希望の宝石

桜紗あくた

希望の宝石

 これは、とある時代、とある国の、小さな町の、実によくある話。

 ある時、隣合ったふたつの国が争い始めた。それは、誰かに国の宝を盗まれたとか、夜が明けると高位の貴族が自室で血溜まりに伏していたとか、そんな些細なことがきっかけだった。

 あっという間に争いは大きくなり、少し前まで静かだった土地では剣が交わり、煙が上がり、そして多くの血が流れた。その殆どは、鎧も着ない者たちだった。

 争いのきっかけなんてのは、ここにいる全員にとっては初めからどうでもいいものだった。今になっては、今日を、明日を生き延びられるのか、それだけを全員が考えていた。それだけがなんの力も持たない弱き者たちにとっての、唯一の『』であった。

 その日は早朝に、遠くから多くの者がこの町に雪崩込んだ。その者たちが暮らしていた町も遂には戦火に見舞われ、郷地を脱するほか無かったのだという。こと現下において珍しい話でもなかったが、いつの間にかこの町が最後の逃げ場となっていたらしい。

 その町で生まれ、争いのない世界を知らない、一人の青年がいた。彼は人一倍、『希望』を持っていた。

「――失礼。貴方はこの町の御方ですか?」

 青年は、投げかけられた声に振り返る。フードを深く被って顔はちゃんとは見えないが、ゆらゆら覗く髪は、見たことの無い色をしていた。

「――ああ。あなたは?」

「私は商人でございます。この町には今朝着いたところでして」

 青年は訝しむ。

「商人?随分と遠方からお越しのように見受けるが、この町が、この国がどんな状況か知らないのか?」

「まさか。勿論、知っていますとも」

 その答えに、青年は余計に顔をきつくする。

「ならわかるだろ。ここには何も無い。君ら商人が欲しがる金は、ここではなんの意味も無いんだ。交換する物が無いんだからな。だからそんな金なんて誰も持っていやしないよ」

 商人はフードの下で口元を緩める。

「ええ、知っていますとも。別に私はお金が欲しい訳では無いのです」

「何を言っているんだ?」

 商人は、汚れた鞄から何かを取り出す。

「……これは?」

「こちら、ダイヤモンドでございます」

 小さな箱を開くと中にあったのは、周囲の光を吸い込むような深い青い宝石。特別加工が施されている訳ではなく、ただの塊として鎮座している。

「……これがダイヤモンド――宝石か」

「はい。それも、青のダイヤモンドでございます」

 青年は呆れながら話す。

「何度も言うようだがな、少なくとも今この町にいる人間に、宝石を欲しがるやつなんて一人もいないんだよ。そんなので誰の命が救えるっていうんだ!」

 しかし商人は、静かに微笑む。

「なら、これで争いを終わらせられるとしたらどうですか?」

「……何だって?」

 青年は商人に詰め寄る。

「今、争いを終わらせると言ったか?」

「はい」

「この宝石で、か?どうやって?」

「なに、簡単なことです。この宝石に、そう祈ればよいのです」

 青年は商人をじっと見つめた後、表情の変わらない商人に目を逸らす。

「――何かと思えば、馬鹿馬鹿しい。そんなことで終わるような争いなら、とっくに終わっているに決まっているだろう」

「そう仰るのも無理はございません。しかし、どうでしょう。物は試しということで、この宝石、買われてみては?」

「……仮に、だ。その宝石にそんな力があったとして、話した通りここには金がない。増してや宝石なんて買う金は――」

 青年の言葉に、商人は待ってましたと言わんばかりに話し出す。

「ええ、そうでしょうとも。ですのでこの場では、お金は一切受け取りません。ただ、この宝石を受け取ってくれさえすれば良いのです」

「何を言っている?そんなのは、商人にとっては何の利益にもなるまい」

「ええ、ええ。ですが良いのです。私がそうしたいと思うから、そうするまでのこと。私ども商人も人間ですから、そんなことを思うこともあるのです。ですが……そうですね。もし代価が御用意できたなら、その時に頂くというのはいかがでしょう?」

 そう言って商人は、宝石の入った箱を青年に差し出す。青年も、何も商人の宝石の話を信じた訳ではなかったが、それを黙って手に取った。それこそ代金の話なぞ、どうでもいいことだった。

「お買い上げらありがとうございます」

 商人はニコリと笑った。

「それでは、代価が整いましたらまたお呼びください。では――」

 そう言い残し、商人はどこかへ去っていった。

「お呼びくださいって、どうやって呼べばいいんだよ……」

 青年は困った顔をするが、口元は緩んでいた。受け取った小さな箱を開く。ああ、きっとこれは、あの商人の優しさなのだと、そう思った。そして青年は、その石に祈りを捧げた――。



 翌日、町には大量の人が押し寄せた。どこかから逃げてきた者たちではない。隣国の兵士だった。

 彼らは人でありながらも機械的に、そうあるべきというように、建物を壊し、火を放ち、抵抗することもできない人々を襲った。勿論それは青年も例外ではなく、ただ彼がどうなったかを知る者など誰一人としていない。

 こうして争いは終結した。

 ――フードを被った人物は、手の中にある小さな箱の汚れを払う。

「――ふふ。商人とは、人間である以前に、商人なのです」

 ゆっくりと開かれた箱の中で、それはより深い青に染まっていた。

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