#1.01. Pixie [Luna]
下弦の月のもと、砲声が響く。
その砲弾がどのような被害を出しているか、王国連合軍側に死傷者がいるのかは、この双眼鏡でもさすがに見えない。
離れているはずのわたしのところにまで硝煙の匂いが漂ってくる。
今の時代、ミサイル万能論が通るかと思っていたけど、21世紀になってもまだ野砲は有効だそうだ。
安価だし、数で押すオ連軍には合っているということだ。
今、オ連軍が包囲している港湾都市には100万人を超える人たちが閉じ込められている。
海を渡ろうにも、まだ3月初め。周辺海域は極寒な上に沖に出れば荒れ狂う波が襲う。生きて脱出はできない。その上包囲される前に難民が使えるボートを根こそぎ持っていっている。
抵抗する王国連合軍30万人と民間人80万人がない混ぜになった包囲網の中は、さながら地獄だろう。
時々、身震いしたくなる。
民間人が殺されていくのに、わたしは遠くから見守っているだけ。
“いや、わたしは彼らを解放するために情報を集めているのだ。決して見捨てている訳ではない”。そう自分に言い聞かせるけど、もどかしい思いは拭い切れない。
わたしは山の森の中から、オ連軍の背後を陣取り戦況を見極める。
この戦争で、完全共和主義を掲げるオイゲン人民共和国連邦は、
宗教と貴族制を排除するというイデオロギーのオイゲンにとって、王侯貴族が仲良く連盟を組んでいる丹陽も排除の対象だったらしい。
前々からオ連と王国連合の国境線は導火線と揶揄されるほど武力衝突が耐えない地域だったが、ついに起爆した。
王国や公国の自由連合である丹陽は、諸国が兵力を出し合い連合軍を組むことで国家防衛を実現しようとしていた。しかし実際には加盟国同士の足並みが揃わず、オ連軍が雪崩込むように攻め入った。
王国連合軍はすぐにゲリラ戦に移行し、侵攻を遅らせた。
この戦争を重く受け止めたのが、わたしたちネヴィシオン連合帝国という訳だ。
地理的に離れているとはいえ丹陽が共和革命の波に呑まれれば、戦火は南下し自国まで飛んでくる。
さらに、連合帝国と言うくらいだ、皇帝が二人もいる正真正銘の君主国家を、オ連や国際共和党が無視するはずがない。
丹陽に防波堤になってもらっている代わりに、ネヴィシオンも介入して大規模な支援を行っている。
わたしも皇室海軍の一員として色んな戦地に赴いた。
その点、今回の任務は楽とも言える。
“秘密裏に敵軍の動向を探れ”という偵察任務だ。
ただし、統制の取れていない丹陽側から情報が漏れるかもしれない。そのため友軍である王国連合軍も含め現地人との接触は禁止だ。
誰に会うことも許されない作戦だから、このアサルトカービンも使わないはず。
今日は肌寒い山の森の中で、この銃と添い寝している。
見晴らしはいいが、山の
ソロキャンプするにしても景色が悪すぎるな。
茂みの陰に腹這いになったまま空を見上げる。戦場とは思えないほど、星空が澄み切っている。
ところで、先程から傍受している通信が、今までと性質が違う気がする。オ連地上軍の暗号通信とはノイズの入り方が違う。
通信の開始の合図なのか、どうも誰かが話し始める時には必ずある挨拶があるようだ。
――“挨拶”。ピンと来た。
国際共和党の党員は、仲間と電話や文通をする時かならず“
そうだ、この通信を開始する時に入るノイズのリズムは、“
これは、
鉄拳なんて、いかにも強権的だが、実際に独裁者が特権を与えている組織だから、名前負けするような奴らではない。こうして実戦部隊まで持っている。
問題があるとすれば、アイゼンファウストは国軍、特に地上軍と仲が悪い。ドクトリンが違いすぎるのだ。
アイゼンファウストは気まぐれで戦場に現れ、用が済んだら撤退する。いつも後始末するのは国軍らしい。
その国軍である地上軍も変な動きを見せている。戦車隊の動きが鈍い。補給車両が後方に集結しているし――。
撤退か!?
なるほど、戦車は燃費がとんでもなく悪いから、撤退するには補給が必要だ。自家用車には向かない。
つまり、包囲戦の前線部隊はアイゼンファウストと交――……。
背後に人の気配がした。
反射的にその“気配”に向けて銃を構えた。
すると藪から堪えきれなかった悲鳴が聞こえた。
戦闘員じゃない。子どもだ。
咄嗟に銃口を向けてしまったが、アサルトカービンのロックをかけ直し、その藪にゆっくり迫った。
するとウサギが跳ねるように、まだ小さな男の子が茂みから飛び出した。でもすぐに転んでしまう。
難民なのだろう。ボロボロの服とサンダルは、彼がこの冬を越えた証だ。上着こそ大人用でまだ防寒着らしいが、そのジャンパーの下に着ている服は薄手だ。足も
銃を背中に抱え直して近づこうとするけど、その東洋人らしいの切れ長の目は、心底怯えている。
“シーっ”となだめても、彼は泣きそうな目で見つめてくる。
“
まずい。この辺りの言葉は苦手だ。
文法は
とにかく、この子を安心させないと。
ひとまず、ヘルメットを脱ぎ、わたしの顔が見えるようにする。
この子にとって、
丹陽人でもオイゲン人でもないと理解したのか、キョトンとした顔をする。
“
かろうじて思い出した、“大丈夫”という単語を使ってみた。
グローブを外し、手に何も持っていないことを見せると、男の子は目をパチクリさせる。背中に銃を背負っているし身体中装備だらけだが、敵意がないことは示せたようだ。
「
この子に名前が分かればと色々連呼してみた。すると、彼は震える唇で返事をしてくれた。
“
“ボゴ……。いい名前だね!”
大昔に活躍した将軍の名前だ。この子の親はその英雄の名前にあやかったのだろう。
戦争が始まって1年。小さな英雄は、その名前を勇気の源にしてここまで生き延びたのかもしれない。
遠くで重機の大群が動き出す音がして、我に返った。
この男の子を安全なところに連れていかないと、戦車砲が気まぐれを起こしてこの山に攻撃する可能性もある。
月明かりのもとでも分かるくらいに、この子の左足は腫れ上がり赤黒くなっている。手足ともに傷だらけだ。遠くには逃げられない。
この子を連れ帰れば
痩せ細った男の子を安全な場所まで避難させるには、この手しかない。
わたしたちの基地まで連れ帰ろう。
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完全共和主義――君主・聖職者など特権階級による支配を認めず、人民の代表者による政権のみ認めるというイデオロギー。
オイゲン人民共和国連邦――大大陸北方に広大な領土を持つ連邦。共和革命により皇族・聖職者を排斥した歴史があり、現体制は王侯貴族や宗教などを憎悪の対象としている。オイゲン・オ連などの略称がある。
丹陽王国連合――大大陸南東部の諸王国が集まった自由連合。通貨や軍隊を共有しており、加盟国間であれば移動にパスポートはいらない。丹陽・王国連合などの略称がある。
ネヴィシオン連合帝国――大大陸南方と小大陸の間に位置しており、東大洋と南大洋を広く支配している海洋国家。皇帝二人が共同支配しているため連合帝国という名称を用いる。陸軍などは持たず、海軍が統合軍として国防を一手に担っている。ネヴィシオン・連合帝国・連帝などの略称がある。
国際共和党――共和革命を世界に波及させるための国際的な完全共和主義団体。盟主はオイゲン人民共和党最高指導者。
プライド――ネヴィシオン海軍特殊部隊。奇襲や近接戦闘など特殊作戦に特化した部隊。
水平線の彼方へ――皇室海軍の標語。
アサルトカービン――アサルトライフルより銃身が短い自動小銃。取り回しが利き扱いやすいが、命中精度が若干低下している。
瑞穂語――瑞穂国で用いられる言語。使用する文字が多彩で表現も繊細なため、習得が難しい。
ネイヴィス人――ネヴィシオンを構成する民族は、オーストラロイド系の原住民のネイヴィス人とコーカソイド系の植民のクレオール人に大別される。時代が進むにつれこの二人種間の区別が曖昧になっているが、黒人としての特徴が強いネヴィシオン人はネイヴィス人を名乗る。
戦況についての解説
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