愛情

 ゴロゴロと彼女が顎を預けてくる。俺の上でぺったりと平べったくなってる有様だ。

「ワイルドなあなたもいいけど、今の優しいところも大好きよ」

「考えてること分かるような鋭い女とは知らなかったよ」

 尻尾まで巻きつけて宥めにかかられ、ぶすっと敷かれているしかない。

「だって不機嫌になる理由なんてそれくらいでしょ」

「まあなぁ」

 大事なものがなくなり呆然としている俺に容赦なく、奥さんは傷が治った瞬間風呂の洗礼を浴びせた。

 野生の匂いまでドライヤーに飛ばされ、もはや自分がわからなくなった。

 ほうほうの体で風呂場から転げ出た目の前にとすっと軽く飛び降りてきた彼女を見ても、もはや感情が湧かなかった。それに構わず、彼女はゴロゴロとのしかかって俺を隙間なく舐め始めた。

 そんなもん、ちっこい頃に縄張りのボスにやられて以来だった。

 雌猫に多少の毛繕いはさせても、大体俺の匂いに染めてやるために俺がしてやっていたというのに、腑抜けてなすがままだった。

 終始ゴロゴロと高い声で俺を可愛がる彼女につれられ、飯の場所、トイレ、寝床、昼寝の場所まで教え込まれ、俺はあっという間に家猫教育を施された。

 いつも彼女が昼寝に使っているのが、俺との逢瀬の窓辺だったもんだから、流石に恋しくなって外に向けて鳴いた。が、その度に彼女は飛んできて俺を甘やかした。

 彼女がちゃんと匂いを感じられるところにいるのが無性に嬉しくて、そうなると気を引きたくなる。

 いつしか彼女と触れ合いたい時は窓辺に乗るようになり、そして奥さんの褒め言葉までいただいちまった。

 もはや、俺のほうがお淑やかな息子さんとして可愛がられている始末だ。奥さん曰く、彼女は欲しいものが出てくるまで延々とその場所に居座る頑固娘なのだという。

 確かに、おやつがでなけりゃキッチンで丸一日奥さんを見据えている。

 奥さんが根負けしておやつを手に取れば、そりゃあ可愛くまんまるな瞳がキラキラと輝いて、石のような体勢から軽やかな足取りであっという間に足元に絡みつくのだ。

「ガラスの向こうからじゃ、こんなに頑固なお姫様とはわからなかったぜ」

「何よいきなり」

 むすっと見下ろされながらも下から頬を舐めてやる。俺からもゴロゴロと機嫌のいい音が出る。

「俺も大好きってことさ」

 満足げに俺の顔にかぶさって、彼女は昼寝を始める。

 すうすうと安らかな寝息の向こうの青空は、ガラスのこっち側からでも澄んでいてよく見える。

 電線も、並んでるスズメのちっこい姿もよく見える。

 俺のこともしっかり見えていたんだろう。

 そして、背後から飛んできたあのカラス野郎のことも、はっきりくっきりだ。

 俺も、あの時見た。

 きらりと輝き、確かに何かを捉えた瞳を。おやつの時のまんまるの瞳とは違う、細く締まった鋭い目。澄ました座り方から浮き足立って雲のように浮かぶ毛皮を。

 カラスの野郎め、飼い慣らされやがって。

「俺も、な」

「幸せね」

 寝ぼけていても、彼女は得意げにゴロゴロと鳴らした。

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ガラスを越える理由 波打ソニア @hada-sonia

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