを得ないのが玉に瑕ではあるのだが。


「いや、そうだ。その中身どうなってるのか気になってたのよ。さっきまで中身を飲む気満々じゃなかった?」


 そう問い詰めると、彼女はいたずら好きの養成のような笑顔ではにかんで、


「いやこれは飲めないわよ。中身は入ってなかったからね。」


「じゃあなんでそんな...」


「哀の驚く顔、久しぶりに見たいじゃない?」


 明るい玉のような少女のようなそれで、白い歯をこちらの覗かせる。その仕草で、彼女が変わってないことに、心の中で深い息を吐き出す私がいた。


「ちなみに、さっきの通行許可証は偽造ね。私の能力でそれっぽい用紙を作っていいただけ。良かったわ、弾かれなくて。予約は取れてたけど、通行許可証までは流石に時間が足りなくてできなかったからね。」


「え、無賃乗車してんのこれ?」


 ペットボトルの中身を思わずこぼしそうになりながら、彼女に向き直る。やはりこの女、油断も隙もあったものではない。犯罪の片棒を担がせようとしてくるとは。


「まあ、いいじゃない。これで私の能力が十分あっちの土地でも通用することが分かったわ。未来は明るいわね。」


 そんな彼女の言葉と反比例するかのように、空はどんよりとして鬱蒼なものを携えている。ゆっくりと流れるその様子は、まるでこの時間をすすませんとしているような、そんなささやかな抵抗にも思えた。少なくとも、私の目にはそう映る。


 



 


 


 


 

 


 

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固結びの解き方 バター醤油 @butter-soyA

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