マイ・リトル・フラワー

未来屋 環

それはあなただけの花

 ――あの子も、あの子も、あの子もみんな、素敵な花を持っている。



 『マイ・リトル・フラワー』/未来屋みくりや たまき



 雨が降る街の中、ファーストフード店の二階から外を見下ろしながら、私は小さく溜め息を吐いた。

 パンの欠片かけらが散らばるテーブルの上には、氷ですっかり薄くなったアイスコーヒーが居心地悪そうにたたずんでいる。


「結婚おめでとう!」


 高校時代の友人の結婚式に招待されて、久々に私たちは集まった。みんなきらきらと輝いていて、昔話もそこそこに近況報告で盛り上がる。

 可愛くてたまらないと子どもの写真を見せてくる子、忙しいと言いつつも着実にキャリアを積み重ねている子、趣味の世界を全力で楽しんでいる子――どの子も充実した日々を送っているようで、何をやっても上手くいかない私は曖昧あいまいな作り笑いを浮かべることしかできない。


 帰り際、式場のスタッフさんから会場に飾られたお花を持ち帰るように勧められた。

 みんな喜んでそれぞれの花を手に取っていく。情熱的で美しいバラ、可憐に色付いたチューリップ、気品溢れるカサブランカ――今の私にはどれも何だか荷が重くて、「家が遠いので」と断り会場を出た。

 そのまま二次会に行く気にもなれず、ここに逃げ込んでいる。


 ――歯車が狂い始めたのは就職してからだと思う。

 同期たちが活躍する中、要領の悪い私は家と会社を何百往復しても一人置いて行かれた。「光が強い程、生まれる影は濃くなる」というのは、真実だろう。みんなの煌めきにあてられて、私はより一層自分の惨めさに打ちのめされた。


 ここで時間を潰していても仕方がない。私は飲みかけのアイスコーヒーをゴミ箱に捨てて店を出た。

 地下道に降りると、澱んだ空気が纏わり付いてくる。憂鬱さを覚えながら、私は雨の匂いが充満した通路を歩いた。


 ――瞬間、視界の端を鮮やかな色がかすめて、思わず足が止まる。


 そこには、場違いな明るさを伴った小さな花屋があった。先程までは疎ましかったはずの彩りが、私の視線を捉えて離さない。

 すると、中からエプロンを付けた男性の店員が出てきて、突っ立っている私に笑顔を向けた。


「いらっしゃいませ。よろしければ、ゆっくりご覧ください」


 ふと投げかけられた声で我に返りきびすを返そうとするも、その穏やかな空気感に逆らえない。

 私はおずおずと花屋に近付いた。色とりどりの花たちが自分の美しさをこれでもかと主張してくる。

 かつては純粋に綺麗だと思えたものたちから逃げるように目を逸らすと、ふと小さなサボテンの鉢植えが目に留まった。


 全身の至るところから放射状にとげを突き出すその様は、何物をも寄せ付けまいとする意志の表れのようだ。しかし、懸命に伸ばされた棘はあまりにも細く、心もとない。その不安定な姿に妙な親近感を覚えて、私は鉢植えを手に取った。


「そのサボテン、綺麗ですよね」


 鼓膜を揺らした声に振り向くと、目の前には微笑を浮かべた店員が立っている。


 ――綺麗?


 思わず自嘲するように笑うと、彼は首を傾げる。その無邪気な鈍感さに引き摺られるように、私の口から刺々とげとげしい言葉が飛び出した。


「そうですか? 私はそちらに並んでいるお花たちの方が綺麗だと思いますけど」


 しかし、彼は動揺する素振りを見せず、取り出したスマートフォンをこちらに向ける。


「ほら、見てください」


 そこに写っていたのは、頭にぽちりと小さな花を付けたサボテンだった。

 淡いピンクに色付いたその花は、たったひとりで重力に抗い、天を向いている。棘の海を掻き分けて咲いたその姿に、私は思わず惹き付けられた。


「――ね、綺麗でしょう?」


 優しく放たれたその言葉に頷くと、スマートフォンが視界からフェードアウトしていく。

 改めてのサボテンと向き合うと、その無数の棘の奥に秘密の光を宿しているように見えた。


 ――そう、君は花を咲かせることができるんだね。


 私は、目の前のサボテンに心の中で語りかける。


 私にも咲かせられるだろうか。

 どんなに小さくてもいい。たったひとつでいい。

 「これが私」と胸を張れるような――かけがえのない、私だけの花。


 目の前のサボテンは、何も答えずただそこに佇んでいる。

 それが何故か、今の私にはとても優しく感じられた。


 レジの方向に視線を向けると、店員の彼と目が合う。

 そのやわらかな微笑につられるように、私も小さく笑った。



(了)

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