きっかけ

 いつになく熱っぽく俺を見つめ、ガラスに顔を擦り付ける彼女に気をよくして、俺も鼻を近づけたりしてやっていた。

 間抜けにも首を伸ばしていたせいで風を切る音に反応が遅れた。気がついた時、ほぼ同時に脇腹に鉤爪が叩き込まれていた。

 飛び上がって、それでも追撃してきたやつに爪をお見舞いする。片目を潰してやったらギャアギャア騒いでやがったが、それでもクチバシが襲ってきた。

 初手を食らったのが不味かった。逃げ出すような足のキレが出ず、そのまま泥試合にもつれこんだ。尋常じゃない彼女の声に駆けつけた奥さんがあの野郎を追っ払った時には、情けないことにうずくまって傷をかばっていた。

 白を好んで血統書付きの彼女を迎えた奥さんは、窓越しの俺をいつも臭いもののように見つめていた。

 しかし仮にも猫を飼っている人間として、そのまま見捨てられなかったのだろう。倒れている俺を躊躇わず胸に抱いた。正直鉤爪を喰らった腹が超痛くて、威嚇し噛みつき一通りの粗相をしでかしたが、それでも奥さんは俺をキャリーに詰めた。

 ああこれが彼女の匂いか、直接嗅ぎたかった、などと今際の際の想いに浸った。が、感傷など知るかとばかり、意味不明の匂いに満ちたよくわからん空間につれていかれ、正体不明の人間に引き摺り出され、意味のわからないことをたくさんされた。とんでもねぇとしか覚えてねぇ。

 気がつけば、腹の痛みはマシになり、頭に巨大なナニカを嵌められていた。

 詳しく思い出すと、正直今でも心が荒む。

 というのも、そのナニカは腹の傷を治すために舐めることを禁じるものだったらしい。マシとはいえ痛みがあり、そこを毛繕いできないストレスで死ぬかと思った。

 痛みが癒えてなんとかナニカを外してもらった後もしばらく、俺はケージに入れられ、彼女の匂いが満ちた家を歩くこともできなかった。

 そして、またしてもキャリー、移動、引き摺り出され、ああ、腹が立つが、今度はなんとオスの象徴を奪われてしまった!

「なによ、ゴソゴソと」

「ああ、ごめんよ」

 一応、その後に彼女にいろいろ教えてもらった。

 彼女も小さな頃に、そういう手術で病院に連れていかれ、子供ができないようにされたらしい。まあ確かに、外みたいに所構わずマーキングしたりは出来ないし、子供ができても家の中では全員過ごせないだろう。

 翻って、奥さんはこの時すでに、俺を家族に迎えることは考えていたようだ。

 捕まった猫は、娑婆に戻って増えないようにと、お節介なことに軒並みこれをやられるらしい。奥さんの場合は、彼女があまりに俺を気にして部屋の前でしきりに鳴くので、もともと窓越しの交流の件もあり、受け入れを考えていたと。

 大声で鳴く彼女にしきりに、もうちょっとだけ待ってね、旦那さん頑張ってるからね、と宥めているのがドア越しに聞こえた。

 いやもう、頑張るためのもの取られてるんだけどな!と猛抗議しようにも、もういろいろと腑抜けたように座り込むしかできなかった。

 くそう、涙なしに語れねぇ。

「本当にどうしたのよ」

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