ガラスを越える理由
波打ソニア
平穏
額を舐める優しい感触。
もふっと顔の上に乗っかった小さな顎から、ゴロゴロとご機嫌な音が鳴る。
「いい天気」
薄目を開ければ、まっしろな毛で埋め尽くされている。
「曇ってるぜ」
大歓迎だったけど、あら失礼、とあっさり退かれた。寝そべる俺の顔の横にぴったり寄り添い丸くなる。目を閉じれば出窓の白い台に紛れちまう。
白が好きな奥さんはそのせいで彼女をしばしば見失っていた。
病院通いを終えて風呂を済ませた俺がようやく家の中を歩き始めると、その問題が解決したらしくしきりに褒めてくれた。
あんたは真っ黒でわかりやすいわぁ。あの子があんたにくっつくからまとめて見つかっていいわぁ。あんたが来てくれてよかったわぁ。
「そんなもんかねぇ」
「なによ」
いや別に、と誤魔化そうとしたがかぷりとほっぺを噛まれた。そのままどすっと真上に乗られて布団にされた。ガシッと頭を抱えてペロペロと耳を舐める。あのカラス野郎に裂かれたせいで残念ながらあんまり感じないが、全身で感じる重みでも十分幸せだ。好きにしてくれ。
「あのカラス野郎、見なくなったな」
「よかったじゃない」
「今なら負けねえし、もう一発入れてぇけど」
おばか、と尻尾が振り下ろされる。
「あんたのために奥さんがカラス避けしてくれてるのよ」
「あのCDか。アレが効いてるのかね?」
窓の下にぷらーんと吊るされた円盤に目をやる。風もないのか、ただただ、ぷらーんと吊られている。ネコよけにもなるが、俺も彼女も平気だし、この家ではあくまでカラス避けだ。
「ゴミも漁られて気分悪かったし、お礼のつもりか光り物持ってきて迷惑してたし」
「そんな奴に効かねえだろ、CD。光ってるぞ」
「とにかく、来なくなったなら清々するわ」
いかに迷惑していたかをツンツンと語りながら、人の上で脚を舐め始める。ガラス越しのふわふわのお姫さまがこんな批評家とは知らなかったな、と今度は言わずに大欠伸した。
「礼をするなんて案外いい奴だったんだな。奴からすりゃあ恩人の家のお嬢にちょっかい出してる黒毛玉だったわけかい」
両想いだってのに、と俺も下から頬を舐めてやる。
甲斐甲斐しくなったもんだと思う。ガラス越しに見つめあっていた時は、正直よそにもいい仲の雌猫はいたし、ここいらじゃ敵なしだったから、若い猫の大体は俺の血を引いていたりした。どいつも、俺の子のくせにさっさと人間に捕まってガラスの中に行っちまったり、二度と姿を見なくなったりしたが。
そんなだから、ガラス越しにうっとりと俺を見つめる彼女との時間は、それ以上のしがらみもなく気分がよかった。だからいつまでも通ってたわけだが。
あの日もこんな青空だった。
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