#1.02 Troll [Marius]
山林の獣道の少し開けた空間に、偵察任務から戻ってきた部下たちが集まってくる。
鬱蒼とした木々の隙間から、月明かりが僅かながらに届く。薄暗い中、わたしは部下からの報告を受けていた。
“つまり、増援が到着するにも関わらず、前線の梯団が撤退する兆しを見せている訳だな”
“はい。戦略的に見て、全戦力を包囲戦に投入するのが定石ですから、妙な動きです”
明らかに戦況はオ連に傾いている。これから増援部隊まで来るという絶好の勝機になぜか後退するのか分からない。
“将兵は疲弊していたのか?”
“いえ、統制が取れています。軍用品も潤沢にあり補給管理も綻びがありません”
なおさら理解できない。
港湾都市には皇室海軍が物資を空中投下しているとはいえ、弾薬も枯渇しつつあり、オ連軍が畳み掛けるなら今だ。ここを落としてしまえば半島はオイゲンの支配下に置かれることになり、1個軍集団にもなる兵力を別の地域に振り分けられる。
まさか前線部隊の陣地変換でも――。
たまたま目を向けた先に、子どもを抱えた女性兵士がいた。思わず目を疑ってしまった。
“おい、どういうつもりだハウンド
ロジャースに子どもを預けると、
“少年を保護しました。難民として我が――”
“待て。今回の任務は秘匿の偵察任務だ。ブリーフィングで現地の人間とは誰とも接触しないよう厳命したな”
“はい”とまっすぐに目を見て答えるルナだが、それは分かっていて命令を破ったことになる。
“今あの少年は、わたしたちネヴィシオン軍がこの戦場にいることを知った。大佐は王国連合軍を含め現地の誰にも情報が漏れないよう徹底するように仰った。そうだな?”
“はい、ハウンド
思わず天を仰ぎ、溜め息をつく。
アルバーンは自分が何を言っているのか分かっているのだろうか。
周りの隊員たちも彼女の発言に対し、呆れたり憤りを隠せない反応だ。
“ハウンド17。わたしたちは包囲された王国連合軍と市民を守るために偵察している。そうだな?”
“はい”
“包囲された100万人のためにプライドが情報を集め、主力艦隊が支援する。この計画が子ども1人の救出のために破綻しようとしている”
“1人が助けられないのに、どうやって100万人を助けるのですか!?”
声を荒らげたアルバーンは、もう考えを変えるつもりはなさそうだ。
反抗心の込められた空色の眼が、わたしを射抜くように見つめる。
“その目、気に入らないな”
彼女は毎回、意見が対立するとこの目をする。自分の意見が通るまで、テコでも動かない。
そもそも軍隊では上官の命令に従うものだ。命令系統が混乱しないため、確実に上層部の作戦計画を遂行するためだ。
そういう意味では、アルバーンは立場が分かっていない。アルバーンはあくまでも一等兵曹。わたしが大尉だ。権力を押し付けるつもりはないが、言った通りに動いてくれないと組織運営上不都合だ。
だがアルバーンと意見を対立させて、いつまでも戦場で立ち止まっている訳にはいかない。
こうなるといつも折れるのはわたしだ。
“今回の件は目を瞑る。子どもは置いていこう”
“ネガティブ!”
隊員たちがどよめく。“正気か?”という呟きも聞こえた。
“どうするつもりだ? 基地に連れ帰るなんて無謀だぞ。この班のうち1人は子どもを抱えて行軍することになる。
この子には会わなかったことにする。だから少年を安全な場所に解放――”
“ネガティブ!!”
アルバーンは上官の言葉を遮り、睨みつけ、命令を拒否している。
彼女が反抗的である以上、わたしの分隊は思うようには動けないということだ。
枝葉の隙間から星空を見上げつつ、子どもを預けられていたロジャースに声をかける。
“ハウンド
“関節炎を起こしています。捻挫をしてからも歩き続けたのでしょう。軟骨や靭帯も損傷しているかもしれません”
つまり、自力では歩けない、か。
人道的に考えれば、治療してやらないといけない。衛生兵であるロジャースに任せれば現場でもある程度治療できるだろう。だがこの子がどちらかの軍に保護された時、治療の形跡からわたしたちが戦場にいたと知れることになる。
そもそもわたしたちを見た少年を野放しにできない。少年に対する尋問もありえる。
選んではいけない選択肢に、鉛玉による口封じもあるが、明確な戦時法違反だ。
となると、アルバーンの言うように基地に連れ帰ることになるのだが。
子連れで任務続行は無理だな。
“偵察はここまでだ。撤収する。
ハウンド17、この少年の責任はお前が取れ”
“ウィルコ”
都合のいい時だけいい返事をするアルバーンにはむかっ腹が立つ。だが彼女の報告がまだだったと思い出し、海岸に向かいつつ尋ねる。
“ハウンド17、お前は戦況をどう理解した?”
“オ連地上軍が後退の兆しを見せています。また、アイゼンファウストのものと思われる通信を傍受しました。おそらくオ連の最高指導者が包囲戦に介入したのかと”
アルバーンは少年を胸に抱きかかえつつ、足を止めずに報告を続ける。
いつの間にあげたのか、その少年が口元をチョコレートで汚している。
“つまり、包囲戦に参加していた地上軍が陣地変換し、アイゼンファウストが前線に出るという訳か”
“半島占領作戦の大トリをアイゼンファウストにさせるのが目的でしょう。もうすぐ陥落しそうな都市への攻撃戦力を最高指導者直隷部隊に移行し、地上軍は内陸部の戦場に送りたいのでしょう”
“相変わらず、地上軍の反感を買いそうな采配だな。合理的とも思えないが、独裁者は何をするか分からないものだ”
アルバーンの戦況分析は筋が通っている。アイゼンファウストの情報はまだ掴めていなかったから彼女の戦果だ。
その点、命令違反を繰り返すのが惜しい。
冷静な判断力もあるのに、感情的になると周りの意見を聞かなくなる。戦友への信頼がないのが、彼女の欠点だ。
また癇癪を起こされると困るから言わないが、帰投したら査問会議を開いてもらおう。
雑木林には似つかわしくないチョコレートの匂いが、あたりに漂っていた。
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ハウンド――この分隊のコールサイン。プライドは12人編成の分隊を基本の戦術単位とする。ハウンド分隊の場合、分隊長をハウンド7とし、以下ハウンド18までそれぞれの隊員に通し番号が割り振られる。1~6は欠番。
ネガティブ――無線用語で「No」を意味する。受信感度が悪い環境でも聞き取りやすいように「No」ではなく「Negative」と表現する。
ウィルコ――無線用語で、「仰せの通りに」といった意味。単純な「Yes」という意味ではないので注意。「Will comply」の略。
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