ターシャ――昼食と帰宅

 課業の開始から数時間が経ち、初夏の太陽も高い位置に昇った頃、学校全体に昼休みを知らせるベルが鳴り響いた。がたがたと椅子が音を立てて、クラスメイトたちが慌てながら、あるいはゆっくりと立ち上がり、教室を離れようとする。


「うーんお腹すいた!」


 午前の課業を終えてうんと伸びをするターシャを、朝の教室で彼女を呼び寄せた少女たちのひとりが呼ぶ。


「ターシャ早く!席なくなっちゃうわよ!」

「待って~すぐ行く~!」


 ターシャは慌てて少女らの背中を追おうと立ち上がり、ふと思い立ち教室を見渡す。既に幼馴染の少年の姿はなく、のんびりとした様子で行動するクラスメイトが数名見えるだけだった。


(イゴール、こういうときは本当に早いんだよね)


 ターシャは廊下を足早に進むと、入り口に“学生食堂”という表札と、赤地に白抜きで“党の人民愛に溢れる給食で大きく育とう!!”というプロパガンダが掲げられた、天井こそ教室と変わらないが体育館のように広い部屋に入る。既に多くの学生――育ち盛りの少年少女たちがトレーを抱えて、配膳口に行列を作っていた。ターシャもトレーを手に取り、行列を構成する一人となる。


 広い配膳口でトレーを差し出すと、黒っぽいパン、大量の野菜と鶏肉を煮込んだ料理と、カップに注がれた牛乳を発酵させた飲料を職員によって準備される。あまり美味しそうには見えないものの、ターシャはありがとうございます、と礼を述べ、すっかり重くなったトレーを抱え、うろうろと広い食堂を彷徨う。


(どこかな~?)


「ターシャ!こっちだよ!」


 名前を呼ばれ、テーブルの一角を陣取っていた少女たちを見つけたターシャはその場へ向かい、トレーをテーブルに置いて着席する。ターシャの左隣には、栗色の髪をサイドポニーに結び前髪を垂らした、目つきが少しきつい少女――ラナ。左向かいには赤銅色の髪をおさげにして前に垂らした、深い緑色の瞳の少し気弱そうな少女――マーシャ。目の前には長い黒髪で左目を隠した、たれ目の濃い肌色の少女――アデル。そして右向かいには、前髪を後ろにまとめポニーテールに結んだ、そばかすのある金髪の少女――エミリアが既に着席していた。ターシャの着席を待って、五人は顔を合わせてタイミング図る。


「「「「「いただきます」」」」」


 少女たちは声を揃えて食前の挨拶を済ますと、この国のすべての学生に無償で供給される昼食に手をつけはじめた。やがて、ある程度食事も進んだところで、アデルは左隣のエミリアに、それで朝の話の続きなんだけど……と一言置いて、年頃らしい恋の話題を投げかける。そしてラナも畳みかけるように追及を始め、マーシャはおろおろと恥ずかしそうに眼を泳がせていた。


(お昼……もうちょっと美味しくて量もあったらうれしいかな。でもみんなと食べると美味しいな)


 小さな口に、やわらかく煮込まれた野菜をせっせと口に運んでいたターシャだったが、色恋話の追及に耐えかねたエミリアがターシャに退路を求めて話かけた。


「そ、そんなこと言ったらターシャだっていっつも男の子と学校来てるよ!」

「ああそうだ。いっつもイゴールと一緒に来て一緒に帰るよね」

「ほんとよ……幼馴染とか言ってるけどそれにしたってくっつきすぎでしょ」

「も、もうこの話ははずかしいよ」

「え?な、なあに?」


 急に話題を振られ、答えるべき言葉がいまいち思い浮かばないターシャは、青い瞳を丸くしてきょろきょろと少女たちを見回す。隣に座るラナが、やたらと鋭い目つきでターシャに問いかけた。続いて、向かいのアデルもターシャに問いかける。


「ターシャってイゴールと付き合ってるの?」

「つきあう?」

「ターシャ、イゴールのこと好きなんでしょ?」

「うん、すきだよ?」


 マーシャは顔を真っ赤にして俯き、エミリアは追及からひとまず逃れられたことに安堵して食事を続ける。ターシャは当たり前のように答え、別のテーブルでちょうど昼食を終えて、トレーを片付けようとしていたイゴールの姿を見つけ手を振る。気付いたイゴールもターシャへ軽く手を振り返すと、なぜかラナが顔を真っ赤にして目を泳がせ、アデルはにやにやと意地悪そうに笑う。


「小さい頃からずっと一緒だったし……困ったときにいつも助けてくれるんだ。でもわたし、イゴールもみんなも同じくらい大すき!だってこんなに楽しいから!みんなとずっと一緒にいたいなって思うよ!」


 幸せそうに笑うターシャを見て、ラナは何故かほっとしたような表情を見せ、マーシャはターシャを見て幸せそうに微笑んだ。エミリアは何か満ち足りたように目を細め、前のめりになっていたアデルは、退屈に襲われたように椅子の背もたれに身体を預けた。


「これだよ。まっ、面白くなるのはまだまだこれからだしね。解散解散、ごちそうさま!」


 少し投げやりに話題を切り上げたアデルは、空になった食器が乗ったトレーを手に立ち上がった。ターシャは、そんな友達を見上げながら、残った昼食の続きを食べ始めた。


(わたしはみんなといるだけで面白いんだけどな……でも何が面白くなるのかな?たのしみ!)



 昼休みを挟んだ午後の授業。争いごとを好まないターシャも、さすがに授業中の眠気とは戦いを挑まざるを得ず……結果的に本人の意思とあまり関係なく白旗を上げることになったが、それでもどうにか午後の授業を数時間やり過ごし、学校には一日の課業の終了を告げるベルが鳴り響いた。其々の教室から、退屈な一日から解放された少年少女たちの賑やかな声が響き、ターシャもまた教科書やノートを通学鞄にしまい立ち上がると、掃除当番で居残りになるアデルたちに別れを告げる。


「また明日ね」

「じゃあねターシャ、イゴールとお幸せに〜」

「わたしはいつも幸せだよ~」


 ターシャは一度、教室内を見渡したが既にイゴールの姿はなく、廊下に出ても仲の良い幼馴染の少年の姿は見当たらなかった。


(イゴール先に帰っちゃったのかな?)


 この国の少年少女が半ば強制的に加入させられる少年団の活動内容によっては、帰り道を共にすることができない日もあり、ターシャはあまり気にせずひとりで家路に就こうとした。そのとき、突然背後から聞き覚えのある少年の声がターシャを驚かせた。


「ユリエヴナさん!起きなさい!」

「うわ!ちょっとイゴール!やめてよ」

「朝のお返しだ!」

「しかもさっきの授業中の!」


 午後の授業中、眠気との闘争に敗れたターシャが教師に起こされるシーンを再現されたことに、ターシャは口を尖らせ頬を膨らませて抗議した。


「イゴールだってしょっちゅう寝てるでしょ!」


 そして、ターシャはバシバシと通学鞄をイゴールにぶつけると、彼は朝の通学時のようにすぐさま降参した。初夏の午後の日差しが、青さが心地よい街路樹に程よく遮られ木漏れ日が差し込む歩道を、二人はじゃれながら歩く。


「――何であれ昼メシのあとの眠気ってのは確かにキツいよな。人間って、怪我とかの痛みよりも眠気のほうが辛いらしいぞ」

「そうなんだ、でも昼休みのあとに数学ってほんとうに嫌になっちゃうよ……先生が言ってることもわかんないし余計に眠くなっちゃう」

「ターシャは計算きらいだもんな」

「うーん、頑張らなきゃいけないってわかってるんだけど……その答えが何で正しいのかなって思っちゃうんだ。先生が言ってたり教科書に書いてる通りに計算すればいいのかもしれないけど、数の仕組みがわからないっていうか、その通りに計算しててもどうしても間違っちゃうんだよね」


 ターシャは困ったような表情を浮かべながら、自身の苦手な数学を克服する必要性を考える。とはいえ、その疑問を投げかけられれば、イゴールでなくても的を得た答えなど返ってくることはないだろう。


「おれも手伝ってやれればいいんだけど、そんなに得意ってわけでもないからな……でもターシャだって文学とか地理は得意だろ?」

「うん!わたし小さいときから絵本とか大好きだったし物語を読んだりしてたから、物語の中の世界に行ってみたいなって思ってたけど……でも現実の世界は物語とは違うよね。だから今わたしが生きてるこの世界で、いろんな国や見たことのない景色を見てみないなって思うんだ!」

「そうかぁ……いつか広い世界が見られたらいいな!」


 程なくして、歩道は公園内の広場にたどり着いた。広場には、 身の丈以上もある巨大なモザイク画――抽象化した世界地図と様々な人種の人々が、赤い星で印されたこの国の方向を向き、希望や祝福に満ちた笑顔を向けている様子を描いたものが据えられていた。


 ターシャはモザイク画の前に駆け寄り、モザイクで細かく彩られた世界地図をバックに振り返ると、満面の微笑みをイゴールに向ける。


「うん!わたし、世界のいろんな国や場所を冒険してみたいな!そのときはイゴールもついてきてね!」

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