天秤ばっかり!

渡貫とゐち

比べてばっかり!


「――この浮気野郎がッ!!」


 美人が額に青筋を浮かべてブチ切れている。

 彼女が俺の胸倉を掴んでぐっと持ち上げた。ちょっ、両足が浮いたぞ!? 火事場の馬鹿力のように彼女のその細い腕が、今だけ本来の筋力を越えて力を発揮したのかもしれない。


 なんでこんな時に……いいやこんな時だからこそか。

 浮気がバレました。

 俺の背後には浮気相手。

 目の前には今の彼女。

 ……まあ、そりゃこうなるよなって話だ。


「ま、待って待って! 説明させてくれよっ、知り合いの妹とか、お前へのプレゼントの相談したりとか、異性にしかできない相談とかあるじゃん! 全部を知った上で怒ってくれよ!!」

「キスしてた」

「い”っ!?」


「さっきそこの噴水広場でキスしてたけど、あれって私とするキスの練習だったりするの? ねえどうなの、股間を遠目から見て分かるほどにぴんと立たせてどんな言い訳が出てくるのか教えてもらおうじゃない! 早く言えよねえねえねえっっ!!」

「練習!! ……まあ練習でその気になったことは否定できんが」

「おいクソ野郎」


 通行人にめちゃくちゃ見られながら、ブチ切れた彼女に詰められていた。

 もう事件になっていいから、誰か通報してくれないかな……。

 このまま騒ぎになれば、浮気相手の子もどさくさに紛れて逃げやすいだろうし。

 だけど俺の願いは虚しく散っていった……。


「離してあげてください、彼女さん」


 彼女の細腕を掴んだのは、浮気相手の女の子だった。

 ……こうして並ぶと差がはっきりと分かる。


 高校時代から付き合っている伊織いおりは、染めた金髪で、爪も派手派手しくなっており、肌の露出も多いギャルだ。


 対して、俺を庇ってくれている小柄で巨乳な、言ってしまえば根暗で地味な女の子は、大学に入ってから知り合った子だ。

 ……まだ付き合いは短いけど、長年連れ添ったように気が合うんだよなあ。


 一緒にいて楽しく、日中は常に一緒にいると言っていい。

 オシャレという存在自体が似合わなそうだ。

 なにより、オシャレをしなくとも魅力的なのだ……そう、優しさと包容力が滲み出ている。スカートさえ履きたくないと言い張る恥ずかしがり屋さんだ。


 三倉みくらさん。

 俺はふたりのどちらも選べずに、結果、こうして二股してしまっていたわけだ。


「アンタさあ……。ところで賛太サンタ、なんでこの子なわけ?」

「え?」


 伊織の腕が疲れたおかげか、足が地面についた。

 俺は乱れた服を直しながら、答えに詰まる。

 伊織がいる身でどうして三倉さんと……浮気をしたのか。

 そんなの、その時の衝動だった、と言って理解されるのか?


「このッ、地味な子! 見た目なんか私の方が絶対にいいでしょ。自分で言うのもなんだけど美人だし! メイクの仕方も分かってる。こんなだらしない見た目で外を出歩くなんて非常識よね!?」

「ひじょ……ッ!?!?」


 今度は三倉さんが腹を立てていた。

 浮気相手なので怒りづらい三倉さんだったけど、浮気行為とは関係なく自分のことを侮辱されたら、怒る理由にはなる。


「美人を蹴ってなんで凡人にいくのかねえ……」

「美人が正義なんですか?」

「そりゃそうよ。男なんて、顔が良ければ飛びついてくるもの」


 そうなの? と三倉さんが俺を見る。

 うん、否定はできないな。顔が良ければ……ある程度のことは許せてしまう時もある。

 それでも、譲れない部分はあるだろうし……美人は別にあの人の印籠ではないぞ。


「顔が良ければいいんだから、顔を良くすればいいのに……そういう努力をしない人が多過ぎる。アンタも含めてね。……根暗で地味なのは、好きでやっているなら認めるけど、損をするわよ?」

「大きなお世話です。それに、回避できるトラブルもありますよね?」


 美人は目立つから狙われやすい、というのもある。

 男に肯定されるということは多くの男が寄ってくるわけだからな。俺と付き合う前も、最初は男除けのつもりで、フリで付き合っていたのだ。それがいつの間にか本当の恋になっていた。

 ニセモノがホンモノになったという、よくある話だ。


「そういう損を帳消しにする得があるでしょ」

「それはあなたの感想でしょう」


 むむむ、とふたりが睨み合う。

 三倉さんがこうも感情を見せるのは、俺以外相手だと……初めて見た。

 普段はニコニコ笑って相手が去っていくのを待っているのに。今は伊織を挑発するように喧嘩を売っているようにも見える。なにが彼女をここまで突き動かすのだろう。


「……なによアンタ、財布なんて出して。お金で解決しようってこと?」

「賛太くん。十万円あげるからわたしに乗り換えて」

「へ?」


 思わず間抜けな声が出た。……十万。いや、安くないか? とは言わなかったが、顔に出ていたらしい。三倉さんは「そっか」と頷きながらポケットから小切手を取り出した。


「好きな金額をあげるから。この人に、美人よりお金だってことを――顔より金だってことを分からせてあげる」

「うわー……アンタってお金持ちだったわけ? やり方が汚いわあ……そんなの汚いお金じゃん」


 正義とは言えないわよね、と。

 あの伊織が、演技でなくちゃんと引いていた。


「使い方次第ですよ。わたしは愛のためにお金を使います。わたしからすれば正義であり、綺麗なお金です。……人生一度きり、好きな人を手元に置きたいと思った時に即行動しなければ後悔しますから。他人に気を遣って一番やりたいことを疎かにするなんて……わたしはしませんよ」


 使えるものは全て使う、と三倉さん。


「ふうん。根暗で地味な巨乳かと思えば、ちゃんと自分らしく芯があるのね……ふーーん」


 はい、と小切手を渡された。

 渡されたけど……急に言われても困る。好きな金額を入れてほしいとのことだけど、書いた金額が三倉さんの値段となってしまう。

 ……そういう意味でなくともそう解釈されてもおかしくはなかった。


 心情的には低い金額を書きたいけど、三倉さんのことを考えると難しい……。

 そして、上限がないわけではなく、どの単位まで書いていいのかも分からない。俺からすれば大金でも、三倉さんからすればはした金かもしれない。さすがに億を要求したら心配はなさそうだけど、書いた俺がバカみたいじゃないか?


「ひとりの人生を売るようなものですから。大金に上限はありませんよ?」

「…………」


 いま、背中を押された?

 手が震える。小切手がぷるぷると。

 こんな状況じゃあ、ペンを持っていても書けない。

 ちら、と伊織を見れば、染めた金髪ギャルは、なぜかキャミソールの肩紐に指をかけていた。


「…………顔より金、ねえ。じゃあこういうのはどうかしら?」


 彼女が近づいてくる。

 密着した。首に、彼女の吐息がふっとかかったと思えば、彼女に誘導された俺の手が、伊織の服の内側へ入り込んだ。


 三倉さんと比べれば小振りな胸だが、柔らかい感触がしっかりと伝わってくる……うわぁ。

 沈み込む。

 指が。

 意識が。

 欲が顔を出した。


「金を積まれるなら、こっちは性欲で勝負するわ。アンタより魅力的な自覚はあるし、相性もいい。経験だってある。今までは制限付きだったけど、私を選ぶなら好き放題使っていいわよ?」


 公衆の面前ということも忘れて本気になりかけた。

 三倉さんにケツを蹴られて(え?)、正気に戻る。……危なかった。マジで。

 キャミソールの肩紐を外して、日焼けした周りの肌とは違って元々の白い肌が見えたところから理性が切れそうだった。そもそも伊織の見た目はめちゃくちゃタイプなのだから、本気で誘惑をされたら敵うわけもないのだった。


 ふたりの彼女を見ていると、容姿か中身か、の話だった。

 それが――気づけば、顔か金か、金か性欲かの話になっている……。どっちにも魅力があるし蔑ろにしたくないし……順番でいいんじゃないの? と言いたかった。

 まあ無理だ。こんなのは男側の事情りそうであり、彼女たちからすれば他者を蹴落とし自分が一番になりたいと思っているだろう。逆の立場ならふざけんなって、俺だって言う。


 ふたりが俺を見限っていないのが驚きだった。

 捨ててもいいのに……でも、まだ捨てられていない。

 そういう余裕が、浮気した理由なんだろうなあ、と他人事のように思う。


「その大きな胸、アンタには合わないから。キスが上手いだけじゃあ男の子は奪えないわよ?」

「…………仕方ありませんね」

「なあに、今度はどんな手で賛太を誘惑するつもり?」


 近づいてくる三倉さんが、拳を握っているのが見えた。

 まさか……っ、伊織を殴り倒して俺を奪うつもりか!? どこであろうとダメだけど、こんなところでそんなことをすれば、三倉さんの立場が――ッ!!


「ダメだ三倉さ、」


 飛んだ拳は俺の頬に突き刺さった。………………え?

 腰の入った拳が、俺の意識を揺らし。

 バランスを崩したタイミングで三倉さんに足をかけられた。


 え?

 ちょ、え?


 三倉さんが俺のお腹に乗ってくる。馬乗りだった。下から見る三倉さんはやっぱり巨乳で顔が見づらくて……って、なんで彼女は両手を拳にしているんだ?


「誘惑はしません。得をすることを天秤に乗せたら、もう先はありませんからね」


 彼女の小さな拳。

 だけど固く握られた力のある拳が、何度も何度も、俺の顔を打つ。


 ……骨格が変わるんじゃないかってくらいの衝撃が脳を揺さぶった。

 …………。

 うっ、今、一瞬意識が落ちていなかったか……?


「――アンタなにやってんの!?!?」


「賛太くん。わたしを選んでください。わたしを捨てるなら毎日、あなたを狙い続けます。殴るのがダメなら事故とか? それとも実弾ではなく、ゴム弾で狙撃でもしますか? すれ違う人たちに睨まれ続ける毎日とかどうでしょう――。凡人よりも美人、顔よりも金、金よりも性欲――性欲よりも、暴力です。得をするよりも損を与えた方が、人は動き出すものだと思いますよ。ねえ、賛太くん。これ以上殴らないから、わたしに乗り換えてくれないかな……?」


「は、……はぃ……」

「ちょっと賛太!?」


 もう意識はハッキリとしていない。

 とにかくこの痛みから逃げたくて……目の前の餌にひとまず食いついたというだけだった。

 そこに愛はないだろう。

 けれど愛されているという自覚はある。

 その愛を育めば、結果は同じになるか……?


「わたし、お金ならたくさん持ってますから。……絶対に逃がしません。わたしの大切な人……」

「あ、警察の人っ、あの人、見ての通りの暴行です。痴話喧嘩じゃありません。殴られてる方は私の彼氏ですから」


「ええっ!? 通報早っ、って、交番近ぁ!」


「バカね。暴力は犯罪よ。犯罪は、結局法律には勝てないんだから――素直に反省しなさい」



 青い制服の人に連れていかれる三倉さんを見届ける。

 痛みで朦朧としている俺の頭が持ち上がった。柔らかい枕は……太もも?

 膝枕か?


「アンタ、許さないから」

「……ごめん」

「絶対に、一生……許さない……っ」


 落ちてくる彼女の涙が傷に染みる。

 でも傷ではなく、心が痛かった。


 凡人よりも美人、びじんより金、金よりも性欲――性欲よりも、暴力。

 そして暴力は法律に敵わず、結局のところ男ってのは、女の涙には敵わない。


 ――好きな子の涙だけは、どんな暴力にも負けない。


「あとで死ぬまでぶん殴ってやるから」

「ああ……存分に」


「次、浮気したら刺し殺してやる。……そして私も死ぬ」

「それはダメだ。……もうしないよ。衝動でも、しない。伊織が死ぬのは違うからな」


 ……まったく。こんな俺の、どこがいいのか。

 自分のことながら、まったく分からないな。


「ぜんぜん、分かんねえよ……」


「理解されてたまるか、ばーか」



 …了

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天秤ばっかり! 渡貫とゐち @josho

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